今日は曇り空なので、家にこもり家事を終わらせ、空を見上げて一日中ソファでゴロゴロしてました。朝より時々日差しがありますが、雲には雲の表情があります。悲しそうだったり、怒っていたり、それから少し笑い加減だったりと流れて行く雲を見ていると、その様々な表情に心が奪われてしまいます。
小さい頃からクリスチャン家庭で育った私は、土曜日には少しでも神様を知る為の勉強会である土曜学校、日曜日には祈りを捧げに礼拝堂に父に連れられて教会に向かったものです。3歳頃の記憶を辿ると、ヤクルトらしき飲み物を持った父は教会でも厳しく、まるで我慢比べのように私は正座をし、幼いながらも必死になりながらご褒美のヤクルトらしき飲み物を貰えるまで正座をしてました。父の『頑張った、偉いね。』の一言が聞きたくて。幼い頃の父は威厳に満ち溢れ厳しく、私にとってはとても怖い存在でした。内気で人見知りの私は挨拶すらキチンと出来ず、父にとっては出来の悪い子供だったかもしれません。小学生になっても内気が改善されず、時々、父は母とふたりで教育方針について口論になったりしていたのを記憶して居ります。それから時は流れ中学生になり、父に勧められた高校に進学し、父は病に倒れました。父が天に召されたのは私が高校一年の初夏です。別れは突然にやって来ました。母を支えてあげたいと必死に涙を堪えて教会の方々によるご好意のお別れの会に出席しました。
父を亡くした日、空は雲ひとつない真っ青な空でした。我が人生に悔いなし、精いっぱい生きたと父の声が聞こえた気がした事を鮮明に覚えています。教会の友は涙ひとつ見せない私を教会の裏に連れていき、『こんな時は、泣いていいんだよ。』と、ただ抱きしめてくれたのを覚えています。そして涙しました。
そして現在、私にも愛する子供が居ります。
父と母の愛情が心に染みる毎日です。
合掌。