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【アップル・ビル前で「ポール脱退」の新聞記事を読む人々】
今から38年前の今日「ポール、ビートルズ脱退」の見出しが『デイ
リー・ミラー』紙の1面を飾りました。
ポール・マッカートニーは、ビートルズからの脱退を表明したので
すが、このコメントの中でポールは、ビートルズと決別した理由を次
のように説明しています。
ビジネス面、音楽面での意見が合わなくなったせいだけど、何より
大きいのは、今の僕は家族と過ごすほうが楽しいということだ。
さらにこのようにコメントしています。
一時的な活動停止となるか、永久解散になるかはわからない。レノ
ン=マッカートニーが、再びコンビを組んで曲を作る日が来るとは
思えない。
もっとも、このコメントはポールのソロ・アルバム“McCARTNEY ”
のプロモーション用試聴盤に収録され、イギリス国内のマスコミや、
放送団体に送られる形で伝播しました。アップルで当時アシスタント
を務めていたピーター・ブラウンが用意した質問にポールが回答した
もので、ポール自身このコメントがビートルズ解散の公式発表になる
とは考えていませんでした。
解散のニュースにショックを受けたファンが、サビル・ロウのアッ
プル・ビルのまわりに集まり始めました。アメリカCBSの取材陣も
到着し夕方のニュース番組で取り上げました。
サビル・ロウのわずかな人ごみは前兆にすぎません。これはとてつ
もない意味を持つ事件なのです。のちの歴史家たちは、大英帝国の
衰退を象徴する出来事としてこの事件をとらえるかもしれません。
・・・ビートルズ、解散です!
アップルの広報担当のデレク・テイラーがサビル・ロウのオフィス
から正式は告知を行います。
ビートルズのメンバーは解散を望んでいません。現在の諍いも彼ら
の成長過程の一段階でしょう。・・・今の彼らは、互いの足かせと
なってしまっているようです。ポールはビートルズとしての活動停
止を求めています。何年か休止期間になるかもしれません。
アップルのコメントとは対照的にメンバーの3人は以下のコメント
を残しています。
Ringo:
初めて聞くことばかりだ。
George(親しい友人を通して):
(解散について)話したくないんだ。ひとりにしておいてほしいん
だよ。
John:
こう書いておけばいいんだよ。彼は辞めたんじゃなくて首になった
んだと。僕が冗談めかして言ったってね。
いずれにしても、大きく衝撃的な出来事であったことは間違いあり
ませんね。
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1970.1.3、3人での最後のセッション’I Me Mine’まではジョージがジョンの脱退を皮肉っているようにジョンVS3人の対立があったことは確かなようです。
その後’Get Back’の再ミックス、’Let It Be’のミックス&ポールのソロ・アルバム“McCARTNEY ”のセッションがあった後ポールの脱退宣言に至り、対立の構造がガラリと変わったという事でしょうか。
1969年9月に“ABBEY ROAD”をリリースした前後から
ビートルズは既に「死に体」になっていました。
そして、1970年。
ビートルズの崩壊とともに「冷戦」の期間が
続きましたね。
ファンにとって、4人にとってももっとも辛い時期
だったと思います。