さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

20240602 水無月つれづれ 山形へ行ってきました

2024-06-02 17:44:58 | 倫勝寺の日々

5月下旬、大変お世話になった山形の方丈様の本葬儀があり、山形に行ってきました。

私が東京別院在籍のころは曹洞宗のお役で東京別院の寮にお住まいで、毎日のように顔を合わせていました。
その後、私が横浜に来てからもいろいろとご教示いただきました。
また、後継の現住職様には歳が近いということもあり、近しくお付き合いをさせていただいています。

(ひめさゆりの花は、山形県大江町の大山自然公園ユリまつりで撮影したもの 
 6月上旬まで見頃とのことです
 白いひめさゆりは数が少ないので、見つけられてラッキーでした)

亡くなられた方丈様のお寺は、山形市内、繁華街のまん中にあります。
その昔、父が3歳のころ、若くして祖母が亡くなったのですが、お骨をそのお寺の境内墓地の一角に埋葬させていただいていました。
祖母が亡くなったころ、家族は山形市内で理髪店を営んでおり、いろんなご縁からその方丈様のお師匠様にご葬儀を依頼したのです。
当時の写真には遺骨を抱いた祖父と白の裃を着た小さな父が、お寺の唐破風の下でたくさんの会葬者に囲まれて写っています。
まだ若かった祖父は祖母を埋葬後、佛性寺に暮らしていた曾祖母に父を預け、自分は船乗りになって日本各地をまわるようになりました。
当時の船員手帳を見ると、いろんな寄港地の押印があります。
横浜にも来ていましたね。

父と曾祖母の二人暮らしはかなり長く、父が僧侶になることになったのも、曾祖母の影響がかなりあったようです。
詳しくは書けませんが、父と祖父の間の確執は相当のものがありました。
私が僧侶になったのがそんな確執や愛憎、愛情などのご縁の延長上にあることを考えると、不思議だけど必然だったのかな、と思います。

佛性寺に名和家のお墓ができ(私の旧姓は名和です)、山形市内のお寺から西里の佛性寺に祖母のお骨を改葬したのはかなり後になってからです。
私が小学校に入学する前後だったのではないかと思うのですが、定かではありません。
農協に勤めていた父と、祖父の経営する西里の理髪店に勤めていた母が結婚して佛性寺に住まいするようになり、
私が3歳の時、同居していた曾祖母も亡くなって、同じお墓に祖母も入れてあげようということになったのでしょう。
ただそのころ祖父はすでに再婚していましたから、上記のように、父と祖父の間にはいろいろと面倒があったかもしれません。

お骨の改葬の日は大雨でした。
父母が誰かに手伝ってもらいながら、泥だらけになって作業していました。幼かった私はただ見ているだけでした。
その日のうちに小さな車で西里の佛性寺までお骨を運び、雨が小やみになったころ、納骨したのでした。
お骨は壺に入っていたのか、そのまま埋葬されていたのかは判然としません。

つらつらと余分なことを書き出してしまいましたが、そんなお骨をお預けたご縁もあり、山形の方丈様にはなにがしか親近感を抱いていたのでした。

倫勝寺先代の3回忌で私が新住職の任命式を執り行った時、お招きしていたその山形の方丈様が
「自分が横浜倫勝寺初代と思って力を尽くしていきなさいよ」
と励まされたのを鮮明に覚えています。

今回の本葬儀で山形の方丈さまが24,5歳ころ、先代住職が亡くなって急に跡目を継ぐことになりかなり苦労したという話をお聞きし、当時の励ましの言葉が胸落ちした次第でした。

山形の方丈様はじめ、新潟長岡の方丈様や芝の御前様、法類、法友、親戚と、いろんないろんな方々に支えられ教えられながらここまで歩んでこられたことを、
あらためて感じています。
ちゃんとご恩返しができているのかどうか怪しいな、と思いながら、横浜への帰途に就いた私でありました。

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山形に帰った翌日、目の前の小学校は運動会が行われていました。

全学年、全校生徒(といっても少ないのですが)を赤、黄色、青、白の4組に分かれたリレーを見学しましたが、ものすごく盛り上がってました。
子どもたちや保護者、おじいちゃんおばあちゃんの応援の歓声が聞こえるのはとてもうれしいものです。
私が通っていたころは1学年2クラス各30名、全校で360名以上いたのですが、今は○○名くらい(実数わからないので○○です)。
10年後には町立小学校が統合される見込みだそうで、閉校になれば静かになってしまいます。

少子化は止められないのか・・・
大本山總持寺はじめ、各地の修行道場も修行者が少なく、これまでと同じような行持ができなくなってきています。
法要だけでなくご飯、お掃除、講習、さまざまな行持が実行不可能では、修行になりません。
少ない人数でもこれまでの行持やスタイルを固持していくか、大ナタふるって修行道場のあり方自体を変えていくか、
もしくは道元禅師の時代までさかのぼって僧堂だけで自己完結するような形に戻すか・・

少子化の問題はかなり深刻です。

留守にしている間に横浜ではアジサイが咲きだしました。

ここ数日の雨で、花色も一層きれいに鮮やかになってきています。

今日はここまで。



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