忘れたくない…と思いながら時間とともに忘れ去られてしまう事が沢山あります。祖母の笑い顔、父の声、母の温もり。大切な人達、そして大切な思い出。記憶の風化、なのでしょうか?
この日記を書こうと思ったのは、きっと自己満足だろうと思いながらも『きっと、この想いを共有して下さる方がいるかもしれない』という期待で疼き、書き始めました。そしてそれは、私の驕りです。
図々しくも、今日また書き留めさせて下さい。
私の記憶がまだ確かにあるのは、ある年の12月24日のクリスマスイブの事でした。その日は病に臥した母を見舞う為『飾れるメッセージカード』を持ち病院に向かいました。『お母さん、今日はイブだね。ひと足先に、メリークリスマス!』病室に入った私の目に入ってきたのは、サンタクロースに扮した看護師さんと母の姿でした。有難い事に看護師さんが一緒に記念の写真を撮って下さってました。看護師さんは3人1組で病室をひとつひとつ廻ってくださっていたのです。病室の中で母の笑い声が響いてました。楽しかったのでしょう。
その数日前、病院の先生に呼ばれた私は、母の死の宣告を受けました。『余命1年と言われてから、もうすぐ5年が経ちます。先生、もしかして癌が治ったのでは?』先生は少しの間を置いて仰いました。『お母さんは、何故、生きてるのか不思議なんですよ…全身、もう癌に侵されているんです。今の医学では…説明ができません。』そんな先生とのやり取りの後、項垂れる私を母は病室で笑顔で迎えてくれました。『大丈夫?疲れたの?無理しなくていいよ。』泣き腫らした顔を見られるのが嫌でベッドに備えてあったテーブルを拭いたりコップを洗いに行ったりと忙しいふりをする私に母は優しい声をかけてくれました。『癌なんだろう?私は。知ってるから隠さなくてもいいよ、私は大丈夫だよ。』
学校で虐めにあった時、学校に助けに来てくれた母。先生と上手に付き合えなかった無口な私を抱きしめてくれた母。失恋した時、温かい声をかけてくれた母。そして結婚を許してくれた母。それなのに、こんな時私は何もしてあげることが出来ない。ただ、神さまに祈るだけ。痛みませんように、と。不意に涙が溢れて流れ落ちた。『ありがとう、末っ子に看病してもらえるとは思ってなかったから有り難かった。』
その3日後の夜に、母は天に召されました。
危篤になり病院のベッドに横たわる母を、抱っこする様に腕で包み、きっとこれが母の最期。悟った私は引き止めることはしませんでした。これ以上、苦しむ母を引き止められない。『お母さん、どこか痛む?頑張ったね。ありがとうね。私が側に居るから少し眠ろうか…。』母の呼吸は間もなく止まりました。先生がいらした時には、6年間癌と闘った母は天に召された後でした。
今日もまた母の遺影に語りかけます。
お母さん、ありがとう。
今の私が存在するのは、貴女のおかげです。
そして、貴女の存在を決して忘れません。
感謝の言葉を贈ります。