気持ちが落ち着いたら・・記したいと思っていた事です。
今年の4月、私の友達が町長選にでました。
新人で無党派でした。
彼女は、一年以上前から選挙に出たいといっていました。
大好きな自分の育った町をよくしたい!
主婦として母として、自分に出来る事はないだろうか!?と本当に言っていた。
議会傍聴も何度も足を運び一生懸命勉強を重ね
長年働いた会社も中途半端なことはできないと退社までして
この選挙にかけていた。
彼女は何ヶ月も一生懸命頑張っていた。
そして、私も事務所開きの日から毎日手伝いに行きました。
カラオケBOXでウグイスの練習、新聞の取材など
目まぐるしく毎日が過ぎました。
そして、4人が落選するという激戦の中
自分達にできることを一生懸命頑張りました。
私は、お弁当の用意や車にのってウグイスをしたり
みんなで歩きながらお願いにまわったり
本当に毎日、足が痛くなるまで頑張りました。
人の声援が本当に温かく感じました。
応援している私でもこんなに嬉しいのだから
候補者の彼女は本当にそれを感じ取って頑張っていました。
ただ活動中、一つの不安がよぎりました・・・。
町民の方、何人かに「あんたは大丈夫!」って
言われるのです。「あんたは心配せんでもいけるよ!」って・・
その事がかえって恐いな~と思いました。。。
そして投票日、よるになって彼女の家に行きました。
後援会のみんなも集まっていました。
少しずつ中間速報が入ってきます。
3回目の時、票が伸びず状況は暗雲へ
そして、最終結果が出て彼女は落選しました。
投票日の次の日は彼女の誕生日でした。
彼女の弟さんが、みたこともないくらいの大きなケーキを
事務所に持ってきました。
落選して、落胆して悔しさあふれる事務所で
皆で「ハッピーバースデイ」を歌いました。
こんなに悲しい気持ちで誕生日を祝った事はありません・・・。
彼女が落選した事は、他陣営もびっくりしていました。
票読みをする人でも彼女の落選を予想した人はいませんでした。
前評判で彼女は当選確実と思われていました。
ひょっとしたらトップ当選かも?とよむ人もいたようです。
そして約一週間の選挙活動もすごいと言われていました。
すごい好感が持てたといわれました。
でもかえってそれが仇になったようです。。。
この人は当選確実やから他の人に・・といった感じに
票が流れていきました。
落選という結果の次の日、もう一度投票があれば
きっと彼女は当選するだろう!と思いました。
ただ、一つ感じたのはこの町には宮崎県のような
新しい風は流れていないのだと・・・
町民が、自分達の町を良くしたいと切に願ってはいない
閉鎖的な町なのだと感じました。
今のままでは決して良くはならないのに・・・・。
落選後、彼女は一軒一軒あいさつ回りをしていました。
いろんな人に「あなたが落選するなんて・・ごめんなさい」
と何人にも言われたみたいです。
その中で、ある年配の方が彼女に泣きながら詫びていました。
「いろんな義理であなたにいれなかった。でも本当は
あなたに入れたかった。一番好感が持てた。でも他の候補者
に恩があったので、と。でも次からはやっぱり自分の
住んでいる町のことを真剣に考えてあなたに投票します」
と言われ、落選した日、泣かなかった彼女もこの時ばかりは
涙ぐんでいた。。。
私も、選挙活動をしてみて選挙って色んな人の思惑で
本当に色んなことが渦巻いているんだと思った。
本当に現代の「戦」だと思う。
私達の今回の戦いは、桶狭間の戦いで織田軍に
奇襲にあい、あっけなく敗れた今川義元みたいでした。。
もし彼女の家来に山本勘助がいたら・・
上杉謙信がいたら・・結果は違っていたと思う。
4年後彼女が選挙にもしでたら当選させてあげたい・・・。
今年の4月、私の友達が町長選にでました。
新人で無党派でした。
彼女は、一年以上前から選挙に出たいといっていました。
大好きな自分の育った町をよくしたい!
主婦として母として、自分に出来る事はないだろうか!?と本当に言っていた。
議会傍聴も何度も足を運び一生懸命勉強を重ね
長年働いた会社も中途半端なことはできないと退社までして
この選挙にかけていた。
彼女は何ヶ月も一生懸命頑張っていた。
そして、私も事務所開きの日から毎日手伝いに行きました。
カラオケBOXでウグイスの練習、新聞の取材など
目まぐるしく毎日が過ぎました。
そして、4人が落選するという激戦の中
自分達にできることを一生懸命頑張りました。
私は、お弁当の用意や車にのってウグイスをしたり
みんなで歩きながらお願いにまわったり
本当に毎日、足が痛くなるまで頑張りました。
人の声援が本当に温かく感じました。
応援している私でもこんなに嬉しいのだから
候補者の彼女は本当にそれを感じ取って頑張っていました。
ただ活動中、一つの不安がよぎりました・・・。
町民の方、何人かに「あんたは大丈夫!」って
言われるのです。「あんたは心配せんでもいけるよ!」って・・
その事がかえって恐いな~と思いました。。。
そして投票日、よるになって彼女の家に行きました。
後援会のみんなも集まっていました。
少しずつ中間速報が入ってきます。
3回目の時、票が伸びず状況は暗雲へ
そして、最終結果が出て彼女は落選しました。
投票日の次の日は彼女の誕生日でした。
彼女の弟さんが、みたこともないくらいの大きなケーキを
事務所に持ってきました。
落選して、落胆して悔しさあふれる事務所で
皆で「ハッピーバースデイ」を歌いました。
こんなに悲しい気持ちで誕生日を祝った事はありません・・・。
彼女が落選した事は、他陣営もびっくりしていました。
票読みをする人でも彼女の落選を予想した人はいませんでした。
前評判で彼女は当選確実と思われていました。
ひょっとしたらトップ当選かも?とよむ人もいたようです。
そして約一週間の選挙活動もすごいと言われていました。
すごい好感が持てたといわれました。
でもかえってそれが仇になったようです。。。
この人は当選確実やから他の人に・・といった感じに
票が流れていきました。
落選という結果の次の日、もう一度投票があれば
きっと彼女は当選するだろう!と思いました。
ただ、一つ感じたのはこの町には宮崎県のような
新しい風は流れていないのだと・・・
町民が、自分達の町を良くしたいと切に願ってはいない
閉鎖的な町なのだと感じました。
今のままでは決して良くはならないのに・・・・。
落選後、彼女は一軒一軒あいさつ回りをしていました。
いろんな人に「あなたが落選するなんて・・ごめんなさい」
と何人にも言われたみたいです。
その中で、ある年配の方が彼女に泣きながら詫びていました。
「いろんな義理であなたにいれなかった。でも本当は
あなたに入れたかった。一番好感が持てた。でも他の候補者
に恩があったので、と。でも次からはやっぱり自分の
住んでいる町のことを真剣に考えてあなたに投票します」
と言われ、落選した日、泣かなかった彼女もこの時ばかりは
涙ぐんでいた。。。
私も、選挙活動をしてみて選挙って色んな人の思惑で
本当に色んなことが渦巻いているんだと思った。
本当に現代の「戦」だと思う。
私達の今回の戦いは、桶狭間の戦いで織田軍に
奇襲にあい、あっけなく敗れた今川義元みたいでした。。
もし彼女の家来に山本勘助がいたら・・
上杉謙信がいたら・・結果は違っていたと思う。
4年後彼女が選挙にもしでたら当選させてあげたい・・・。