昨日に打って変わって、本日は晴天なり。
我が子と買い物に行って参りました。土地柄的に自家用車がないと不便な為、この地域の方々は1人につき1台の自家用車を所有しているようです。一軒に何台もの車が駐車できるスペースがあるお宅は珍しくありません。私もつい先日まで会社勤めしていた為、車はあるものの独りではあまり外出しない為に最近では運転することも珍しくなりました。歳を重ねた新米専業主婦です。その様な事を考えて居りましたら、また母の事を思い出しました。私の母はスーパーウーマン、若しくはスーパー母ちゃん、と、兄の親友に呼ばれていた事がありました。美容室を経営する傍ら、祖母が亡くなってからは家事や炊事など全ての事を仕事の合間を見てこなしてしまうからでした。自宅と美容室はつながっており、母親であり美容師であり、妻である我が母は、兄の親友にラーメンやカレーライスなどをご馳走したりするのが大好きで、勇ましくもささっとご飯を作り兄の部屋に運ぶのでした。その兄も私が小学生のうちに東京へ上京しました。上の兄弟3人が東京に上京した我が家は寂しく静まり返りました。兄や姉達の和気藹々とした笑い声も、喧嘩する声も、喧嘩の末に負けて泣く声すら我家から消えてなくなりました。
父と母と私の3人家族の始まりでした。
それは、私にとって穏やかで幸せな時間でした。優しい時間が訪れました。
今思えば、兄にとっても姉達にとっても、歳の離れた私の存在はとても嫌な存在だったのではないでしょうか。私に毎日の様に浴びせられた罵声や暴力へ姿を変えた彼等の怒りは、上京という手段に形を変えて一気に私の元から消え失せたのです。
私の兄弟は、きっと親に見捨てられた子猫のように悩み苦しみ怒り、そして絶望という思いを胸に上京したのかも知れなかったのです。私だけ辛い訳ではなかったのです。
父や母は亡くなる前、何時間、何日、何年もの時間をかけて子供達の傷みを拭い去ろうとしてくれました。しかし、それに私達は気付かずにやり過ごしてしまったのです。
愚かです。
そして、今がある。
遺影に手を合わせる私の側で主人もまた手を合わせてくれてます。まるで私の愚かさを、共に償ってくれるかの様に。
感謝。そして、合掌。
『今晩のご飯は何にする?』
我が子の声が温かい。