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「発達障害は生まれつきで治らない」という考え方は治りませんか?

2012年06月09日 00時15分36秒 | アスペルガー自閉症

今もまだ、「発達障害は先天性の脳機能障害であって治る事などあり得ない!」などという、どこのヤブ医者が言い出したかワカランような、誤った医学常識に洗脳されている人は、アップしている写真の本『発達障害は治りますか?』を読んでみると、きっと今までの常識が、ひっくり返ると思いますよ!

・・・って、ちょっと挑戦的な書き方をしてみたけど(汗)
先日から、記事やコメントの中で、「発達障害は治りますか?」という本の事について、ちょこちょこ触れてはいましたけど、まだ僕自身も、もうちょっと読み込みが足りてない感じはあるんですけど、「内容を完全に理解してから記事を書かなければ!」とか言ってたら、いつまで時間が掛かるかワカランので、とりあえず現時点で理解している事を、ちょっと書いておきます。

この本の主役?の神田橋條治先生の話では、「発達障害者は発達する」「知的障害の人も、知的に発達する」などなど、つまり現時点では「治る」とまでは言い切れないのかも知れないけど、改善が出来るという事は明らかのようです。
それで、そもそも「発達障害とは何か?」という事については、知的障害も含めて、脳にシナプスの発育のおくれがあって、シナプスの結合ミスが起きているという事であって、どの部分が、どの程度、発育がおくれているかによって、本来、症状は千人千通りであって、今のDSMの基準による診断のように「アスペルガー(自閉症)」「ADHD」「学習障害」「知的障害」などという大雑把な分け方をするべきものじゃないようです。
今の鑑別診断は、そういう粗すぎる診断しかしてないから、どんなに正確にDSM基準で診断したところで治療に結びつかないどころか、「今この人に何をすれば良いのか?」という治療のアイデアそのものが浮かんで来ない状況になっている!という風な事も語っています。
そして、「みんなみんな発達障害だ」という言葉も何回か出てきてたと思うんですけど、つまり、発達障害とは診断されない一般的な人も含めて?、遺伝子にプログラムされたとおりに、発達の段階で、ずーっとシナプスが繋がるのは奇跡のようなもので、シナプスの発育ミスが全くない人というのは、ほぼ皆無?のようなので、そういう意味では、一般的な人の「個性」と呼ばれるものと、「発達障害」との間には、明確な境界線があるわけではなく、きれいな連続性があるという事らしいです。
つまり、一般的な人の「個性」と呼ばれるものを「ごく軽微な発達障害」と言う事もできれば、病院で「発達障害」と診断される人の事を「生活に支障が出るほど個性が強すぎる人」という風に言う事も出来るし、「発達障害は、部分的な知的障害」という言い方もできるみたいです。
結局は全部、「シナプスの発育ミス」が原因なので、これからは、どの部分が、どの程度、発育がおくれているのか?という視点からの新たな診断法を作る必要があって、その診断が治療に結びつくように、どんな治療法(運動、リハビリなど)が、どんな発達障害パターンの人にとって、脳のシナプスを繋げたり代償的なバイパスを育成する為に有効なのか?という研究を重ねている段階のようなんですけど、そんな風に「発達障害の一次障害」と言われる根本的な部分から治そうと研究を続けている人たちは沢山いるらしいので、こういう話を聞くだけでも心強いですね!
もはや、「発達障害は治せる!」という医学常識のほうが一般化するのは、時間の問題のような気がします。
それから、今のDSM基準の診断法による「自閉症」とか「ADHD」などという概念は、将来的には消滅するのかも知れないという印象も受けましたね。
そして、「発達障害は先天性の脳機能障害であって治る事などあり得ない!」という今の定説のほうが、実は決定的な医学的根拠が何もない、ゴミのような俗説だったという事にも気づいたというか、本当は、ただ単に「今の医学では発達障害の原因も治療法も良く分かってない」というだけの事だったのに、いったい誰が「治らない」とかいうデマを流行させやがったんだろうね?(怒)
そんな僕も、ずっと「治らない」って鵜呑みにしてしまっていて、何年も信じ込んで生きてきたけど、ずいぶん人生を振り回されてしまったな・・・愚かすぎる痛い思い出がいっぱい(泣)
まあ、それでも、どうにかこうにか、死なずに生き延びて来られたから良かったけどね(汗)
で・・・「発達障害は生まれつきで治らない」が定説になってしまった理由については、3つくらい書いてあったと思うけど、1つ目は「発達障害の原因は、親の育て方に問題があるからだ!」という風に世間では言われていて、親の責任にされていた時期が長かったので、その名誉回復のために「育て方の問題によるものではなく、生まれつきの障害だ!」という風に強調しなければならない時期があったという事。
それから2つ目は、「発達障害とは何か?」という事を、シナプスの発育ミスなどという脳神経レベルの話で理解している医者が、ほとんど存在しないので、発達障害の人に対して、どんな治療をすれば良いのかが分からないどころか、新たな治療法のアイデアさえ考えようともしないヤブ医者たちが、勝手に「治らない」という事にしてしまったというか、そうしておけば、医者たちは治せなくても治療技術の未熟さについて、責任を問われる事がなくて都合がいいからっていう理由もあるようで、つまり「治らない」というのは、いわばヤブ医者たちの「言い訳」とか「開き直り」と言っても過言ではないようです。
アインシュタインの名言に「何も考えずに権威を敬うことは、真実に対する最大の敵である。」っていう言葉があるんだけど、まさに、こういう事を言うんだろうね。
それから3つ目は、いくら努力しても人生が上手く行かない、発達障害が未診断の当事者の人たちに、自分の工夫の下手さの責任を軽くしたり、一生懸命やっても上手く行かない理由を知って納得したいという願望があって、それで医者から「もともと脳が悪いんだ!だから努力不足じゃないんだ!そして治らないんだから、無理して周囲に合わせる必要はないんだ!自分らしく好きなように生きれば良いんだ!」などと言ってもらえば、納得できて落ち着いたり、非常に責任が回避されて、うつ状態が良くなったりするので、そのために「発達障害という診断を付けて欲しい!」と病院を訪れる未診断の当事者が急増していて(たぶんインターネットの普及の影響もあるだろうね)、そのニーズに応えるために、医者たちも「生まれつきで治らない」という事を言い続けなければならない状況になっているのが、なかなか「発達障害は改善できる」という考え方が広がらない原因として背景にあるような気がします。
というのも、僕自身が同じような経過をたどっているというか、まだアスペルガーが未診断だった頃は(もう7~8年前になるけど)、とにかく焦っていたというか、いくら頑張っても上手く行かない理由を知って納得したかったし、「努力不足じゃなかったんだ!」みたいに責任を軽くしたい願望もあって、それで検査してみたら、晴れてアスペルガーの診断を獲得しました!みたいな感じだったんだけど(ぉぃ)
でも、それで気持ちが落ち着いたり、うつ状態が良くなったりするのって、一時的なものでしかないというか、診断されて2~3年もしてくると「このままで良いんだろうか?」「こんなハズじゃない!」みたいな気持ちが、やっぱり噴出してくるんだよね(汗)
それで、漢方薬局に行ってみたり、かみ合わせ治療で脳機能の改善を試みてみようとか、そんな風になってくるワケで・・・(笑)
ちなみに、この本では「統合失調症と発達障害の違い」についても触れてあるんですけど、この2つは表面的な状態だけで見ると区別は困難なんだけど、決定的に違うのは、統合失調症の人は、世の中の片隅に居場所を見つけて、落ち着ける環境で、じーっと暮らし始めて、自分が成長する事を、どこかで諦めてしまうのに対して、発達障害の人は「もっと自分は良くなるハズだ!」という思いが永遠にあって、自分が成長する事を諦めずに求め続けるという所らしいです。
なので、発達障害という概念がなかった一昔前は「統合失調症」と診断されていたけど、最近になって、実は発達障害だった!という風に診断が変わる事も起こっているそうです。
こんな話を聞いてて思うのは、逆に「発達障害」という診断をされて、「治らない」という話を真に受けて、自分に合った環境を見つけて、そこで成長する事を諦めて、ひっそりと生活して満足しているような人は、実は「自分は発達障害だと思い込んでしまっている統合失調症」じゃないの?っていう気もするけど、どうなんだろうね?

・・・で、ちょっと話を戻すけど、運動(リハビリ)によって、脳のシナプスを繋げたり代償的なバイパスを育成する事が出来ると分かったのは、今までは脳の構造が身体の機能を決定するとされてきたけど、そうじゃなくて、身体の機能が脳の構造を変える事があるという事が分かってきて、運動することによって神経細胞を育てるのに役立つ神経栄養因子が増えるとか、高齢者でも神経細胞が増えるというエビデンス(脳科学的な?)が出てくるようになったからのようです。
それから、脳卒中の例でも、野球の長島監督とか、サッカーのオシム監督とかも、リハビリによって歩けるようになったり、しゃべれるようになったりしてるのに、なんで発達障害というパターンの脳機能障害の場合は「治らない」と言い切れるのか?などとも語られています。
そう言えば「脳卒中」については、先日の水曜日(6月6日)の「ためしてガッテン」で、「つかむ!歩く!脳卒中 夢のリハビリ最前線」というテーマで放送されてたらしいけど(僕はAKBの総選挙のほうを見てて、見逃してしまったので、6月12日(火曜日)の16時5分からの再放送をチェックする予定ですけど、汗)その放送内容については、「ためしてガッテン」のサイトに、すでに文章でまとめられてたので読んでみたんですけど(下記アドレスのページ)
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120606.html

このサイトでも、脳卒中による麻痺のリハビリは、正しい運動を繰り返すことによって、新しい神経ネットワークを作ることを目指しているとか言ってますね。
そして、今まではリハビリによる改善の効果は、脳卒中を発症してから6ヶ月間しか効果が望めなかったけど、最近は新しい治療法が出てきて、10年間も改善しかなかった右手の麻痺が、脳に磁気刺激を与えてリハビリを行ったら、右手で物をつかめるまで改善したとか書いてあるけど(詳細はサイトを見て下さい)、やっぱり脳機能の治療法の研究って、まだまだ未知の領域になってる部分が多そうというか、これからも、どんどん新しい治療法が開発されて行くんじゃないかな~っていう気がしますね!
で、このサイトの記事を読んでて、ちょっと気になったのが、脳には「大脳半球間抑制」という働きがあって、脳全体が正常に働いている時は、右脳や左脳が働きすぎないように、お互いに相手を抑え合っているらしいけど、脳卒中になって、どっちかの脳が機能不全になると、もう片方の脳の抑制が効かなくなって、そっち側の脳ばかりが暴走するようになるなど、脳全体の機能のバランスが崩れて、そうなると身体の筋肉が硬直してきたりして、リハビリをする事自体が困難になってしまって、新しい神経回路を作るチャンス自体が失われてしまって治療困難になる・・・みたいに悪循環にハマって抜け出せなくなっている印象を受けるんだけど、こういう仕組みって、発達障害の場合も似てる気がするというか、発達障害はシナプスの結合ミスが起きているという事なので、シナプス結合ミスの部分が機能不全になっていて、その機能不全の部分が本来は抑制するはずの他の色々な脳の部分が暴走してしまって、脳全体の機能のバランスが崩れていると考えれば、結局は発達障害の場合も、脳卒中の場合と同じような悪循環にハマって抜け出せなくなっているだけのような気がするね。
だから、「発達障害は治りますか?」の本でも、神田橋先生は、治しやすい部分から治して行って、それによって、いくらか症状が減ると、それまでよりも自然治癒力が回復してきて、最初は治療しにくかった部分も、治しやすくなって行く・・・という好循環を繰り返す事で、発達障害は、どんどん改善して行くというような事を言ってたと思うけど、その通りなんだろうね。
結局は、脳卒中にしても、発達障害にしても、「悪循環の仕組みが複雑すぎて、どこから手をつければ良いのか分からない」から「治らない」という結論になってしまうのであって、その仕組みさえ分かってしまえば、脳卒中で10年間も改善しなかった右手の麻痺が改善したりするんだから、本当は治らないワケじゃないんだよね。

そして最後に、最終的に「発達障害が治った」と言える状態って、どんな感じなんだろう?って考えてみたんだけど、それは「仕事ができている」とか「親しい友人や恋人がいる」とかいう、表面的な状態で判断できるものじゃなくて、最も重要なポイントは「周囲の環境や状況の変化に柔軟に適応できるように脳機能が改善する」という事であって、ワンパターンな暗記によって、何とか特定の環境の中で社会生活が出来ているという事ではないんだろうなという気がします。
だって、発達障害が根本的に治ってないなら、周囲の環境や状況が変化するたびに「ワンパターンな暗記」が通用しなくなって、パニックになったり振り回されたりの無限ループが続いて、また新しい「パターン暗記」に頼らなければならないという、そんな繰り返しが死ぬまで続くだけで、「そんなんじゃ、やってらんねーよ!!!」って感じだよね(汗)
で、そういう考え方に至ったヒントとして、「発達障害は治りますか?」の本の161ページあたりの「自己実現」のところに「自己実現している人は硬い所がなくなって寛容になるので、フレキシビリティ(柔軟性、融通性、適応性)が高まる」というような事が書いてあったんですけど、もし本当に発達障害の人のフレキシビリティが高まってくるという事があるなら、一般の人の「個性」と呼ばれるものと「発達障害」との間には、きれいな連続性があるんだから、フレキシビリティを極限まで高めて最終的な到達点?のようなレベルまで行けば(そこまでシナプスの発育レベルが到達すれば)、一般の人の「個性」と呼ばれる範疇で収まってしまうレベルまで行けるんじゃないか?って思うんだけど、どうなんだろう?
そして、そこまでフレキシビリティが高まれば、自己実現(神田橋先生によれば、自己実現というのは「遺伝子ができるだけ開花すること」らしい)にも繋がってくるだろうし、そうなると目標も現実的なものになってきて、非現実的な目標に執着してストレスを抱えて悲観的になったりする事もなくなって、自分で自分の事も分かるようになってくるらしいです。
そうやって、周囲の環境や状況が変化しても、自分で柔軟に適応できるようになって、体調や精神面での不安定さも無くなって、病院や支援団体ともサヨナラして、社会的に自立して何らかの職業を持って生活していて、友人との関係も良好になって、恋人も出来て・・・って、そんなレベルにまでなったら、もう「障害」じゃないやんか!!(笑)
そんな日が来るかな?
来て欲しいな・・・というか来い!!
絶対に来る!!!

♪ 言葉っていつかは ♪
♪ 真実に変わるから ♪


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8 コメント

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治らないということの意味 (kkk)
2012-06-09 11:00:38
間違ってしまう方が多いのですが、発達障害は発達しない障害では無いですし、知的障害も知的発達が止まってしまっているわけではありません。「発達障害者は発達する」「知的障害の人も、知的に発達する」というのは、医学的な常識に過ぎません。
治らないというのは、現時点の医学・科学では治す方法が無いというだけで、今後の科学の発展により治る可能性を否定しているわけでもありません。
この本にどんなに良いことが書いてあっても、現時点で治った人がいないのも事実です。
返信する
Unknown (sora)
2012-06-12 23:00:48
現時点では医学的に治療方法がなくても、今後、研究が進めば発達障害が解明される部分はあると思います。
完治することはなくても、生きやすさや、適職を見つけている人達はいます。
完治=幸せ では無いと私は思います。
自分が楽に生きられる方法を見つけられれば良いと思います。
前向きに色々調べることが出来るって素敵だと思います。
返信する
Unknown (ユインシュタイン)
2012-06-15 12:57:14
kkkさん、「はじめまして」でしょうか?
コメントありがとうございます。

kkkさんのように、医学・科学的な考え方の常識を知っている人ならば、「治らない」という表現には、「ただし今後の科学の発展によって治る可能性を否定するものではない」というニュアンスを含んでいる事くらい、当たり前の認識として理解できる事なんでしょうけど、実際の世間的な発達障害に対する認識としては、kkkさんが冒頭で書いてらっしゃるように、まだまだ間違った認識を持ってしまっている人のほうが多いと僕も思っています。
僕はアスペルガーと診断されてから7~8年くらい経ちますけど、その間、発達障害に関する本やインターネットなどで、『発達障害は先天性の「障害」であって「病気」ではないので、「治る」などという性質のものではない』などという部類の情報を、山ほど読んできました。
ネット掲示板などでの議論では、誰かが発達障害を「病気」と言うだけで、『発達障害は「病気」じゃなくて「障害」であって「治らない」んですよ! 「病気」と言ってしまうと「治る」というニュアンスが含まれてしまって誤解を招く事になりかねないので、「病気」と「障害」の違いくらいは理解できるように勉強しておいて下さい!』などと怒られたりしていて、今になって思えば「どっちが勉強不足なんだろうか?」と思うような内容の議論なんですけど、そんなのも山ほど見てきました。
上記のような情報が溢れている中で、「治らない」という表現に「ただし今後の科学の発展によって治る可能性を否定するものではない」というニュアンスが含まれていると考える事の出来る人は、ごく少数なんじゃないかと思います。
そういう僕自身も、上記のような情報ばかりを見ているうちに洗脳されてしまっていた過去があるというか、間違った認識を信じ込んでしまっていて、「どーせ脳が悪くて治りもしないんだ!」みたいに開き直った感じになって、自暴自棄な発言や行動を繰り返して、周囲の人たちに迷惑を掛けてしまうなど、苦い思い出が沢山あるので、せめてもの罪滅ぼし?というか、この記事を書く事によって、以前の僕みたいに自暴自棄になってる人とか、絶望感でいっぱいの人とかが、1人でも減って、一歩前進しくれたらな~とか思って書いたんですけどね(単なる自己満足かも知れませんけど)
なので、「治らない」という表現の仕方は、世間的に大変な誤解を招く恐ろしい表現だと思います。
原因も治療法も、未だに良く分かっていない部分が多いのなら「治るか治らないかも不明」などと表現すべきであって、「治らない」などと分かり切ったような表現は使うな!って世間全体に対して言いたいです。

そう言えば最近、大阪維新の会が「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる」などと言い出した事が話題になってたみたいですけど、それに対する日本自閉症協会の抗議文の中でも、やっぱり未だに「乳幼児期の愛着形成の不足が発達障害の原因でないことは医学的に確立されいる。」とか「わが国の伝統的子育てなどによって予防、防止できるものでも、病気のように治癒するものでもない。」などと分かり切ったような事を言っちゃってるんですよね・・・(詳しくは日本自閉症協会サイトの「新着情報」の一番上のリンクのPDFデータを参照して下さい)
http://www.autism.or.jp/report05/youbousyo/20120506.pdf

こういうのも、本来ならば「乳幼児期の愛着形成の不足が発達障害の原因であることは、まだ医学的に確立されいていない。」とか「わが国の伝統的子育てなどによって予防、防止できたり、病気のように治癒するかどうかは、まだ分かってない。」くらいの表現にとどめるべきだと思うんですけど、未だに自閉症協会でさえ、こんな調子なんですよ・・・
こういうのも、以前から気になっていた事があるんですけど、東京都自閉症協会のサイトにある「アスペルガー症候群を知っていますか?」というページは有名だと思いますけど(下記リンクのページ)
http://www.autism.jp/asp_index.html

この中の説明でも、「アスペルガー症候群の原因はまだ解明されたわけではありません。しかし親の育て方、虐待、愛情不足などが原因ではありません。」とか書いちゃってるし、論理的にメチャクチャというか、「親の育て方などが原因ではない」という論理を成立させるためには、それ以外の原因がハッキリ特定されて肯定されていなければ成立しないのに、最初に「アスペルガー症候群の原因はまだ解明されたわけではありません。」って書いてるじゃん!(苦笑)
だったら、「親の育て方などが原因かどうかも解明されていない」という論理になるのが自然でしょ?!
こんな風に、自閉症協会が主張している事は、変な部分があるというか、それが科学的・論理的に正しいかどうか?という事よりも、何が何でも、自閉症協会が主張する「説」だけが正しいんだ!という姿勢を譲らない感じで、このままじゃ変な宗教団体と変わらない気がするんですけどね・・・
で、未だに自閉症協会が「病気のように治癒するものではない。」などと分かり切ったような言い方をしたり、大阪維新の会が言ってる事を真っ向から否定して、耳を貸さなかったり(大阪維新の会が言ってる事については、僕としては、それほど間違った事を言ってるようには思えないですし、むしろ発達障害を治せる新発見なのかも知れない!という期待さえ感じたんですけどね)、更には「発達障害は悪いものであるので予防や改善をしないといけないという発想は、共生社会の実現に逆行するものです。」なんて事まで言っちゃってるし、だったら「発達障害を予防したり改善できる可能性があるのに、それをしない事が正しいのか?!」って言いたいんですけどね。
まあ、自閉症協会が、こんな姿勢を続けてるんだから、世間全体に「もしかしたら発達障害が治る可能性が出てくるかも知れない!」という発想が広がらないのも当然だと思いませんか?
kkkさんは「発達障害者は発達する」というのは「医学的な常識に過ぎない」って言ってますけど、その常識は自閉症協会でさえ認識しているとは思えませんよ。

それから、kkkさんのコメントの最後の行で、「現時点で治った人がいないのも事実」と言っているのが気になったんですけど、そもそも何をもって「発達障害の治癒」と言えるのか?という目安になる定義さえも、現時点では存在しないのだから、そういう統計データを取る事も不可能なので、「現時点では治った人がいるかどうかも不明」と表現するほうが適切じゃないでしょうか?
そして、この「治った人がいるのか?」という事については、ここ数十年のあいだに、発達障害の人が激増・倍増している事から考えれば、それ以前の昔の人たちの中には、発達障害が自然に治っていた人たちが多く存在していたと考える事も出来るのではないでしょうか?
この点について神田橋條治先生は、発達障害者が急増したのは、子どもの遊びの貧困化が大きく関係していて、昔なら遊びの中で自然に解消されていったような軽度の発達障害が、今は、そのまま残ってしまっている状況になっているからではないか?という風に考えているそうです。
とにかく、昔からあった遊びは(じゃんけん、お手玉、石投げ、どろんこ遊びなど、現代人から見れば「くだらんこと」ですけど)、非常に多くの情報処理を並行してやらなければならないので、脳の色んな部分が刺激されてトレーニングに効果的だったけれど、今の遊びはゲームやパソコンが中心になっていて、人間の五感の中でも「視覚」ばかりに偏りすぎた遊びになっているし、「有効なこと」とか「効率的なこと」ばかりしかしないから、脳の特定のエリアにしか電流が流れず、今の社会は「脳が育たない社会」になっているので、もっと視覚以外の感覚をトレーニングするような遊びをしたり、ただただ脳の発育のためにしか役立たない「くだらんこと」を沢山するべきであって、そういう「くだらんこと」を排除して、いきなりフランス語の塾にやったりすると、発達障害の遺伝子を持っていない人でも、だめな人になってしまうと、神田橋先生は言ってます。
こんな風に、発達障害の原因というのは、「生まれつきによるもの(遺伝的な要因によるもの)」だけとは言い切れないですし、遺伝的な要因を持って生まれてきた人でも、工夫次第で改善できる方法は、徐々に解明されてきています。
そして、これは僕の考え方なんですけど、「改善」というのは「部分的な治癒」という風に言い替える事ができるんじゃないか?と思ってます。
そう考えれば、「改善」に「改善」を繰り返して行けば、「30%の治癒」→「50%の治癒」→「80%の治癒」・・・そして「全体的な治癒」という風に繋がるんじゃないか?と思ってるんですけどね。
返信する
Unknown ()
2013-08-04 14:33:16
こんだけ読みにくい長文書いてるのに
本人は治ってると思ってる発達障害末期で残念。

俺の発達障害も治らないんだな…
返信する
ふ~ん (mun)
2014-04-02 11:30:42
で、どうやったら治るの??
返信する
はぁ… (なな)
2014-04-17 19:50:24
発達障害の原因が親ってならんかな!
先天性よりも親が原因やったら、親であるこっちが直せば、改善や治ったりするととりやすいのに。
返信する
悪人 (ともき)
2014-10-01 02:50:15
発達障害 マスコミが作った障害 悪人が作った障害  理解は広がらないよいくらテレビでやっても 
返信する
どうすれば差別をなくせる? (ユインシュタイン)
2014-10-21 11:46:04
そもそも、なんで「発達障害」という概念を作る必要があったのか?
そして、世間に広める必要があったのか?
って考えると、やっぱり「当たり前の事が出来ない人たちへの差別」が酷かった歴史があるんだろうね。
最近は、「そもそも当たり前の事って何だろう?」という認識も、だいぶ広がってきてるとは思いますけど・・・

発達障害は治るか?治らないか?
この疑問に、もし結論を出してしまうと、どちらの場合も、誰かにとっては嬉しい情報かも知れないけど、誰かにとっては死ぬほど苦しめられる情報になってしまうような気がします。
少なくとも、僕の1回目の自殺未遂は「治らない」という情報を完全に信じてしまった事が大きく関係してるので・・・
なんで僕は、一部の人から「こんだけ読みにくい長文書いて発達障害末期で残念。」などとバカにされながらも、こんな文章を必死に書いてるんだろうね?

それから、発達障害の原因は何なのか?という疑問も同じ。
もし原因が「誰かのせい」という結論になると、その人は死ぬほど苦しめられる事になるんだろうね。
今、僕たちが生きている世界は、こういう法則が働いているようなので、「結論」なんて誰も言えないんだよ・・・たぶん。
それに、もし科学者が「結論」を言ってしまったら、その科学者が恨まれて命の危険さえあるかも知れない。
そういう事が、やっと僕にも分かるようになってきたかな?

・・・で、それじゃあ、どうすれば良いの?って考えると、やっぱり「当たり前の事が出来ない人たちへの差別」を減らしていくしかないというか、そもそも、それが本来の「目的」であって、発達障害という概念を作って、それを世間に広めるというのは、差別をなくすための「方法」の1つに過ぎないんだよね。
その「方法」が悪いとは言わないけど、その「方法」で「目的」が達成できないなら、別の「方法」を考えればいい。
1つの「方法」に、こだわる必要はない。
大切なのは「目的」を達成する事だ!
って、SEKAI NO OWARIの「RPG」の歌詞じゃないですけど(笑)

・・・で、根本的に差別をなくすには、どうすれば良いの?って事ですけど、昨日の「なぜイスラム教の女性は自由に教育を受けると殺されなければいけないのか?」という記事の中でも紹介したんですけど、「差別に関する絵本集」というサイトがあって、誰でも無料で読めるし、自由にコピーしてもOKになってるので、興味がある人は読んでみて欲しいです!
きっと「何か」が見えてくるから・・・

差別に関する絵本集↓
http://www.j15.org/Discrimination/index.html
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