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以前のブログに掲載しましたが、先月25日から28日にかけて、避難所になっている石巻市の曹洞宗寺院に行ってきました。
24日から現地に入った先発の方々と合わせて10名の典座和尚。
北海道、山形、神奈川、静岡、福井、愛知、兵庫、大阪と各地から集まったメンバーで、26、27の2日間、炊き出しを行いました。
食器や厨房機器は仮設の台所が出来ているのでそれらを使わせていただき、
先に送っておいたお肉類や調味料、卵、プルコギ、ロールパン、餃子など持ち込んだ様々な材料、
そして各地からお寺に送られてきた野菜類などを使って食事を作ってきました。
(これら食事の内容は、典座の大先輩・楊林寺さんのブログに詳しいので、そちらをご覧ください。)
浜松市の市役所から派遣された給水部隊の方が、水タンクの確認に来てくれるなど、
全国からやってきた多くの方々が懸命に作業してくれていますが、上下水道などライフラインの完全復旧には程遠い感じです。
杓底の一残水・・の故事そのままの生活が続いています。
衛生面からするともう少し食器のすすぎをしっかりしたいところなのですが、お水は無駄にできませんので洗い物には特に気を使います。
これから梅雨を迎え、健康が害されることが無いかと心配になります。
夏の暑さを乗り越えるためにも、一刻も早い水道や電気の完全復旧が望まれます。
26日夕食の後、かねてから望んでいたことですが、お坊さんが10人集まりましたので、
山門の前で49日の予修法要をさせていただきました。
(愛知県の友人は200束の線香を持参してきました。)
梅花流御詠歌の特派師範でもある楊林寺さんが、香語の代わりにご詠歌を独詠(一人でお唱えすること)。
題名はわかりませんが、御詠歌がこんなに有難く胸に響いたことは此の数年ありませんでした。
大船渡に嫁にいった安否未確認の従妹のことが思い出され、涙が出てきます。
お地蔵様の向こうには、地盤沈下して水没した道路や家並みが見えます。
報道されないさまざまな事柄、場所、避難している方々のようす・・
現場に行かなければ気づかないたくさんのことがあります。
典座寮に「D源院共同生活の約束」という紙が貼ってありました。
1、みんなで元気よく挨拶をしましょう
2、はきものを整え、常に整理、整とん、清潔に心がけましょう
3、何ごともお互いに譲り合い協力し、マナーを守りましょう
4、天気のよい日は日光浴と散歩をしましょう
5、わずかな物でも分け合うようにしましょう
6、自分の出来ることは何でも手伝いましょう
7、神仏を敬い感謝の心を常に忘れないようにしましょう
8、生活に必要な規則を作り、皆で守りましょう
この約束事は、避難所として機能し始めた最初のころ、住職さんが作ったのだそうです。
あまり細かいことが書いていないことが、かえって良いのですね。
食事の後の片付けや後始末は皆でします。
境内で出会えば子供たちは大きな声で挨拶してくれますし、大人たちもみんな気持ちの良い挨拶を交わしています。
避難所に一緒に暮らす子供たちは、皆で育てている雰囲気があります。
朝のお勤めも、用事がある人以外は皆、自主的に参加しています。
日光浴と散歩は「年寄りが家の中で暗くなって、その上じーっとしていたら、動けなくなるからね」と方丈さんが説明してくれました。
いずれは一人ひとり元の生活に戻っていくわけだから、自主性を損なうことの無いようガミガミ言わない。
ただ、最低限のルールだけは守ってもらう。
住職や寺族さんを父母とする「大家族」のかたちが、とても良い雰囲気を作り出しているのだと思いました。
「ただね、ちょっと困ったこともあってね」と、住職さん。
帰ってきてしまうケースもあるのだ、というのです。
遠い親戚や他の避難所に移っても、うまくなじめずお寺に戻ってきてしまう家族がこの数日で何組もあったとか。
帰ってくるにはいろいろな理由があるのでしょうが、近い将来には自立しなければならないことを考えると、
手放しでいいよというわけにはいかないのでしょう。
被災者の経済的なことや、心のケアのこと、そしてもちろん受け入れをしている住職さんや寺族さんのことを考えると、
避難所に多くの課題が山積していることにあらためて気づかされました。
27日のこと。
夕食準備の目途がついたころ、お寺の娘さんが子供たちと一緒に摘んだ土筆をもってきてくれました。
さっそく、楊林寺さんが土筆のはかまをひとつひとつ指先で剝がしていきます。
「いつもなら包丁で、ざざっとはかまを落とすんだけど・・・今日はそんなわけにはいかないな・・」
丁寧にはかまを外された土筆は、さっと茹でて薄味のだし汁で煮含められ、卵とじになりました。
ほんのり苦味のある土筆が、ふんわり卵の出し汁とあいまってなかなかの逸品です。
自身も津波にさらわれて一時行方不明になったお寺の娘さんが、避難している子供たちと一緒に裏山で摘んできた土筆の卵とじ。
穏やかな春の訪れを願う心を、強く感じたことでありました。
ガレキと化した市街を見下ろす日和山公園。ちょうど桜が満開です。
いつもの年であれば、きっとたくさんの花見客でにぎわう場所に違いありません。
公園の一角に、前回来た時にはなかった石巻市民憲章が掲げてありました。
まもりたいものがある
それは生命の営み
豊かな自然
つたえたいものがある
それは先人の知恵
郷土の誇り
たいせつにしたいものがある
それは人の絆
感謝の心
わたしたちは石巻で生きて行く
共につくろう
輝く未来
製紙工場の煙突や、海岸近くのガレキの中に鯉のぼりが泳いでいました。
潮風と緑の中を、この鯉のぼりが泳ぐことのできる日が早く来ることを願っています。
また、ご飯作りに行きますよ。
今日はここまで。
追記:浜岡原発の運転停止を首相が要請するとのこと。原発に不安を持つ者にとっては、ほっとひと安心、であります。
しかし、これ以上不安を増さないための処置とはいえ、発電所の停止は中京圏、ひいては日本全体の産業に大きなブレーキをかけることも確か。
国民生活や経済に支障をきたさぬよう、しっかりとバックアップ体制も整えていただきたいものです。
人気取り、思いつき政策、と言われぬように。
また宜しくお願い致します。
私は7月には行くよていです。
7、8月はお盆月でまったく駄目ですので、6月中か9月上旬にと考えています。
ご一緒出来たらよいのですが。