路地裏荒縄会

路地裏荒縄会

120126阿波座~海部堀川/赤レンガ

2012-01-29 11:53:04 | 2012/01-06


当日欠席された筆ペンさま

いきなり地下鉄の地図など無粋な画像で失礼します。
完璧でないけれど、
雰囲気をお伝えしますね。

阿波座駅集合。

赤ペンさんから
伏見稲荷の味噌せんべいの差し入れをいただきました。

これはおせんべいが鈴になっていて、
中に炒り豆が入っているだけでなく、
おみくじが挟まっているという超アイディアお菓子。

わたくし、赤レンガは小吉。

「今に見さんせ
 みごとに添うて 
 立ちし浮き名を
 反古にせぬ」

粋やねえ。
ちなみに他の方々は大吉。
おめっとうさん。

残りのおみくじももらって帰って引いたけど、今度は末吉。

「信州信濃の
 新そばよりも
 わたしゃお前の
 そばがいい」

もうほんとに、かっこええわあ。
ごめん、わたしゃ俳句よりもどどいつの方が水に合ってるかも。
って、これはこれで難しそうです。

なかなか先に進みませんね。
寒そうだなあ、ともじもじしていても仕方ありません。
さあ、出発!
う~、寒~!



今まさに、江之子島に渡ろうとしています。
橋が見当たらないので、まあ泳いで渡りました。
塀に囲まれた旧府庁跡をぐるりと一周。


北側にかかっていた「ざこばはし」の親柱は記念碑になっていました。

ちなみに、中央卸売り市場のちかくに「ざこば寿司」という店もありましたし、
落語家の名前にというのも、名前が消えずに残ってすてきですね。
「雑喉場」の説明は、大阪市のざこばばしの説明から抜粋します。

かつてこのあたりに百間堀川がながれていた。
川幅は30メートル程で江戸堀川、京町堀川、阿波堀川を集めて木津川に合流していた。
江戸時代より雑喉場の魚市と呼ばれ、天満の青物市、堂島の米市とならぶ大坂三大市場の一つ。
300年の歴史を持つ雑喉場も
昭和6年の中央卸売市場の開場によりその歴史を閉じた。
江戸後期、雑喉場から対岸の江之子島に架かる橋は、上之橋、下之橋の2橋があった。
明治に移り、7年に江之子島に大阪府庁舎が建設され、
その翌年、大阪で5番目の鉄橋として下之橋とほぼ同じ位置に雑喉場橋が架けられた。
その後2度改築されたが昭和39年に百間堀川の埋立てとともに、雑喉場橋も姿を消した。
雑喉場橋はこの碑の東側にあたり、この親柱は大正11年改築時のもので、
その上の照明灯は当時の姿を復元したものである。
橋長 35メートル
幅員 16メートル
(大阪市ホームページより抜粋)


復習すると、頭に入って行きますね。
残るかどうかは、私の場合また別です。



また川を渡って東に戻ります。
目の前に橋があるといのに、今回も泳いで渡ります。
冷た~い!

ブルブル!
でも、われら路地裏荒縄のおっさんとおばさんはパワフルなのです。
さあ、先に進みましょう。

中国領事館西側の少し広くなった道。
これこそが、船着き場だったところというペーパーさんの説明に
一同「おお!」と感激。
江戸時代の川の形のまま、道になっているのです。
ブラタモリもびっくり!

ここから、ペーパーさんのオリジナル俯瞰図が活躍します。
あみだ池筋を横切り靭公園の南の通り、
これこそが、海部堀川(小林さんはすこし南側では?とナビしてくれました)
地形だけではありません。
海産物問屋の荷揚場、および塩干魚・鰹節などの専門市場とだったということを証明するように、
鰹節を扱う会社が所々に見られました。

その中のお店の一つは、赤ペンさんのお友達のお店とか。
そこには入らず、今夜のメインコースの一番の見せ所、
永代濱に到着!



こんな大楠と神社があたっとは、
一同見過ごしていた景色に感動。



このカギ型の堀の形はペーパーさんの俯瞰図がすばらしく、
よくわかります。



さて、このなにわ筋を渡ると急におなかがすいてきました。



雰囲気だけで入ってしまったお店。
そのあとペーパーさんが教えてくれた「山海倶楽部」。
ほんとに楽しい夜でした。

今回3首の俳句を持ち込みましたが、
またしても成長のなさを露出しました。

赤ペンさんの商店街放浪記、
楽しみにしてまっせ。
もしかして、書こうと思っていた事を先に書いていたとしたらごめんなさい。
ここからそのままとってもオッケーです。
きっともっとオモロく演出してくださるでしょうが。

また次回、よろしく、です。