■ 土橋正幸氏死去 筋萎縮性側索硬化症で闘病、わずか1年で(スポニチ・2013年8月27日)
東映フライヤーズのエースとして活躍し、日拓ホーム・日本ハム時代には監督も務めた土橋正幸さんが亡くなっていたことが、昨日報じられました。
土橋さんのプロフィールは上記リンク先の通りですが、加えて、珍プレー好プレーでのキャラ設定、あるいはスワローズ監督時代にいしいひさいち氏のマンガでしばしば登場したのを覚えている方も多いことでしょう。
私自身、遠い記憶になってしまいましたが、脈絡もない「俺が土橋だ!」というアテレコとともに登場する土橋監督のイメージは、まだ残っています。
そして、土橋さんと言えばやはり「江戸っ子」というイメージが馴染んでいます。
浅草出身で浅草で野球をはじめ、テストで入団した球団は東映フライヤーズ。その後も、日拓ホーム、ヤクルト、日本ハムと、土橋さんにはとかく東京がついて回ります。
それは、氏の語り口も含め、全国向けのブランドにはなっていない、その土地に根差した「江戸→東京」といっていいのかも知れません。
それだけに、監督としては決して幸運とは言えないにせよ、土橋さんは「東京」ファイターズを象徴する1人であった、とは言えるのでしょう。
ご冥福をお祈りします。
東映フライヤーズのエースとして活躍し、日拓ホーム・日本ハム時代には監督も務めた土橋正幸さんが亡くなっていたことが、昨日報じられました。
土橋さんのプロフィールは上記リンク先の通りですが、加えて、珍プレー好プレーでのキャラ設定、あるいはスワローズ監督時代にいしいひさいち氏のマンガでしばしば登場したのを覚えている方も多いことでしょう。
私自身、遠い記憶になってしまいましたが、脈絡もない「俺が土橋だ!」というアテレコとともに登場する土橋監督のイメージは、まだ残っています。
そして、土橋さんと言えばやはり「江戸っ子」というイメージが馴染んでいます。
浅草出身で浅草で野球をはじめ、テストで入団した球団は東映フライヤーズ。その後も、日拓ホーム、ヤクルト、日本ハムと、土橋さんにはとかく東京がついて回ります。
それは、氏の語り口も含め、全国向けのブランドにはなっていない、その土地に根差した「江戸→東京」といっていいのかも知れません。
それだけに、監督としては決して幸運とは言えないにせよ、土橋さんは「東京」ファイターズを象徴する1人であった、とは言えるのでしょう。
ご冥福をお祈りします。