きまぐれ愛犬ラナのおうち

18歳と5日で虹の橋に旅立った初代ラナ、その後迎えた2代目ラナのブログです。

姉ラナの旅立ち

2012-01-24 13:18:15 | 姉ラナ旅立ち-ラナとの出会い
長文です。姉ラナの旅立ちを書きたいと思います。
最後に姉ラナの最後(亡骸)の写真を載せますので、苦手な方はスルーして下さい。
最後の写真を載せるのは、18年5日を生き抜いた姉ラナの最後の姿を、最後まで頑張った姉ラナを見てほしいからです。

2011年5月3日、その日はGWで、私もラナパパもお休みでした。
何の変わりもなく、いつもの毎日、もちろん姉ラナも元気でした。
その日の夜、姪が来ていたので、夕飯に焼きそばを作り、いつものように姉ラナも食卓を囲み、大好きな焼きそばにテンションの上がっていた姉ラナ、本当に元気でした、私の食べるのを横取りした時に、私のお箸を折ってしまうくらい元気でした。
23時頃でした、突然寝た姉ラナ、起きようとしてもなかなか起き上がれず、起き上がっても同じ方向に回っていました。
痴呆になってから、同じ方向に回るのは毎日のことやったので、いつもと同じ光景。
日付が変わった2011年5月4日午前0時過ぎ、一度吐きました。
でもしんどそうではない、いつもなら寝てる姉ラナが、寝かしたら起き上がるを繰り返しました。様子を見ていましたが一向に寝ません。
しんどそうな気配すらなし、普通でした。
夜中2時半くらいにもう一度吐きました。
そのとき鼻からも吐いたものが出たので、私が鼻を吸い、吐いたものを出しました。
寝かせても起きるを繰り返し、明け方5時頃、突然普段鳴かない姉ラナが泣き出しました。抱くと落ち着き、下ろすと鳴く、5時過ぎから姉ラナを抱いたまま、部屋中を歩きました。
かかりつけ医に電話しましたがつながらず、留守電にメッセージを残しました。
9時前豪快に吐いた姉ラナ、口からも鼻からも大量に液体を吐きました。
慌てて病院を探し、祝日でもしている病院に電話を入れ症状を話しました。
ゼイゼイ言う姉ラナ、慌てて病院に連れて行き、かなりの人やったので、先に先生が車まで姉ラナを見に来てくれました。
症状を話し、鼻からも吐いたので、器官に入ったりしているかもしれないと伝えました。
先生は『見た感じ大丈夫です、今すぐ診察するほどでもないので順番を待ってください』
私『死んだりはないですか?』
先生『見た感じそんな死ぬどうこうはないですよ、昨日寝てないから寝てるだけです』と言われ、安心して泣いてしまいました。
しばらくして、姉ラナが目を覚まし、また鳴き始めました。
目を見ると眼振が、眼振は初めてではなかったので、もう一度先生を呼びました。
先生『前庭疾患ですね。眼振で目が回る、だから吐くんです。』
私『この子普段鳴かないんです。鳴いてるのは?』
先生『あのね、世界が回ってるんです。怖いんです。寝れないのもそのせいです、人間でも回ってたら怖いでしょ!』と言われましたが、以前の眼振のときは鳴くことはなかったし、その時も前庭疾患と言われたけど、こんな感じではなかった…。
順番になり、私は先に『先生この子かなり吐いたので脱水症状が心配です。吐いたときにも鼻からも出たから器官に入ってるかもしれへんし』と何度も伝えました。
先生から『前庭疾患ですね、右回りに回ってたでしょ?』 
私『この子痴呆で歩くときは回るから、どっちにまわってかって言われたら両方です。』
先生『首を下にしてたり、首がお尻のほうに言ってたでしょう?』
私『言ってたけど痴呆になってからそんなポーズはずっとしてました』
先生『前庭疾患は脳からきてる場合もありそうなると麻酔をして…(説明続く)』
私『先生この子はもう18歳で麻酔に耐えれるかわからへん、だからとりあえずこの吐き気と苦しいとこあるならそれを取り除いてあげてほしい』と言いました。
すると先生いきなり姉ラナを両手で持ち上げ、姉ラナを宙に浮かし左右にゆっくり振り始めたのです。そのとき姉ラナの鼻から液体が出ました。先生は汚いものをよけるように、自分の体を後ろにずらし、姉ラナを宙に浮かしたまま前に出しました。私は悲しいのと怒りがこみ上げました。
看護師さんも診察台についた姉ラナの液体を姉ラナの枕で使っていたタオルで拭きました。
診察室に入り20分以上治療は行われず、前庭疾患についての説明だけ、先生は明日これるか?と言われたので、明日連れてこれるけどかかりつけ医があいてたらそちらに行くと伝えました。
すると先生『かかりつけ医の先生も、前庭疾患やからこれが最善の治療ですと言うはず、腎臓の数値も高いから。かかりつけ医に言ったら、もう間違いなく前庭疾患ですと言われます、明日も点滴に来てほしいですど、明日かかりつけ医に言ったら前庭疾患と言われましたというください』と言われました。
腎臓の数値が高いのは毎日飲んでる、薬の副作用と言うのも伝えましたが、この医者は私たちの話はすべて無視して前庭疾患と決め付けました。
そして脱水症状の出ている姉ラナに治療が始められたのは、診察室に入って30分以上経過してからでした。診察中聴診器すら、姉ラナの体にあてることはありませんでした。したのは血液検査と鼻から出た液体を調べただけ。
その間も鳴き続ける姉ラナ。輸液の点滴、抗生物質、吐き気止めを打ちました。
診察室から出るとき、抱いた姉ラナは首がダランとしていました。
病院から出て帰りの車の中で、前以上に苦しそうにゼイゼイ声を出し息をはじめた姉ラナ、薄目を開けていたので、目を閉じようと触れたとき、異様に冷たく、硬直して目が閉じれない、口も閉じれない。
『ラナパパ!姉ラナが死後硬直みたいに冷たくて固まってる!』と叫びました。
家に着き、先ほどの病院に連絡を入れて、こんな状態で目も閉じません。
と伝えると、
先生『目のとこに手をやると目を閉じるので』と言われました。
そんなもんとっくにしてるわ!頭にきた私は『もうね、息は苦しそうにしてるけど、死後硬直みたいに冷たくなって固まってるんです!だから今からまた行きますから診てください。』と泣きながら言いました。
すると…先生『もうかなり危険な状態ですね。でも連れてこられても困ります、うちではきちんとした治療をしたのでこれ以上できることはありません』と。
頭が真っ白でした。苦しんでる姉ラナを前に何もできない自分。
もう一件電話しましたが、そこも診てはくれませんでした。
泣き叫び、ラナパパと二人、『姉ラナ!頑張って!!逝ったらあかん!!』と体をさする事しかできませんでした。
姉ラナが吐きました。
それと同時に…呼吸が止まりました。
心臓は動いている、慌てて私は鼻から空気を送りこみました、呼吸を再開した姉ラナ、泣き叫び姉ラナの体をさすり数分後、心臓呼吸ともに止まり、ラナパパと心臓マッサージと空気を送り込むと、動き出した心臓、呼吸も再開、
『姉ラナ頑張って!逝かんといて!』と何度も泣き叫びました。
大きな深呼吸をして再び心臓と呼吸が止まりました。
心臓マッサージをしようとする私の手を握り、ラナパパは『もうやめたり、姉ラナはやっと今楽になれた…』
私『いやや!!姉ラナ逝ったらいやや!!私も一緒に逝く!姉ラナ一人では逝かせへん!!姉ラナと逝く!!』と何度も泣き叫びました。
ラナパパは『そんなん言わんといて…一緒に逝っても姉ラナはよろこばへん、そんなん姉ラナは望んでない、姉ラナよく頑張ったな』と泣いていました。
泣き崩れ、叫ぶ私、姉ラナにすがり『姉ラナが逝ったらママはどうやって生きていけばいいの、一緒に逝く』と繰り返す私に、ラナパパは『姉ラナは、頑張って生きた。俺らが看取れる日を選んだんや、やっと楽になれたんや、姉ラナに心配かけるようなこというな』と言われました。
2011年5月4日13時40分頃享年18歳と5日姉ラナは、私とラナパパに看取られて虹の橋へと逝ってしまいました。
姉ラナを抱きしめ、泣き崩れました。
お世話になった友達に姉ラナが旅立った事をメールしました。
電話をかけたmaikさんは、夕方、お花とお供えを持ってきてくれました。
泣く私を落ち着かせてくれました。姉ラナに手を合わせてくれました。
夜。
前に働いていた職場の友達と、高校からの友達が来てくれました。落ち込んでる私たち夫婦のために夜中まで姉ラナの思い出話を聞いてくれました。
和室には姉ラナの亡骸、いつものように寝てるみたいで涙が止まりません。
友人が帰ってからラナパパが、『ソファーにな、元気な頃の姉ラナが丸まって寝てるねん、姉ラナがなって話す度に顔上げてこっち見て不思議そうにしてたねん、姉ラナ帰ってきてるよ』と言われました。和室の亡骸にすがって泣きました。
姉ラナ最後の写真です。苦手な方は見ないでください。

















姉ラナはお花に囲まれて、大好きな食べ物に囲まれて、大好きなふかふかのお布団に寝かし、姉ラナの大好きやった毛布をかけて、永遠の眠りにつきました。
目は頑張って閉じさせようとしたのですが、開いたままでした。
最後に苦しませてしまったこと、病院で痛い思いをさせてしまったこと、それが一番辛いです。
苦しませた…それが本当に辛い。
姉ラナごめんね。姉ラナ…ほんとにごめん。
















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