気ままなお出かけけ日記

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贅沢品クルーズ 成田から自宅へ

2022-11-05 21:11:00 | 日記
成田空港に着くと

バルセロナでのコンダクターの言った通り

マイSOSのアプリをダウンロードしていない人は

足止めをされて

手続きをしていた

空港に車を届けてもらい(そういう契約をしていた)

いざ 自宅へ



飛び込んだサービスエリアで

空いていた(夜 遅かったので)店に 入った




手前 五目焼きそば 向こう五目ラーメン

醤油の味(中華だけれど)が 細胞 ひとつ一つに染み入っていった

この時点で 私たちからセレブ未満感は全て 消えていた !!


深夜に帰宅

犬が待ったいた(キューキューないて喜んだ)

(今回はペットホテルに頼まず ペットシッターを知り合いに頼んだ)

翌日 夫はゴルフを断れずに出かけ

私は 近所の清掃活動に出かけ 夕方も仕事に出た

これが仇になり

旅行 2日後から寝込み体調を崩した

友人から

「元気になるということは「元」の「気」を取り戻すことです」と

LINEがあった 確かに・・・と思った





贅沢クルーズ バルセロナからビジネスクラス(機上)

2022-11-03 16:02:00 | 日記
HISの方が ベンツ(勿論 運転手付き!何かセレブ感!)に乗って

港に迎えに来てくれた

バルセロナに十数年住んでいる日本人のツアーコンダクター

丁寧な日本語を久しぶりに聞いた

サグラダファミリア の顛末を話すと

「この 外国人がたくさん乗り降りする港で

英語が話せないタクシードライバーがいるんですか?!」と驚いていた

空港についても ツアーコンダクターの方が

片時も離れない

スリや置き引きが多発しているのだという

そして もう一つ理由があった




MY SOS のアプリをダウンロードして

私たちがその手続きを済ませることを

サポートすること




気軽に考えていたが これが

思いの外 手間がかかった(20分ぐらい)

60代後半の私たちには やり直しが多くて

アタフタしたが コンダクターの方が

ものすごく丁寧に手続き完了まで導いてくれた


スマホの画面を必死になって見続けている

私たちの代わりに 荷物番をしてくれていたのだ

配慮がありがたかった

「今度は バルセロナそのものの観光にいらしてください」

という言葉を背に受けて

私たちはチェックインして 憧れの

ビジネスクラスのラウンジへ

(ラウンジの場所も手続きの場所も 探すのは複雑で大変だった)

そこに めざとく見つけたのは 『ライスロール』

小さなご飯の巻物

早速 かぶりつく

やはり 日本食は恋しくなってしまう

っていうか 体が欲するようになる

嬉しかった〜〜ご飯

そして カタール空港のビジネスクラスに乗る

ドーハまで8時間 食事1回(スープと前菜だけ頼んだ)

ドーハでは ラウンジに行ったが

飲み物だけにして過ごした 3時間

そして 再びカタール空港に搭乗

嬉しかったのは 日本人のクルーがいたこと


成田まで17時間弱

フルフラットで眠れるのはありがたかった


















贅沢クルーズ サグラダファミリアにこだわった

2022-11-01 21:31:00 | 日記
バルセロナに来たのに サグラダファミリアを見られない

と 諦めていた

ところが 下船は9時からで

旅行会社にピックアップしてもらうのは11時

その間に タクシーでそばへ行って見ることができる

と夫が言い出す

バトラーにその意図を伝え なるべく早く下船手続きを済ませ

タクシーのところに案内してくれと頼んだ

簡単に okと受け合った

でも ことはそう簡単には運ばない

なんだかんだで タクシーに乗れたのが9時30分

それだって随分遅いのに



夫が英語で状況を説明すると

大声で 何か捲し立てる運転手さん

英語が分からない ということらしい

すでに走り出して いて 後戻りもできない

絶望的な気持ちになる

どこへいくと聞かれて気がしたので

サグラダファミリア!!と繰り返し通じた

私たちには時間がないので 写真を撮ったら

すぐ 船に帰ってこなければならないという状況を

どう 説明すれば良いのか

ラジオから 流れるスペイン語を聴きながら

途方に暮れていた

近寄ってきた サクラダファミリアを見て

私が 喜んでカメラを向けると

何となく 状況を理解してくれたようで 突然



と尋ねてくれて 二人で声を合わせてイエス!!と叫んでいた

サグラダファミリアのすぐそばで止めてくれて
(予想以上に 人のいいおじさんだった)

必死に写真を撮った






往復で36ユーロの写真

ドキドキした時間だった

(旅好きの友人が その方が記憶に残ると言った)





贅沢クルーズ バルセロナへ向けて1日クルーズ

2022-11-01 17:41:00 | 日記
クルーズの最後の日

1日中 クルーズなので ウダウダと部屋やジャグジーで過ごすことにした

朝食も 最上階のプールサイドのバーラウンジでとることにした

サンデッキ(最上階)にはすでに デッキチェアが並んでいて(朝4時ごろから並べる)

タオルを敷いて もう 場所取りをしている人がいた(すごい意気込み!)

特に白人系の人たちは 体を焼きたがる

顔や体が真っ赤になって 痛くないのか?と思うぐら 

お日様に当たる

日に焼けているのがステータス

(つまりバカンスに出かけられるぐらい豊かだという周りへの誇示)

なのだそうで その価値観は理解できない


私たちが参加したクルーズは

同じ場所から全員乗って 同じ場所を回るのだと思っていた

ところが 夫が食事の時 近隣の人たちに話しかけて分かったのは

「マルセイユから乗った」「ジェノバから乗った」と様々なこと

確かに 各寄港地で 新規に乗船する人たちの 窓口が開かれていた


乗船時 





こんなカードとバンドが渡される

どちらも カードキィになっている

普段は カード型の方を使う(顔写真が入力されていて 上下船の時に本人確認できる)

バンド型の方は ジャグジーやプールを楽しむ時につける

下船の時 もう必要がなくなったから

コンシェルジュに 「置いていっても良いし 記念に持っていっても良い」と言われた

ところが 下船時 カードで本人確認が必要だった(持ってなければややこしいことになっていた!)

こうした細かいことで とにかくいい加減(日本人がきちんとし過ぎる?)



旅行中 私たちは何回もこんな会話をした

本人たちには悪気はない むしろ役立ちたいと思っているから始末に悪い






贅沢クルーズ マルタ島 娘と

2022-11-01 16:38:00 | 日記
私たちの旅行の

もう一つのテーマ

それは 娘(三女)を連れてくること

2年前 娘は突然旅立った

現実を受け入れられなくて 私たちは混乱の坩堝に落ちていた

社会と関わるのをやめて

ひっそりと消えてしまいたいと 何度思ったかしれない

『死なないように 生きていた』

これは池袋の事故で奥さんと娘さんを失ってしまった

遺族の方の言葉

私たちは『死ねないから 生きていた』と言う感じだった

その最中 夫が





と言った

初めて 自分たちが生きていく意味を見いだせた気がした

近隣に 出かける時は娘に声をかける

遠くに行くときは

小さな骨壷に取り分けてある 遺骨のかけらを持っていって

海や景色の良い場所に埋めてくる

今回のクルーズにも 連れてきていた

その場所は マルタ島の海と決めていた



青い海にひらひらと沈んでいく娘の小さな遺骨

さまざまな思いが駆け巡り

涙が止まらなかった