近藤貞雄氏死去=プロ野球の中日などで監督歴任
プロ野球の中日、大洋(現横浜)、日本ハムで監督を歴任した近藤貞雄(こんどう・さだお)氏が2日午前9時22分、都内の病院で呼吸不全のため死去した。80歳だった。愛知県岡崎市出身。告別式は10日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は妻恵子(けいこ)さん。
法大を中退し、1943年に西鉄に入団。巨人に移籍して46年に23勝をマークするなど、投手として55勝71敗の成績を残した。中日、ロッテのコーチ時代に、先発、抑えの分業制を提唱。81年に中日の監督に就任し、翌年リーグ優勝した。85年から大洋、89年から日本ハムの監督を歴任。大洋時代に高木豊、加藤博一、屋鋪要を「スーパーカートリオ」として売り出すなど、豊かな発想の持ち主としても知られた。99年に野球殿堂入り。(時事通信・2006年1月2日16時00分更新)
※ 近藤貞雄さんについて(ウィキペディア)
正直なところ、私にとってはファイターズよりもホエールズの監督としてのイメージが強いので、ファイターズ監督当時のことについては詳しい方に譲りたいと思います。
ですが、「近藤貞雄」という名前は知らずとも、「投手分業制」や「スーパーカー・トリオ」という言葉ならご存知の方も少なくないことでしょう。それこそが、近藤さんの遺したものは日本の球史の中で欠かすことのできないものであった何よりの証拠だと思います。
近藤さんのご冥福をお祈り申し上げます。
http://news.goo.ne.jp/news/sponichi/sports/20060110/kfuln20060110001011.html
http://news.goo.ne.jp/news/nikkan/sports/20060110/p-bb-tp0-060110-0003.html?C=S
記事を拝見しましたが、ゆかりの方が多く集まっていたようですね。サヨナラ勝ちでキスされた大島さんの談話もありましたが、近藤さんのような楽しい方がいなくなるのは寂しい限りです……