さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

なむなむぽすと

2016-05-06 15:05:00 | 倫勝寺の日々

 

「ご供養」というと、特別な時だけ手をあわせたりお線香やお花をあげることだけと思いがちですが、亡くなった方へお手紙をかいてみる、こんなご供養の仕方はいかがでしょうか?
 
日々の暮らしの中で、亡くなった方々のことを思い出す機会は決して少なくありません。
「こんな時、親父だったらどんな風に対処するだろう?」
「あの子に母親としてしてあげられることはどんなことなのかしら?お母さん、教えて・・・」
「なぜ、あのとき、あんな言葉を使ってしまったのか・・」
返ってこない答えに耳を澄ませながら、お墓やお仏壇の前でなんども問いかけをしたことがある方もいると思います。
かくいう住職も途方に暮れて墓前に立ち尽くしたひとりです。
 
    
 
いまはまがりなりにも住職を務めさせてもらっていますが、20年前に先代が亡くなったときはこれからどうやってお寺を守っていけばよいか見当もつかず、
お墓に参っては何もできない自分を卑下し、早々にこの世から立ち去ってしまった先代を恨めしく思ったりしたものです。
 
    
 
親しい人を亡くした時の悲しみのふかさや質は、一つ屋根の下で暮らしてきた家族であっても、ひとりひとり違うものです。
「時間がいちばんの薬」とはいうものの、時間が経つにしたがって深くなる悲しみや後悔もあります。
住職という立場上、自分ひとりの胸にしまってきた切ないお話をいただくことも少なくありません。
 
    
 
そんなときは、亡き方にむけてお手紙を書かれては?とおすすめしています。
生前伝えきれなかった想い、感謝や謝罪、いたわりの言葉、そしていま抱えている愚痴や悩みや怒りや悲しみ、心の中のさまざまな思いを手紙にしたためてみる。
お手紙を書いているうちに、買い物に行った街の景色、遊びに行った公園の木々の緑の匂い、作ってくれた料理の匂いや味、交わした会話まで思い出すかもしれません。
思い出せば辛くてなかなか筆が進まないこともあると思いますが、亡き方との距離を縮めるような気持ちで、少しずつ心の整理をして頂ければと思います。
 
     
 
大切なかたがいなくなった後、なかなか立ち直れないし、自分の気持ちの整理もつかない。
「頑張れよ」なんて言われてもなかなか頑張れないし、日常の生活に支障をきたすこともあるかと思います。
でも、いつまでも悲しみのなかに立ち止まったままでは、かえって亡くなったかたから心配されることになります。
 
気持ちの整理が上手くつかない時には、日々のご供養の一つとして、ぜひお手紙を書いてみてください。
もちろん、大事な家族の一員であるペットへのお手紙でも結構です。
お手紙はお墓参りのおりに「なむなむぽすと」へお届けください。
毎月のお焚きあげでご供養をいたします。
 
「なむなむぽすと」は鳳倫閣一階のお焚きあげ箱の上に設置してあります。
 
 
 
今日はここまで。
 

さんぜのまなざし goo別院 1605



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