にわか日ハムファンのブログ記念館

2004年8月から2014年6月にかけて更新してきた当ブログを静態保存しております。

王ホークスが拓いた道

2008-09-25 00:16:26 | その名はパシフィック
■ 「幸せだった」王さん今季限りで監督退任(スポニチ・2008年9月24日)

 先日の福岡遠征のときの話です。
 ホークスは先発陽(チョンソの兄貴ですね)がいきなりの炎上降板。後を継いだ高橋秀が奮闘しましたが、結局はファイターズが逃げ切って勝利。
 ドーム外での二次会を済ませた私は、宿へと向かうべくバスに乗り込みました。
 近くにいたのは、ホークスの法被を着たオジサン2人。どんなチームのファンでもそうですが、負け試合のあとはどうしてもボヤキが出るものです。
 先発の陽と二番手の高橋秀が対称的な出来だっただけに、やはり思うことは、高橋秀を先発にしていたら……立場が逆なら、私もそう思ってたかも知れません。
 ただ、そのうち1人が一言、

「まぁ、王さんが考えることやけんなぁ……」

 この一言で、彼らがぼやくことはなくなりました。
 この言葉に込められた思いは、いろいろ推測できます。ただ、「王さんが考えること」で話が済んでしまう、そのことに私は驚きを覚えたのでした。
 それと同時に、福岡での王監督の存在感、その大きさというものの片鱗にも触れたような感じがしたものです。
 王監督がホークスの監督として一つの時代を築き上げたことを否定する野球ファンは、おそらくいないことでしょう。
 ただ、私にとって大事なことは、王監督がホークスを福岡で揺るぐことのない球団に育て上げたことで、パ・リーグ球団の新たなあり方を切り拓いたことです。
 読売主導のプロ野球の象徴として生きてきた王貞治。しかし、ホークスの監督として、彼はかつて自身が象徴した時代とは全く異なる球団のあり方を示しました。
 それは、簡単に言ってしまえば「地域密着」ということになるのかも知れません。
 地元に根差し、強固なファン層を築き上げ、そして、あの「もう1つの合併」の危機をはね返したホークスには、陳腐な四字熟語では表わしきれないほどの強靭さをも感じます。
 読売主導、放映権料頼みのビジネスモデルの崩壊が明らかな現在、王ホークスが築き上げた強靭さは、パ・リーグ各球団、あるいはパやNPBに限らない、多くの球団が目指し、つかみ取るべきものだと、私は思います。
 そして、その強靭さを作り上げ、新たな可能性としてわれわれの目の前に示した王監督には、パファンとして心から感謝しています。
 14年もの歳月ですから、もちろんその中にはいろんなことがありました。
 特に移転後のファイターズとは何かと因縁が生まれましたし、奇しくも今日対戦したオリックスでは、カブレラとローズが活躍中。彼らは今日の試合をどういう思いで迎えたのでしょうか。
 ほかにも、いつになったら園川に格を認めてもらえるのか、「阪神のウイリアムスのような左腕」を探しておいて、なぜ来たのはグーリンなのか、いろいろ疑問がないと言えば嘘になります。
 しかし、それらをすべて含めたとしても、王監督の功績が損なわれることはないでしょう。
 ホークス王監督、本当にお疲れ様でした。身体を存分に休ませたら、新たな立場でのご活躍を祈念しております。
 われわれは、あなたが切り拓いたパ・リーグの進路の、さらに先を進んで行きます。


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3 コメント

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14年という歳月 (M・K)
2008-09-26 01:18:53
一人の子どもが、生まれてから中学2年生になるまでの年月を監督であり続けたと考えると、
その長さや重みにうならされます。

2番・カズ山本に代表される「超」攻撃的な打線を組んでみたり、
その一方で、佐久本とか佐久本とかSa……、もとい篠原とか篠原とか(以下割愛)
同じ投手の起用に結果として(?)固執する形になったり。
外国人選手もケビン・ミッチェルに始まり、ジェレミー・パウエルに終わる、いろんな選手がいました。

良くも悪くも思い出は尽きません。
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M・Kさん (ルパート・ジョーンズ)
2008-09-26 21:25:18
コメントレスが遅れてしまいました。本当に済みません……
14年前はとっくに学部生だった私です(涙

>同じ投手の起用に結果として(?)固執する形になったり

福岡最終戦、最後に出てきたのが馬原ってのは、
ある意味では象徴的だったと言えそうですね。

>外国人選手
ラジオとか、トンプソンとか、ニエベスとか……
ちなみに、ロペスがダイエー在籍経験があったのを今日まで忘れてました(苦笑)
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そして「王」は静か去る。 (アパッチ)
2008-09-28 20:32:05
名実共に、確かに王貞治氏は「王」でした。
プロ野球選手たるものとしての振る舞い方、勝負とは、就任前のホークスに無いモノをこの方自身の存在で一気に埋まったと思います。
しかし、賢明な方はご存じでしょうが、就任早々ホークスが常勝チームになったわけではありません。
連敗し、野次られ、挙句の果てには「生卵」に親会社の経営不振…。
念願のAクラス入りを達成できたのは就任4年目でした。そして1999年にパ制覇&日本一。

日本一2回、リーグ優勝3回、そしてファンとチームが一丸となって戦い抜いた結果、去年までAクラスを維持しているという素晴らしい統率力を見せた王監督ではありましたが、しかし、王監督が野球人であるが故に、自らが持つ過去の栄光が時折ゆがんで現れた事も忘れてはいけません。ローズとカブレラにホームラン新記録がかかると徹底して敬遠攻めを指示したり、勝負に固執するあまり、選手起用に?がついたりと、100点満点だったかというばそうでないかもしれません。

それらも踏まえて、福岡という地は東京の「元巨人」の王貞治氏を温かく支え、また、今まで未知の領域だった(だろう)パ・リーグという世界に身を投じる事により、自身の持つ野球観に新たな知識が植えつけられたのは揺ぎ無い事実でしょう。


さて、「鷹の王国」は来年からどう再出発を果たすのでしょうか。
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