
■ 震災で全壊の芦屋・阿保親王寺 16年越し再建へ(神戸新聞・2010年1月9日)
■ 阿保山親王寺ウェブサイト
阪神電車で西宮から芦屋に入り、打出駅の手前に差し掛かると、線路の南面に墓地と建物があります。
高校時代、阪神電車で通学していた私は、毎日のようにこのお寺のそばを通っていました。
お寺が見えると、ああ、もうすぐ打出だな、と分かりました。
震災直後、かろうじて神戸まで通じていた阪神電車で高校を訪れたことがありました(その時のことは、昔書いたエントリで少し触れています)。
西宮市内の様子も衝撃的でしたが、芦屋に入って打出に近づいた時、私の目に入ったお寺の様子は想像を絶するものでした。
本堂は完全に倒壊。墓地も墓石が倒れ、折れ重なり、さらにがれきも重なり、……形容する言葉も思いつかない、という言葉すら月並みな表現に思えてしまうほどの状態でした。
その後、墓地はなんとか復旧し、かつての記憶とは大きく違う、真新しい墓石ばかりが並ぶようになりました。
ただ、肝心の本堂は再建されないままでした。
実は、だいぶ前に通った時に、敷地に建物があるのを見たので、再建されたものとばかり思っていました。ただ、寺院のサイトによれば、どうやら仮の本堂だったようです。
記事にもありますが、寺院のみならず、周辺地域全体が震災で大きな被害を受けました。檀家が自らの生活再建に追われる中では、再建は後回しにならざるを得ません。
しかし、16年経って、ようやく本堂再建にメドが立ったのです。数ヶ月の後に、再建なった本堂を車窓から見ることになります。
明日で震災から16年。震災の記憶の風化すら指摘される中で、復興のための努力は終わっていません。ことによっては、16年が経とうとしている今、また新たな問題が生まれることすらあります。
あらためて、こう記します。震災はまだ終わっていない。終わらせたことにしてもいけない。
■ 阿保山親王寺ウェブサイト
阪神電車で西宮から芦屋に入り、打出駅の手前に差し掛かると、線路の南面に墓地と建物があります。
高校時代、阪神電車で通学していた私は、毎日のようにこのお寺のそばを通っていました。
お寺が見えると、ああ、もうすぐ打出だな、と分かりました。
震災直後、かろうじて神戸まで通じていた阪神電車で高校を訪れたことがありました(その時のことは、昔書いたエントリで少し触れています)。
西宮市内の様子も衝撃的でしたが、芦屋に入って打出に近づいた時、私の目に入ったお寺の様子は想像を絶するものでした。
本堂は完全に倒壊。墓地も墓石が倒れ、折れ重なり、さらにがれきも重なり、……形容する言葉も思いつかない、という言葉すら月並みな表現に思えてしまうほどの状態でした。
その後、墓地はなんとか復旧し、かつての記憶とは大きく違う、真新しい墓石ばかりが並ぶようになりました。
ただ、肝心の本堂は再建されないままでした。
実は、だいぶ前に通った時に、敷地に建物があるのを見たので、再建されたものとばかり思っていました。ただ、寺院のサイトによれば、どうやら仮の本堂だったようです。
記事にもありますが、寺院のみならず、周辺地域全体が震災で大きな被害を受けました。檀家が自らの生活再建に追われる中では、再建は後回しにならざるを得ません。
しかし、16年経って、ようやく本堂再建にメドが立ったのです。数ヶ月の後に、再建なった本堂を車窓から見ることになります。
明日で震災から16年。震災の記憶の風化すら指摘される中で、復興のための努力は終わっていません。ことによっては、16年が経とうとしている今、また新たな問題が生まれることすらあります。
あらためて、こう記します。震災はまだ終わっていない。終わらせたことにしてもいけない。
毎年のことになりますが、お読みいただいた皆さんにお願いしたいことがあります。
このエントリの上に、写真だけで本文が何もないエントリを作成しております。
投稿日時は、16年前、阪神・淡路大震災が発生した時刻に合わせております。
このエントリは、震災の記憶を改めて心に留めるためのものであります。
この時間には、私も震災で犠牲となった方々に黙祷を捧げることにしております。
ですので、もし皆さんの中でご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、
エントリに刻まれた時、5時46分に黙祷を捧げていただければ幸いです。
また、明日1月17日は震災の被害に思いを馳せるため、
スパム削除等最低限のものを除き、ブログ上での活動を控えさせていただきます。
そのため、コメント・トラックバックへの対応が大幅に遅れる場合があります。
それ以降は、普段通り皆さんに楽しい話題を提供していきたいと思っておりますので、
ご理解のほどお願い申し上げます。