さんぜ通信

合掌の郷・倫勝寺のブログです。行事の案内やお寺の折々の風光をつづっていきます。 

宮戸夏まつり

2011-08-28 21:09:15 | 東日本大震災



宮戸夏まつり

先のブログにも書きましたが、8月26日金曜日、宮戸島で行われた「宮戸夏まつり」に参加してきました。
この御祭りは、避難所や、友人宅に身を寄せて共同生活をしていた方々が、浜の高台に作られた仮設住宅に引っ越しが完了したのをきっかけとして、
生活再建を応援し、そしてバラバラに住んでいても島の人こころはひとつだということを確認する「絆」としての夏祭りだそうです。

 

海老名からわざわざ来て下さった宗務所長さんと、集合場所を提供して下さった本覚寺さまの見送りを受け、
総勢6名、2台のワゴン車の分乗して朝7時に横浜を出発。一路、宮戸島を目指します。
ドライバーはU形氏、ナビはG典君。

野蒜海岸の仙石線にはまだ電車が停車したまま。

宮戸島に向かう野蒜海岸の道路はかなり整備が進んできました。いい感じです。

 

しかし、目を反対側に転じると、やはりそこには瓦礫の山。
冠水した土地を、瓦礫運搬のトラックが絶え間なく往復しています。

宮戸島と本土をつなぐ橋は、まだ仮設の様子。まさしくココがボトルネック・・・



途中休憩をはさんで午後2時前に到着。



もうすでに多くの団体が露店を組んで、開店準備を終えています。中にはすでに開店のところも。

秋田から横手焼そば、山形から玉コンニャク、奈良の修験道や真言宗の団体はお好み焼きや焼きそば。
アメリカのキリスト教関係の人はかき氷、東京日野市から保護司さんの関係団体はポップコーン・・・



目についただけでも20数店はあったでしょうか。
プロのラーメン屋さんのところは気合が入っていましたね。すでに行列ができて、整理券の配布をしていました。

われわれも急いで準備に取り掛かります。
パンケーキ、玉コンニャク、チョコバナナ、アイスコーヒー、ハート形のバルーン、お菓子のつかみどり・・・・

 

 

露店の他にはいろんな団体がチャリティーでまつりに参加していました。
会場内には特設リングが設置されて、女子プロレスの方々がチャリティー興行を行っていましたし、
ステージでは芸能人のトークや歌、二胡奏者・ウールーチンさんのコンサート、最後には大花火大会(1000発もの打ち上げがあったそうです)と、いろいろ盛りだくさんの内容でした。


パンケーキを配ったり、玉コンニャクを子供たちにあげたりしていると
「あら、また来てくれたんだねえ、あの時のうどんの人でしょ?」とおばあさんが声をかけてきました。
前回炊き出しに来た時、二言三言声を交わしただけでしたのに、覚えてくれていたようです。

おばあさんも仮設に入ったのでしょうか。
「おじいさんの分もくれる?」

はいはい、いくつでも持ってってください!
「ありがとね」

スーパーの籠に「叩き配り」をしていたバナナを入れると、おばあさんはにこにこしながら次の食べ物のブースに向かって歩いて行きました。

しっかりした足取り。

なんだか、すごくうれしいなあ。

 



浴衣を着た子供たちが本当に楽しそうに、チョコバナナやかき氷を頬張っています。
ボランティアの大学生たちとちゃんばらをしている子もいます。

みんな表情が明るくなっています。つらいこともたくさんあるのでしょうけれど、でも一歩一歩確実に前を向いて進んでいることがわかります。

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ブースの段取りができ、動きがおちついたところを見計らって、お店を抜けて今回のもう一つの目的地である石巻・洞源院さんに出かけてきました。
宮戸島からは約30キロ位でしょうか。

三陸道を走り石巻市内に入ります。市内は4月に来た時と違い、かなり整備、片付けが進んでいます。
しかし一方では、コンパネ打ちっぱなしで何も手がつけられていないところも。



日和大橋を見ながら中州を越え、渡波をめざします。

自動車が浮いていた小学校のプールは、使っていないようでした。



乗用車が突き刺さって大変な状況になっていた墓地も、今はそれぞれにお花が飾ってあります。
お盆にはご先祖さまに安心してもらわなきゃ、って気持ちが痛いほどに伝わります。

津波で枯れてしまった松、市内あちこちにある瓦礫置き場。何時開業するとも知れないガソリンスタンド。
痛みを思い起こさせる風景もまた、ここにはたくさんあります。

でも、その一方、盆踊りをしている街の介護事業所も見かけました。



痛みを忘れず、痛みとともに生きていく・・・ふとそんな言葉が思い浮かびました。

さて、洞源院さんに近づくと、葬儀案内の立て看板が何枚もたっていました。
しかも喪主には住職さんの名前が。
どなたか寺族さんが亡くなられたようです。

参道を登っていくと、住職の奥さんが箒を持ったまま共同通信の記者の方と話をしています。
「あら、横浜の方丈さま、まあわざわざ遠くから・・、いつも心にかけてくださって・・」

挨拶もそこそこに看板のことをお聞きすると、97歳だった住職さんのお母さんが亡くなり、昨日葬儀だったのだそうです。
お寺に避難していた方々が大勢、おばあちゃんの死を悼んで焼香に来られたそうです。700人を超す方々が弔問に来られたとか。

奥にいた方丈さんが庭先に出てこられ、かわらぬ元気そうな様子で迎えていただきました。

なかなか二度目の訪問が叶わなかったことをお詫びし、
先日の倫勝寺夏祭りで集まった義捐金で購入した花火と、宗務所から託された梅花流ご詠歌の法具をお届けしてきました。

静かになったお寺の様子に「方丈さん、ここにいた方々、皆さん仮設に移ったんですか」とお聞きすると、
洞源院避難所は8月7日に解散式をしてね、という返事が返ってきました。
寺に避難していた多くの方々は、仮設住宅ができて少しずつ減っていき、8月10日に最後の方がお寺をあとにされたそうです。

「その後、疲れが出たのか、家族みんな体調を崩しちゃってさ、ちょっと具合が悪かったんだ。
母も疲れがあったんだろうね、ひと月ほど前から寺を出て姉のところに行っていたんだけど・・」

皆さんが無事に仮設に入ったのを見届け、津波や地震の犠牲者の初盆を終えて、おばあちゃんは旅立たれました。

住職さんは言います。

寺の近くや遠くの仮設住宅、みんなバラバラになってしまったけど、この避難所で暮らして得たみんなの絆を一層意強くしたいと思い、
避難所の解散式と同時に洞源院叢林会という会の立ち上げ式を行ったんだよ。

修行道場のことを叢林というけれど、ここで暮した皆は叢林で修行した仲間と同じ。
修行仲間の絆はけっして切れることがない。
避難所で暮らしたみんなも、離れていても心はひとつ。

何か困ったことがあればいつでもおいで。
お寺があり、一緒に暮らした仲間がいる。
みんなにそう伝えたんだよ。

仮設住宅に移った方々にも、慈愛のまなざしを注ぎ続けるその姿勢に、心打たれるものがありました。

「持って来てくれた花火は、今度の開創950年の式典でバーンとあげさせてもらおうかな!」

是非、お願いします。横浜の人たちの気持ちがこもってますから。

本堂の脇には、避難所にいた皆さんが彫った石仏がたくさん並んでいました。

~~  ~~  ~~  ~~  ~~  ~~  ~~

洞源院を辞して宮戸島に帰りついたのは、6時半を少し回った頃でした。
花火もあり、コンサートや芸能人も来るという時間帯になったので、縄文村は大混雑です。
われわれのブースも、チョコバナナや玉コン、パンケーキをすべて配り尽くしました。
すごい。やるなあ!

真っ暗になる前に急いで後片付け。
三陸道が夜間通行止めになるという情報もあり、花火の打ち上げ開始を見届けて、7時半過ぎには宮戸島を出発しました。

これだけの規模のまつりを行うとなると、下準備や根回しが大変だったことは想像に難くありません。
縄文村のスタッフの方々、ほんとうに御苦労さまでした。

お会いした皆さんの笑顔が、復興への強い意志を表しているように感じた住職でした。

今回の参加の様子、そして島の周辺の復興の様子はkamenoさんのブログに詳しく掲載されています。
ぜひご覧ください。

今度はフクシマ、だな。ゼッタイ行かなきゃいけません。


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今日のおまけ


先日、お寺の会合で熱海へ行きました。
運の良いことに、ちょうど花火大会の日。
宮戸島の花火は見られませんでしたが、熱海の花火はバッチリ見てきました。
手持ちなのでブレブレですが、とりあえず見られるギリギリのもの(?)だけアップしましたのでご覧ください。


今日はここまで



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