フランスのトライアル仲間、オリビエ・バージョンさんからメール。
ルジャーンRTLを始め、日本やヨーロッパの歴史的トライアルマシンを博物館並に集めている旧車クラブのメンバーです。
※オリビエさんと、彼のマシン倉庫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/37/186a971aadb5cdc53acaa34c9beaf98b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/13/1cc5f79e6bc1238e9c5b4faf8070bc3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/8d/704ea9ed49f1f72a6de7efeb1d9106e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/84/b2461b1b3f3882159983df163863bcde.jpg)
彼らにとって最高のトライアルマシンは、ホンダの4スト。
オリビエさんの愛車も、こちらとなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/35/5d217b765888db5631086cc532ca406a.jpg)
メットが黒山健一選手の、以前のレプリカバージョン。
オリビエさんはライディング的には、健一選手のファンなのだそうです。
「健一選手はEクラスへの参加で、今年のフランス大会に行くよ」と伝えると、成田匠選手の参加も含めてすでに情報はご存知。
「残念ながら自分はフランス大会には行けないが、ベルギー大会には行く。楽しみだ」とのことでした。
で、彼からのメールの主要件なんですが、まずこの映像を見てくれ、と。
https://youtu.be/o9DoFEQPsD4
うわあ、こりゃまたすげえ映像が残っていたものです。
んで、海外からこの動画を見つけるちゅうのもすげえ。
で、彼からこの質問です。
「We found this video on internet. Can you date it?」
このページには「1976年頃」と書かれていますが、オリビエさんの言うには
「I think it is 1982 as Kuroyama has N°1 (japanese champion 1981)」
ゼッケン1番を着ける黄色いスズキのマシンに乗っているのが黒山一郎選手ですが、黒山選手がチャンピオンを獲ったのは1976年と81年。この動画をアップした方はここから「1976年頃」という数字を導き出したのでしょう。でもフランス人の言うには、走っているマシンからこれは1982年ではないか、と。
82年なら工藤靖幸選手も出ていたはず。
というわけで、オリビエさんとは共通の友人である工藤さんに聞いてみました。
※工藤さんとオリビエさん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ac/d030590a13d0cda5977aaef9fe0fe01e.jpg)
※オリビエさん所蔵の、ビーミッシュスズキ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6c/5db63833f6cf15b6a73164fbf3463c18.jpg)
※さらにレアな、エンジンがスズキ、フレームがFIで有名なマクラーレンという、マクラーレンスズキ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/90/7c539dcf628c630ce27a09cf15327ff6.jpg)
ホイールベースが今のマシンより短いようですね。ステアが低くターンが主体の当時は、この方が良かったのでしょう。
またメインフレームがガソリンタンクになっていて、これはあのショッキングだったベータゼロより先行した設計です。
この他にもオリビエさんは、黒山一郎選手のゼッケンプレートなんてものも持っていました。
で、工藤さんから回答が来た上記動画の年代ですが、結果はオリビエさん大正解!! の1982年。
秋田県で開催された、全日本トライアル東北大会だということが判明いたしました。
以下、工藤さんからいただいた選手情報です。
#1 黒山一郎
#2 丸山胤保
#3 小谷重夫
#5 山本昌也
#6 加藤文博
#9 畑山和裕
#43 成田省三
畑山選手は、その後のMFJ東北トライアル委員長。
山本昌也選手はRSC(HRCの前身)契約に抜擢されたばかりでしたが、この年から5年連続全日本チャンピオンを獲得。
5年続のタイトル獲得はこの時の昌也選手と2002年からの黒山健一選手しか達成しておらず、今年小川友幸選手が6連覇を達成すると、ついに破られることになります。
ライディングはありませんが、近藤博志さんも下見中の姿が映っているとのこと。
工藤さんは#13をつけて出場。こちらもゼッケンは映っていませんが、23分12秒付近のマシンと乗り方で判明。
ほかに3分40秒付近の車検でも映っているそうです。
工藤さんは1981年に、熊本から上京。現在野崎史高選手が所属するYSP京葉の大月さんの元でメカニックをやりながら、全日本に挑戦していたそうです。ちなみに畑山選手も当時大月ヤマハで働いていました。
工藤さんのマシンはTY250ですが、ヤマハのサポートによりエンジンは320cc。他にも前後サスやスイングアームがスペシャルだったそうです。
ただタイヤは全員がバイアス。
この歳世界チャンピオンを獲得したルジャーンを翌年の1月に招いスタジアムトライアルで、ルジャーンは1人だけラジアルタイヤで日本人ライダーが行けないところをスイスイと。
工藤さんは「確かに実力も違ったばってん、それだけじゃなかったとばい」と今でも悔しがっております。
※この時実は、山本昌也選手もラジアルだったとの噂もあり。
とにかく日本トライアルはルジャーンに惨敗して、その悔しさから黒山一郎さんがヨーロッパに渡り、ここでもコテンパテンになるものの、その後2世ライダーのブラック団に引き継がれ世界クラスに成長していきます。
というわけでこの動画、開国前日本「鎖国トライアル」の、最後の姿でございました。
ルジャーンRTLを始め、日本やヨーロッパの歴史的トライアルマシンを博物館並に集めている旧車クラブのメンバーです。
※オリビエさんと、彼のマシン倉庫
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/37/186a971aadb5cdc53acaa34c9beaf98b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/13/1cc5f79e6bc1238e9c5b4faf8070bc3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/8d/704ea9ed49f1f72a6de7efeb1d9106e4.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/84/b2461b1b3f3882159983df163863bcde.jpg)
彼らにとって最高のトライアルマシンは、ホンダの4スト。
オリビエさんの愛車も、こちらとなります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/35/5d217b765888db5631086cc532ca406a.jpg)
メットが黒山健一選手の、以前のレプリカバージョン。
オリビエさんはライディング的には、健一選手のファンなのだそうです。
「健一選手はEクラスへの参加で、今年のフランス大会に行くよ」と伝えると、成田匠選手の参加も含めてすでに情報はご存知。
「残念ながら自分はフランス大会には行けないが、ベルギー大会には行く。楽しみだ」とのことでした。
で、彼からのメールの主要件なんですが、まずこの映像を見てくれ、と。
https://youtu.be/o9DoFEQPsD4
うわあ、こりゃまたすげえ映像が残っていたものです。
んで、海外からこの動画を見つけるちゅうのもすげえ。
で、彼からこの質問です。
「We found this video on internet. Can you date it?」
このページには「1976年頃」と書かれていますが、オリビエさんの言うには
「I think it is 1982 as Kuroyama has N°1 (japanese champion 1981)」
ゼッケン1番を着ける黄色いスズキのマシンに乗っているのが黒山一郎選手ですが、黒山選手がチャンピオンを獲ったのは1976年と81年。この動画をアップした方はここから「1976年頃」という数字を導き出したのでしょう。でもフランス人の言うには、走っているマシンからこれは1982年ではないか、と。
82年なら工藤靖幸選手も出ていたはず。
というわけで、オリビエさんとは共通の友人である工藤さんに聞いてみました。
※工藤さんとオリビエさん
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ac/d030590a13d0cda5977aaef9fe0fe01e.jpg)
※オリビエさん所蔵の、ビーミッシュスズキ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/6c/5db63833f6cf15b6a73164fbf3463c18.jpg)
※さらにレアな、エンジンがスズキ、フレームがFIで有名なマクラーレンという、マクラーレンスズキ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/90/7c539dcf628c630ce27a09cf15327ff6.jpg)
ホイールベースが今のマシンより短いようですね。ステアが低くターンが主体の当時は、この方が良かったのでしょう。
またメインフレームがガソリンタンクになっていて、これはあのショッキングだったベータゼロより先行した設計です。
この他にもオリビエさんは、黒山一郎選手のゼッケンプレートなんてものも持っていました。
で、工藤さんから回答が来た上記動画の年代ですが、結果はオリビエさん大正解!! の1982年。
秋田県で開催された、全日本トライアル東北大会だということが判明いたしました。
以下、工藤さんからいただいた選手情報です。
#1 黒山一郎
#2 丸山胤保
#3 小谷重夫
#5 山本昌也
#6 加藤文博
#9 畑山和裕
#43 成田省三
畑山選手は、その後のMFJ東北トライアル委員長。
山本昌也選手はRSC(HRCの前身)契約に抜擢されたばかりでしたが、この年から5年連続全日本チャンピオンを獲得。
5年続のタイトル獲得はこの時の昌也選手と2002年からの黒山健一選手しか達成しておらず、今年小川友幸選手が6連覇を達成すると、ついに破られることになります。
ライディングはありませんが、近藤博志さんも下見中の姿が映っているとのこと。
工藤さんは#13をつけて出場。こちらもゼッケンは映っていませんが、23分12秒付近のマシンと乗り方で判明。
ほかに3分40秒付近の車検でも映っているそうです。
工藤さんは1981年に、熊本から上京。現在野崎史高選手が所属するYSP京葉の大月さんの元でメカニックをやりながら、全日本に挑戦していたそうです。ちなみに畑山選手も当時大月ヤマハで働いていました。
工藤さんのマシンはTY250ですが、ヤマハのサポートによりエンジンは320cc。他にも前後サスやスイングアームがスペシャルだったそうです。
ただタイヤは全員がバイアス。
この歳世界チャンピオンを獲得したルジャーンを翌年の1月に招いスタジアムトライアルで、ルジャーンは1人だけラジアルタイヤで日本人ライダーが行けないところをスイスイと。
工藤さんは「確かに実力も違ったばってん、それだけじゃなかったとばい」と今でも悔しがっております。
※この時実は、山本昌也選手もラジアルだったとの噂もあり。
とにかく日本トライアルはルジャーンに惨敗して、その悔しさから黒山一郎さんがヨーロッパに渡り、ここでもコテンパテンになるものの、その後2世ライダーのブラック団に引き継がれ世界クラスに成長していきます。
というわけでこの動画、開国前日本「鎖国トライアル」の、最後の姿でございました。
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