《 八束師一周年記念 》「本当の幸い」 東京聖書学校吉川教会 深谷 牧師
今朝は八束潤一先生の召天一周年の記念として詩編32編を読む。
本詩は「7つの悔い改めの詩」のひとつ。内容は次のよう。
1ー 5節 新生の恵み(罪の告白とその許し)
6― 7節 聖化の恵み(主の慈しみに生きる人)
8― 11節 献身の恵み(駿馬として充実した人生)
八束潤一先生の生涯は、この詩人の告白と同じ。「いかに幸いなことでしょう!」と言う告白から始まる。高校1年生のときに罪の赦しの洗礼を受けて神の子となった。そして、「神の慈しみに生きる人」となった。先生は神の慈愛の中を歩んだ。それは、試練のただ中にあっても、救いの喜びと喜びの賛美に包まれた生涯だった。この詩の締めくくりは、「駄馬やらばのようにではなく、駿馬として主に仕えよ」。これは献身の道だ。先生は献身の道をひたすら走った。八束先生の生涯は詩編32編の「幸いの人生」だった。わたしどももしっかりと先生の後を歩みたい!
今朝は八束潤一先生の召天一周年の記念として詩編32編を読む。
本詩は「7つの悔い改めの詩」のひとつ。内容は次のよう。
1ー 5節 新生の恵み(罪の告白とその許し)
6― 7節 聖化の恵み(主の慈しみに生きる人)
8― 11節 献身の恵み(駿馬として充実した人生)
八束潤一先生の生涯は、この詩人の告白と同じ。「いかに幸いなことでしょう!」と言う告白から始まる。高校1年生のときに罪の赦しの洗礼を受けて神の子となった。そして、「神の慈しみに生きる人」となった。先生は神の慈愛の中を歩んだ。それは、試練のただ中にあっても、救いの喜びと喜びの賛美に包まれた生涯だった。この詩の締めくくりは、「駄馬やらばのようにではなく、駿馬として主に仕えよ」。これは献身の道だ。先生は献身の道をひたすら走った。八束先生の生涯は詩編32編の「幸いの人生」だった。わたしどももしっかりと先生の後を歩みたい!