■ 球団マスコットで活躍した島野修さん死去(報知・2010年5月11日)
このエントリを書いてる時点で、報知以外には報じていないのですが……
幼いころ、たまにサンテレビが放送する阪急戦を見ていたある日、ふと画面に大きく映った黄色い「鳥」。
阪急電車に乗った時、たまに電車の先頭に掲げられた三角のヘッドマークに描かれた「鳥」
マスコットなるものの言葉は分からないものの、その存在を私が知ったのは、この「鳥」、ブレービーの存在によってでした。
甲子園に住み、「保守本流」の阪神ファンとして育てられた私が、西宮球場で野球を観ることはついにありませんでしたが、それでも「マスコット」のはしりといえば、やはりブレービーを思い出すのです。
そのブレービー、さらにはネッピーとして活躍したのが、島野修さんでした。彼の演じたブレービーやネッピーを見たことはなくとも、名前を知っている方は少なくないのではと思います。
選手としては、高い期待と現実とのギャップを最後まで埋めることができなかった島野さん。
しかし、異なる形で、普通の選手には決してできないぐらいの夢と楽しみを与え続けたことは、間違いありません。
それは、彼がマスコットとして活躍したこと自体だけではなく、そうすることで、「マスコット」という存在をプロ野球に根づかせたこと。
つまり、B・Bやカビー、あるいはさまざまなマスコットたちが、球団の顔として、ファンと球団をつなぐ存在として根づくための道を開いたことによるものだと、私は思っています。
島野さんのご冥福をお祈りいたします。
このエントリを書いてる時点で、報知以外には報じていないのですが……
幼いころ、たまにサンテレビが放送する阪急戦を見ていたある日、ふと画面に大きく映った黄色い「鳥」。
阪急電車に乗った時、たまに電車の先頭に掲げられた三角のヘッドマークに描かれた「鳥」
マスコットなるものの言葉は分からないものの、その存在を私が知ったのは、この「鳥」、ブレービーの存在によってでした。
甲子園に住み、「保守本流」の阪神ファンとして育てられた私が、西宮球場で野球を観ることはついにありませんでしたが、それでも「マスコット」のはしりといえば、やはりブレービーを思い出すのです。
そのブレービー、さらにはネッピーとして活躍したのが、島野修さんでした。彼の演じたブレービーやネッピーを見たことはなくとも、名前を知っている方は少なくないのではと思います。
選手としては、高い期待と現実とのギャップを最後まで埋めることができなかった島野さん。
しかし、異なる形で、普通の選手には決してできないぐらいの夢と楽しみを与え続けたことは、間違いありません。
それは、彼がマスコットとして活躍したこと自体だけではなく、そうすることで、「マスコット」という存在をプロ野球に根づかせたこと。
つまり、B・Bやカビー、あるいはさまざまなマスコットたちが、球団の顔として、ファンと球団をつなぐ存在として根づくための道を開いたことによるものだと、私は思っています。
島野さんのご冥福をお祈りいたします。
島野さん、どうか安らかにお眠りください。
あなたの残した“遺伝子”を受け継いだ球団マスコット達が、また明日から球場にやってくる子供たちを楽しませてくれることでしょう。
あなたの“思い”は日本にプロ野球がある限り生き続けます。
今でこそマスコットという存在が定着して、いるのが当たり前になりましたが、
それもブレービーやギョロタンといった先駆者がいてこそのことですからね。
あらためて、島野さんの功績に心から敬意を表したいと思います。
こちらの本の筆者はスカイマークスタジアムのはなき球場長です。あのブログ面白かったですね。
それいけネッピーは図書館で借りても読むことをオススメします。
島野さんのご冥福をお祈りいたします。
調べてみたら、地元の図書館には入ってました。
機会を見つけて、読んでおかないといけませんね。
球場長のブログといい、本当は遠のいてはいけないはずのものから、
どんどん遠ざかっていってるような気がしてなりません。
調べてみると星野仙一氏がジャイアンツに袖にされたときのジャイアンツの1位指名の方だったんですね。
彼の引退後のことを調べてみればみるほど、
彼がプロ野球界に残した功績はスター選手たちに勝るとも劣らないものであるなと感じました。
島野修さんのご冥福をお祈りいたします。
野球プラスアルファの楽しさを提供するのが大事なんだということを、
身をもって示した先駆者の1人が、島野さんではないかと思っています。
いずれ殿堂入りしませんかねぇ……
私のハンドルネームにもなっているネッピー(NEPPIE)なので、思い入れがあります。
島野さんも最初は葛藤があったと思うけど、子供たちに夢を与え、後のマスコット人気の礎になった功績は大きいと思います。
殿堂入り、私も希望します。
今までありがとう、安らかに眠って下さいと伝えたいです。
ブレービーが楽しかったという親子の会話を聞いて、
迷いが吹っ切れたというエピソードがありましたね。
そういう人だったからこそ、さらに長年活躍できたのではないかと思います。
なるべく早いうちに、球界が彼の功績をきちんとした形で認めてほしいですね。
マスコット全員でお見舞いのビデオレターを送ったことがあるそうで、実際にブレービーを知らない私もなぐめられるような気持ちになりました。
B・Bが島野さんの存在をどう思っていたのかが気になってましたし、
コラムを読んで、何よりホッとしたというのが正直な気持ちです。