ruchia日記

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一日中曇り空

2021-08-30 16:26:00 | 日記
今日は曇り空なので、家にこもり家事を終わらせ、空を見上げて一日中ソファでゴロゴロしてました。朝より時々日差しがありますが、雲には雲の表情があります。悲しそうだったり、怒っていたり、それから少し笑い加減だったりと流れて行く雲を見ていると、その様々な表情に心が奪われてしまいます。
小さい頃からクリスチャン家庭で育った私は、土曜日には少しでも神様を知る為の勉強会である土曜学校、日曜日には祈りを捧げに礼拝堂に父に連れられて教会に向かったものです。3歳頃の記憶を辿ると、ヤクルトらしき飲み物を持った父は教会でも厳しく、まるで我慢比べのように私は正座をし、幼いながらも必死になりながらご褒美のヤクルトらしき飲み物を貰えるまで正座をしてました。父の『頑張った、偉いね。』の一言が聞きたくて。幼い頃の父は威厳に満ち溢れ厳しく、私にとってはとても怖い存在でした。内気で人見知りの私は挨拶すらキチンと出来ず、父にとっては出来の悪い子供だったかもしれません。小学生になっても内気が改善されず、時々、父は母とふたりで教育方針について口論になったりしていたのを記憶して居ります。それから時は流れ中学生になり、父に勧められた高校に進学し、父は病に倒れました。父が天に召されたのは私が高校一年の初夏です。別れは突然にやって来ました。母を支えてあげたいと必死に涙を堪えて教会の方々によるご好意のお別れの会に出席しました。
父を亡くした日、空は雲ひとつない真っ青な空でした。我が人生に悔いなし、精いっぱい生きたと父の声が聞こえた気がした事を鮮明に覚えています。教会の友は涙ひとつ見せない私を教会の裏に連れていき、『こんな時は、泣いていいんだよ。』と、ただ抱きしめてくれたのを覚えています。そして涙しました。
そして現在、私にも愛する子供が居ります。
父と母の愛情が心に染みる毎日です。
合掌。

夏の思い出

2021-08-30 10:20:00 | 日記
私の祖母は明治生まれのなかなかのお洒落な人でコーヒーやカレーライスを好み、子育てなど、自宅で美容室を営む母を支え続けてきた人でした。末娘の母にこれからの時代は女性が活躍する時代になるから資格を持ちなさいと諭し家族で東京より疎開してきて土地を買い鯉を売り生計を立てていたそうです。夫を病気で亡くしてから、貧しい生活ながらも子供達の教養をたかめるために尽力し、当時は丁稚奉公などで兄弟が離れ離れになる事も多かったそうですが、兄弟離れ離れになる事もなく母も転入した女学校を卒業させてもらい、『おかあさんに感謝してる。』と、度々口にするものでした。
その祖母は足が病気の為に不自由で、幼い時には通院•往診の繰り返しだったそうです。
そんな祖母の実家に、小学生の夏休みに毎年両親と共に訪れたのですが、人見知りの私でも『今年も行きたい!』と切望するほど居心地がよく、穏やかで暖かい人柄の母の従兄弟夫婦に甘えていた記憶が蘇ります。
西瓜を半分、大きいままかぶりつき、お祭りの出店に行きたいと母にお願いし連れて行ってもらい、オモチャをひとつだけ買ってもらう事が楽しみでした。
あれから何年もの月日が過ぎました。
両親を20代半ばで亡くした私もまた、父に感謝。もちろん母にも感謝して居ります。
学生時代に父を亡くした後、夏のある日に母のくれた言葉を忘れません。『これからは、お母さんが貴女を守るから。
頭の下がる思いです。ありがとう。
これからも大切な言葉を胸に、感謝の心を忘れず、今日も母の遺影に祈りを捧げます。
また、世界中の方々に平安と神様のお恵みがありますように。