既にご存じの方もいらっしゃると思いますが、12月1日、全日本仏教会から「原子力発電によらない生き方を求めて」という宣言文が出されました。
(全日本仏教会のホームぺージはこちらから)
冬を迎えて更に厳しい日々を送ることになる東北の被災地、特に福島の現状をふまえ、さらに未来の子供たちへの懺悔をこめて、日本の仏教界が原発に対しての考え方をはっきりとした形で宣言しました。
全日本仏教会が宣言文を出すとい言うことは、日本の仏教系宗派すべてが賛同しているということですので、この宣言文は私たち僧侶、そしてすべての仏教徒のこれからのエネルギーに対する考え方の基本理念になることと思います。
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原子力発電によらない生き方を求めて
東京電力福島第一原子力発電所事故による放射性物質の拡散により、多くの人々が住み慣れた故郷を追われ、避難生活を強いられています。避難されている人々はやり場のない怒りと見通しのつかない不安の中、苦悩の日々を過ごされています。また、乳幼児や児童をもつ多くのご家族が子どもたちへの放射線による健康被害を心配し、「いのち」に対する大きな不安の中、生活を送っています。広範囲に拡散した放射性物質が、日本だけでなく地球規模で自然環境、生態系に影響を与え、人間だけでなく様々な「いのち」を脅かす可能性は否めません。
日本は原子爆弾による世界で唯一の被爆国であります。多くの人々の「いのち」が奪われ、また、一命をとりとめられた人々は現在もなお放射線による被曝で苦しんでいます。同じ過ちを人類が再び繰り返さないために、私たち日本人はその悲惨さ、苦しみをとおして「いのち」の尊さを世界の人々に伝え続けています。
全日本仏教会は仏教精神にもとづき、一人ひとりの「いのち」が尊重される社会を築くため、世界平和の実現に取り組んでまいりました。その一方で私たちはもっと快適に、もっと便利にと欲望を拡大してきました。その利便性の追求の陰には、原子力発電所立地の人々が事故による「いのち」の不安に脅かされながら日々生活を送り、さらには負の遺産となる処理不可能な放射性廃棄物を生み出し、未来に問題を残しているという現実があります。だからこそ、私たちはこのような原発事故による「いのち」と平和な生活が脅かされるような事態をまねいたことを深く反省しなければなりません。
私たち全日本仏教会は「いのち」を脅かす原子力発電への依存を減らし、原子力発電に依らない持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指します。誰かの犠牲の上に成り立つ豊かさを願うのではなく、個人の幸福が人類の福祉と調和する道を選ばなければなりません。
そして、私たちはこの問題に一人ひとりが自分の問題として向き合い、自身の生活のあり方を見直す中で、過剰な物質的欲望から脱し、足ることを知り、自然の前で謙虚である生活の実現にむけて最善を尽くし、一人ひとりの「いのち」が守られる社会を築くことを宣言いたします。
2011(平成23)年12月1日
財団法人 全日本仏教会
http://www.jbf.ne.jp/2011/12/post_214.html
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福井の大本山永平寺の役寮(雲水の指導者)さんが、去る11月に「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開くなど、宗門内でも動きが活発化してきています。
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もんじゅの名、許されるのか 永平寺の僧が原発シンポ(23年10月29日 朝日新聞)
曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)で修行僧を指導する僧らからなる寺内組織「禅を学ぶ会」が11月2日、「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開く。
生まれ来る命にも思いを寄せた釈迦(しゃか)の言葉を引き、放射性廃棄物という「負の遺産」を子孫に残していいのか問いかける。
燃やした核燃料より多い燃料用のプルトニウムが得られるとされた高速増殖原型炉「もんじゅ」、日本が独自に開発を進めていた新型転換炉「ふげん」の名は、1970年、動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)の幹部が、知性と実践を象徴する文殊(もんじゅ)と普賢(ふげん)の両菩薩(ぼさつ)から取った。
「文殊菩薩の智慧(ちえ)は仏教の智慧であり、科学知識とは違う。許される名前ではなかった」と、同会の西田正法事務局長は話す。
仏教者として菩薩と世間におわびしたい思いから、シンポジウムを企画した。
釈迦は「すでに生まれているものでも、生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ」と説いたという。原発を動かす限り、半減期2万4千年のプルトニウム239が生み出され、子孫に残される。西田事務局長は「『私たちさえよければ』という欲に支えられた利益を漠然と享受してきたことを自覚し、一人ひとりが生き方を選ぶためのシンポジウムにしたい」。
午後1時~同3時40分、永平寺町山の「四季の森文化館」で。同県小浜市の明通寺住職、中島哲演さんや、避難を余儀なくされた福島県飯舘村の酪農家長谷川健一さんの講演のほか、作家・朴慶南(パク・キョンナム)さんを交えたパネルディスカッションがある。
http://www.asahi.com/national/update/1029/OSK201110290085.html
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震災、そして原発事故が起こって間もないころ「フクシマが無くなっちゃうんじゃないかと思うんだよ・・」と言った友人がいました。
なにをそんなバカな、とその時は一笑に付したものでしたが、いま、その言葉が現実となってしまいました。
福島のある住職さんと話をしたときのこと。
馬場くん、オレはね、本堂や庫裡に3億円の保険掛けてんだよ。
だからさ、やろうと思えばすぐにでもお寺の建て直しができんだ。
でもな・・・・・・帰れねえんだよ、寺によ・・・・
原発から3キロしか、離れてねえんだもの・・・。
放心したような表情に、かける言葉が見つかりませんでした。
最近の新聞にも、仮設住宅に入っている方の半数余りがうつ状態になっている、との報道がありました。
特に地域の連帯感が希薄になっているところでの割合が多いようです。
以前も、関東に避難してきた方に鬱の人が多くなっている、ということを聞いたことがあります。
ノーモア、フクシマ、であります。
自助努力だけではどうにもならない現実があります。
これから、厳しい冬になります。今年は、特に厳しい冬になりそうです。
せめて、暖かい心、寄り添う心だけは忘れずにいたいと念ずる小さな私であります。
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秋色はますます深まっていきます。
師走に入って、寒さもますます厳しくなってきました。今日は墓地の開眼法要で保田の昌龍寺に出かけてきましたが、うう、うそのような寒さ。
被災地は雪が降っているだろうなあ、山形も雪だろうなあ・・・・・・。
倫勝寺の境内の紅葉も、もう真っ赤です。
今日はここまで。