この世界は仏典にある様に「唯心所現の世界」なのであります。
それだからこそ自らに潜在する「意識・心」に依って、それを支配することを学び、「心・精神」に依ってそれを支配することを実証しなければならないのです。
現世に於いて私たちは進むべき運命や未来の姿は精神科学により、日頃の意識と言動の行為が積み重なり年月を経て結果として現れる、自己責任型の人生プログラムであり人生の流れを観ると、丁度フローチャートの様でもあります。
それは日々に何かの事象についてYES/NOを判断し選択して前進とか、或は後退することを繰り返したりして自然の法則に基づいて、動き行く先(次のステップ)へ向かい運命を決めて行きます。
フローチャートの進行と各ステップは宇宙の法則である、自然の秩序と摂理に基づいており、私たちが生きる上で自由意志と言動のYES/NOの選択権が与えられています。
自由意志と言動と選択権は当然に自己責任が生じますから、大切な人生としての生き方である正しい指針となるべき、正しく有益な人生観の思想や思考を身に付けるべきであり、様々な事象に対する観方・視点から把握し冷静に正しく分析して、正しく判断するという基準を確りさせる必要があります。
人間の自由意志・判断と言動の自由という権利は責任が伴い諸刃の剣でもあるのです。
私たちの「生き方」を決めて行くものは基本的には「意識・思考・心遣い」なのです。
それは正しい考えこそが正しい想いと正しい知恵と正しい判断や選択が湧くようになり、そして正しい言動も出来るからです。
自由意志は素晴らしいツールで自分が進歩するペースを決めて、体験から課題・教訓を学ぶまで同じレッスンを繰り返すことが出来て、自己の資質と存在意義に気付き、その理由を知るに至り自己に内在する、個性的な本領・才能を見い出して発揮して、人生を価値や魅力や有意義あるものとなります。
人は知らず知らずの内に現世の誘惑である煩悩と言う、ネガティブで不要な荷物・感情を掴み握っていたり、抱えていたり背負っていたり引き摺っていると言えます。
私たちのこれから進むべき運命や未来の姿とか、行く先で属する魂の階層領域帯へのステップアップは何を学びどの様な心構えで思考するかの、自己責任型の人生プログラムであるフローチャートで、何方を判断し選択するかにより相違が現れて来ます。
ですから、私たちの心で想念したり創造する自由は、善い方向にも悪い方向にも同じ様に心遣い・思考・想念と言動が可能であり、どちらの方へも向けられるということを再認識しなければならないでしょう。
人生の指針となる真理・哲学を知っているか知らないかで、事象に対する受け取り方を始め思考内容や判断が違ったものとなり、運命の分かれ道となってしまうのです。
つまり、人として精神の修養は必須であり高尚な意識に努力する心遣いは不可欠だと言えます。
運命の成立と人格・品性の形成プロセス
人間は基本的な人権から見れば誰であろうと全て平等なのですが、現実には皆それぞれ違った(健康・寿命・知識・財産・地位・人格・境遇など)一生を送っています。
人間は、それぞれ特定の気候や風土・歴史・習慣をもった国に、特定の人種や民族としてまた男女の違いをもって生まれ生活していますし、さらに学問・教育や身分や職業や経歴や信条などによって、道徳(倫理)観や人生観(生き方)なども異なっています。
各人の出生した場所・環境や境遇・運命の違いは一体どうして出来るのでしょうか。偶然に違って来るのか。或いは原因が有って必然的にそう成るのか。また運命は変えることが出来るものか。或いは出来ないものか。と、この様な問題を明らかにすることも大切でしょう。
各自が背負っている運命の改善プロセスには順序があり年月を要します。
人間の運命を決定する要因の内で要約しますと、約3分の1は先天的な原因として過去生からの業因縁(カルマ・心の癖)があり、誕生した時には社会や文化、環境と遺伝、境遇や財産などの違いとして現れてきます。
他の約3分の1は後天的な原因として、生まれた時から今日まで自らの精神作用と行為が影響します。残りの約3分の1は先祖からの業因縁と守護霊などからの導きとか、周囲の人々の念(心の思い)作用によっても変化します。
人間の運命は偶然に出来たものではなく原因があり、決して固定したものでもありません。
大切なことは自分の運命が成立した原因を知った上で自覚し、その運命改善の責任を負って愛念と感謝と報恩の生活をすることです。
大切なことは何をしているにせよ日々の思考や心境という、心遣い・顕在意識が積み重なると潜在意識の力となり、心の習慣(潜在意識)・癖の力や想念や言動が積み重なると性格となり、年月を経るとその人独特の雰囲気を作り表情や容貌となり人格を形成します。
人格は人相や容姿となって現れ特有の雰囲気を発して、豊かさ・幸福・家庭・職場も左右されて来て境遇や環境を造ります。
人格は「品性」として形成され「徳」の分量が決まり、やがて年月を経ると運命という境遇さえも左右する様になります。
つまり、日々の心遣いから人格や品性を形成し境遇とか環境の変化として現れ、初めて運命の修正が可能となる訳ですが、人の運命と言うものは10年単位で物事を観ないと、本当に移り変わる事柄(変化)は分からないものです。
人間は余徳が少ないと人格や品性も低くなり、品性が低いと思考力・智慧は限定されて能力は十分に発揮できないものです。
神意を信じ光明波動と真理を受け取り正しい人生観の抱負から、正しい生き方の思考・想念と言動を実践する者が、心・魂は救われて因縁の解脱へと向かえるのですが、現実は競争社会で格差と歪みもあり世知辛く利己的な人々が多く厳しいものです。
他者を犠牲にして得た富や幸せの行方
私たちが幸せのためにとあくせく働くことの動機はほとんど利己心が中心になっていますから、全てが物質的とか欲望的であり真理から見れば不純で邪悪な心に相当するので、本当の意味に於いて文化的とか快適な生活を営む、安心で豊かさと幸せの人間とは言えないでしょう。
安心と豊かさと幸せの人生のために、真理を学び実践する光明思想の必要性について、利己的な本能(煩悩優先・邪悪な想念)は人間の天性でありますから、これは教えなくても自然に知っているものであります。
人格と品性を高めて徳を積む様な真理(心の法則)や倫理(モラル)や哲学は教えても、人格・品性の低い者は因果律(カルマ)の作用と働きが魂的に呑み込めずに、自らの意識・感情の使い方と言動の在り方に無頓着なのです。
それで目先の利己心から理性が働かず煩悩を優先させ、真理の実践を行わない不心得な者が多くて普及には極めて困難なものです。一般的にこの大切な因果律の原理を知る人々は少ないのが現状です。
この世は五感で認識するとリアリティーに見えても、所詮は心・意識の作用が投影・反映として生じて創り出した、夢や幻の如く具現化し表現された姿であり仮相でもあり、借り物でもあり虚構なカルマが流転する次元であります。
それは感覚を伴う大いなる精巧・精妙で仮想・幻想・マトリックス・ホログラムの世界であり、私たちが地上で魂の学ぶ過程で使用する全ての教材は、悉く自らの魂的(潜在意識)な意に従って出現し、用足りて自ずから姿を消す、円満具足で清浄微妙の不可思議な世界であるのです。
自分のモノ(所有)と言う横柄・下劣で偏狭な勘違いの考えから、魂の体験学習や試練に必要な教材(人も含む)やチャンスとして必要に応じて、「天から貸与されて用が無くなれば引き上げられる」と言う高次の天意が、自らの未熟な心・精神を顧みて執着を解放することで思考・意識を高めて何事にも動じない心が養われるのです。
つまり、煩悩の欲求は幻想・心の影・反映の世界を、余りにもリアリティーに見えるから実在・現実だと認識して勘違いした、仮相の意識から来るところの「妄念・妄心」から始まりますから、ここで心機一転して意識・感情の在り方の重要さと方向性に気付いて、心(魂)の眼を覚まして下さい。
生命は常に前進する必要がありますが、人の執着心と言うのは意識(精神)の停滞を意味しており、人間として高尚な精神を持つ者としてはある種の退化とも言えて、変化する世の中で怖れから既知の事象(物質欲・慣例含む)に依存してしがみ付くことは、自己の停滞・退化を招きますから柔軟な心で変化する過程を受け入れて下さい。
人格・品性(魂・霊的なレベル)の低い者は下劣で、自由意志と言動により彼らなりの偏狭と独断とで誤った生き方から、殆どの場合は保身のために本能に訴えて他者の犠牲(傷つけ害する)によって、自己や属するグループの欲求や目的を遂げ様とするものです。
ところが、因果律・精神科学・心の法則から当然に自己責任(カルマ)が生じて来ますから、それを何度も試みて一寸成功しても、やがてそれは失敗に陥ってしまい却って自分たちの生存を害することになるのです。
強欲にも他者から金品を奪っても悪銭身に付かずと云われる様に、知らない内に浪費されてしまい是正されて消失し、相手を倒そうとする者は法則により自ら倒れて自滅の運命を辿り再起が不能に陥ることになり、自らや残された者たちは漸くと自分たちの運命に気付いて魂の浄化・清算による人間の改心・悔い改めを余儀無くされるでしょう。
人間は様々な試行錯誤で幾度も失敗や苦難を負う事を重ねる体験を通して、他者を犠牲にして得た地位や富や幸福は決して永続するものではない上に、痛手・酷い目に遭う体験を通して身に染みる辛苦の試練により、何時か不正道は引き合わないという愚かなことに魂的に気付き、目覚める時期に差し掛かって学んで反省し貴重な教訓とするのです。
だからこそ第三者のこともよく考えて愛念と真理と調和に基づく、三方良しを心に留めて思考し言動することがベストであり人としての道として責任でもあります。
これはAIに使用されているディープラーニング(深層学習)技術と似ているとも言えます。
地球上の生活は魂・霊が学習・経験のための通過点であり、事象・環境・境遇・金品・地位などは過度に執着したり依存し過ぎない様にすることで、精神的な新しい価値観に同調させて過去の事象に対する執着という、激しい拘束の全てを捨て去るという覚悟の選択をすることを意味します。
物質的な執着の葛藤・確執をいかに早くクリアーして潔く手放し、自己の意識を高尚に保ちつつ霊性のレベルを高めて、新生した聖なる地球に残留し五次元へ移行が出来る様に進化向上し、必要な霊的レベルに到達するかが問われています。
多くの人々は愚かにも痛手や苦難や悲惨を伴う苦悩の試練から辛く貴重な教訓を学び、それを乗り越えて一歩一歩と霊性を向上して行くしか方法はないのです。
新しき世界では人間性の向上と神性の覚醒により、自ら規律ある生活を重んじますから法律は簡素化されて、単純な内容になると言われています。
罪の意識があると自己処罰の受難
人は夫々に千差万別の運命を持ち複雑なカルマを背負っていて生活しています。
現象を直視しないで目を背けたり逃げないで、真摯に向き合い受け入れる覚悟が必要です。
私たちは望まない現実・境遇が現れて来て、まさか自分が好まないこんな現実を選ぶ筈は無いと感じるかもしれませんが、貴方の霊性や魂や潜在意識が発する見えない波動・波長は、その現実・境遇に見合い合致して反映されているのだと、認識し理解する必要があります。
私たちは、潜在意識に「罪の意識」と言動の規律を犯した負のカルマを背負っている場合は、表面的な自分の心・顕在意識とは裏腹に、思いも掛けない誤算が生じることになります。
人は誰でも心底の潜在意識や魂に在る自らの良心に基づいて魂的な罪悪感から、人の道(因果律・自然の法則)に対して適正化で自己修正・是正の働きが起きて、自らを裁き「自己処罰の浄化排毒で清算」をする時期が来るのです。
自己処罰とは魂の非難であり、表面の自分は幸せや豊かさや健康や安心を希求しますが、良心(ハイアーセルフ)は罪悪感から意に反して、思いも掛けない誤算を生じて「己に背く」如くに、知らない内に自らや家族や愛する者を傷つけ害する方向へと働くのです。
それは、人の道を正そうとする自然な働き・反動作用で、超巨大サイ情報網系を通してバイオフィードバックと言う自己回帰・循環・平衡の現象や働きであり、「己に背くが如く」に潜在意識は負のカルマを解消させる清算に伴う、平衡や適正化の作用が動き出して、罪・規律を犯した者は必ず粛清に向かう「自己処罰」を選択して、受難・災厄を引き寄せて無意識の内に罰を受ける様に行動するのです。
人生の道を見誤ると物事が順調に進まず自らや他者との確執や葛藤を生むのです。
ですから、私たちは自らを省みて本当の「自己を知り」強く賢明になって、今まで通り習慣的に利己的な煩悩(心・感情・欲望の赴く)の侭に生きるのではなく、思い切って心機一転することで観の転換を行ない、真理・倫理を学び正しい人生観と生き方により高尚で利他的な思想・想念を取り入れて実践する様に努力しましょう。
そして、天意・真理に叶う様により高次元の存在(ハイアーセルフ)と意識・心の波長を同調させ、感謝・愛念・平和・利他・報恩・奉仕のポジティブな言動の繰り返しにより魂は純化し浄化されて、やがて身体も同調して変容・変身し上位の階層領域帯に適応して、移行が出来る様になれるのです。
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