いつまでも雌伏するような輩ではないと思っていましたが、いよいよ動き出したようですね。
ご存知の方も多いと思いますが、先日長嶋茂雄氏が讀賣新聞本社を訪問、このような面会写真が世に出回ることとなりました。
この写真についてはいろいろな見方ができるでしょうが、私は渡邉前オーナーが長嶋氏を使って自らの存在をアピールした面が非常に強いと考えています。それは、渡邉氏の右腕が如実に表していると言えるでしょう。
そもそも、「本日は体調がいい」と訪問を思い立ち、讀賣新聞本社で前オーナーのみと会った点からして、疑いの念が生じてしまいます。
それに、面会の目的は、読売巨人軍終身名誉監督が巨人軍の戦況分析を報告するというものなのです。そういう報告なら、本来は現オーナーに会って伝えなければ意味がないはずです。そのような分析結果は、本来なら、前オーナーより現在のオーナーが知っておくべきなのですから。
にもかかわらず、長嶋氏は現オーナーの滝鼻氏とは会見せず、いや、会見の意図があったという気配すらなく、球界とは直接の関係もない渡邉氏とのみ会見したわけです。
その上、発表された写真というのはいわば記念写真的なもので、両氏の会見の様子を伝えるものではありません。渡邉氏が言うように「10歳ぐらい若返った感じ」が本当にするならば、話しているところの写真を出してきても、宣伝にこそなれ、何の不都合はないように思われます。
しかし、出てきた写真は向きを直してわざわざポーズを取ったようなものです。このような写真なら、本当に病が回復しておらず、会話が無理であったとしても、撮影は十分可能ではないでしょうか。
長嶋氏が本当にお元気になられたのであれば、それは心から喜ばしく思えることです。ですが、そう思うにはこの1枚の写真はあまりにも作為的に見えてしまいます。
むしろ、カメラを見つめる長嶋氏よりも、その背後に回るかのような渡邉氏の存在感に、薄ら寒い思いすら感じずにはいられませんでした。
よりにもよって同じ29日にダイエーの高塚球団社長がホークスタウン社長を解任されたり、翌日には球団社長を辞任というゴタゴタがありましたからね。
この人にはいろいろ問題もあったとは思いますが、なぜこの時期なのかという素朴な疑問もありますし、いろいろ勘繰ってしまう私です。
そうそう、讀賣新聞で思い出しましたが、先日週刊文春が出した記事に讀賣側がかなり怒ったようで、広告でこんなことをやってのけたそうですね。
何といいますか、子どものケンカみたいで笑ってしまいますが、見出しを塗りつぶすことを了解したといわれる文春側の鷹揚さには感心します。
ただ、せっかくこんなことをやらかしてくれたので、私もこんなんを作ってみました。
ご存知の方も多いと思いますが、先日長嶋茂雄氏が讀賣新聞本社を訪問、このような面会写真が世に出回ることとなりました。
この写真についてはいろいろな見方ができるでしょうが、私は渡邉前オーナーが長嶋氏を使って自らの存在をアピールした面が非常に強いと考えています。それは、渡邉氏の右腕が如実に表していると言えるでしょう。
そもそも、「本日は体調がいい」と訪問を思い立ち、讀賣新聞本社で前オーナーのみと会った点からして、疑いの念が生じてしまいます。
それに、面会の目的は、読売巨人軍終身名誉監督が巨人軍の戦況分析を報告するというものなのです。そういう報告なら、本来は現オーナーに会って伝えなければ意味がないはずです。そのような分析結果は、本来なら、前オーナーより現在のオーナーが知っておくべきなのですから。
にもかかわらず、長嶋氏は現オーナーの滝鼻氏とは会見せず、いや、会見の意図があったという気配すらなく、球界とは直接の関係もない渡邉氏とのみ会見したわけです。
その上、発表された写真というのはいわば記念写真的なもので、両氏の会見の様子を伝えるものではありません。渡邉氏が言うように「10歳ぐらい若返った感じ」が本当にするならば、話しているところの写真を出してきても、宣伝にこそなれ、何の不都合はないように思われます。
しかし、出てきた写真は向きを直してわざわざポーズを取ったようなものです。このような写真なら、本当に病が回復しておらず、会話が無理であったとしても、撮影は十分可能ではないでしょうか。
長嶋氏が本当にお元気になられたのであれば、それは心から喜ばしく思えることです。ですが、そう思うにはこの1枚の写真はあまりにも作為的に見えてしまいます。
むしろ、カメラを見つめる長嶋氏よりも、その背後に回るかのような渡邉氏の存在感に、薄ら寒い思いすら感じずにはいられませんでした。
よりにもよって同じ29日にダイエーの高塚球団社長がホークスタウン社長を解任されたり、翌日には球団社長を辞任というゴタゴタがありましたからね。
この人にはいろいろ問題もあったとは思いますが、なぜこの時期なのかという素朴な疑問もありますし、いろいろ勘繰ってしまう私です。
そうそう、讀賣新聞で思い出しましたが、先日週刊文春が出した記事に讀賣側がかなり怒ったようで、広告でこんなことをやってのけたそうですね。
何といいますか、子どものケンカみたいで笑ってしまいますが、見出しを塗りつぶすことを了解したといわれる文春側の鷹揚さには感心します。
ただ、せっかくこんなことをやらかしてくれたので、私もこんなんを作ってみました。
私も中畑氏が助監督への就任要請を断ったのは正解だと思います。
氏の能力や精神論一辺倒の考え方には私も大いに疑問を持っておりますが、ヘッドコーチのいるチームでの屋上屋を架すような地位では、どのような逸材でも十分な仕事はできないでしょう。
>ジャイアンツの生え抜き若手コーチの中で、過去に於いて、そういう様に”レベルアップ”していった人を殆ど見出せないのが、哀しい現実(^o^;;;。
阪神もあまり他所のことは言えないんですよね(和田二軍野手総合コーチという期待のもてる例外はいますが)。
昨年優勝したときも、コーチ陣のほとんどは他球団出身者でしたし、自前での監督・コーチの育成はできていませんからね。
>今年のジャイアンツでいえば、池谷投手コーチの処遇がどうなるのかで、来季が決まりそうな気がしています。
>選手は個人事業主であるから、最終決定権は選手に有るのは当然ですが、それ以前に「コーチのコントロール下に選手達がない」事を、これ等のコメントに感じました。
お話から察するに、コーチの指導の説得力というのが問題なのでしょうね。精神論の押し付けが選手の反感を買い、信頼関係が築けなくなっているではないでしょうか。
コーチに求められるのは理論や哲学だけではなく、それらを選手に理解させるための対話能力を持つことも
あると思います。
この点、これまた阪神も他所のことは言える立場ではないのですが…
中畑氏は助監督要請を断ったみたいですね。個人の能力としてよりも、「人寄せパンダ」の形で要請したとしか思えないジャイアンツ・フロント。その様な”浅い”考えを見抜いて拒否したのであれば、中畑氏は立派だと思います。又、後々の人的トラブルを考えたら、チームとしても良かったのかなあと(^o^;;;。
カツノリ捕手がコーチ補佐にという話も、実態はどうなんでしょうね。類稀なる野球理論や指導の上手さを持っていれば別ですが、そうでなければ或る程度の人望や人間性の良さがないと、選手はコーチに従わないものかと。その意味では、カツノリ捕手に、その素養が備わっていないとは言えないかもしれませんね。コーチング能力は、後から備わって行く部分も有るとも思いますし。唯、ジャイアンツの生え抜き若手コーチの中で、過去に於いて、そういう様に”レベルアップ”していった人を殆ど見出せないのが、哀しい現実(^o^;;;。苦労人でもあるカツノリ捕手であれば、その点をクリア出来るのかもしれませんが・・・・。
今年のジャイアンツでいえば、池谷投手コーチの処遇がどうなるのかで、来季が決まりそうな気がしています。マスメディアで色々報じられており、何処までが実で、何処までが虚なのかは推測の域を出ませんが、「精神論に走り過ぎて、選手に教えを押し付け、選手達から総スカンを食らっている。」というのは、どうやら事実の様です。以前、林投手がノックアウトされた際、堀内監督がこんなコメントを発しました。「林は球に力がなかった。投げる度にフォームが違う。新人の頃のフォームだ。ピッチングコーチに聞いたら、”本人の意思”だって言うんだ。」と。今年はこの手の発言を多く耳にしました。選手は個人事業主であるから、最終決定権は選手に有るのは当然ですが、それ以前に「コーチのコントロール下に選手達がない」事を、これ等のコメントに感じました。留任濃厚という事ですが、この辺もファンとの意識とかなり乖離していると思えてなりません。
李捕手の件も含めて、疑心暗鬼になってしまう話ばかりなのが、ジャイアンツ・ファンとしては哀しいです。
渡邉氏を見ていると「盗人猛々し」と言いたくなりますね。
引責という言葉が全くの嘘であったことを、自らの態度でいけしゃあしゃあと示している感覚は喜劇的ですらありますが、そこで長嶋氏が利用されるのはいたたまれません。
>病は長嶋氏を襲っているのか
渡辺氏を襲っているのか
疑わしくさえなりますね。
確かに。以前の渡邉氏にはもっと老獪なイメージがありましたし、暴言を吐くことこそあれ、このような露骨な行動はあまりなかったのではないでしょうか。
にもかかわらず、このような写真を出してきたり、あるいはストの際にあのような社説を出してきたりなど、余裕を失っているとしか思えません。
あるいは、渡邉氏ももはや老いさらばえ、自らの行動に抑制が効かなくなっているのかも知れません。あくまでもある種の「希望的」観測ですが…
そうですね。私もそう捉えています。
>長嶋さんはあくまでも「専門特化した立場=プロ野球人」として,その時その時の任務を全うしてきたわけで,実は社会人(一業界で働く者)として非常に現実的かつ常識的な態度を貫いてきたのではないか,という見方です。
この点もおっしゃる通りであると思います。そして、この現実的な態度をどう評価するかで、玉木氏のコラムへの評価が分かれるような気がします。
>長嶋さんは別に,共犯者でもなければ罪人(つみびと)でもない,ということになります(否,今に至ってはナベツネ讀賣の被害者的存在となってしまった感がある)。
ここはどうでしょうね。私は長嶋氏にもある程度批判されるべき面がある一方で、同情する部分もあり、判断が付きかねています。
この背番号3の発端は、ご存知の通り広島からFA移籍した江藤にそれまでの背番号33を譲ることにあります。
これは言うなれば、巨人軍の背番号3が讀賣的な戦力補強の象徴となったことをも意味するでしょう。
ただし、このような補強に長嶋氏が一切タッチしていないとは考えられません。そうなりますと、長嶋氏も一定の攻めを負うことは避けられないと思われます。
(もっとも、氏が補強に実際に一切関わっていないとなれば話は別ですが、GMのいない球団で監督が戦力編成に関与しないのも、それはそれで大問題です。)
ですが、では他に道はあったのか?という疑問もここで生じます。
江藤の獲得がなかったとしても、いずれ讀賣グループを覆う美しきベールとしての背番号3は用意されたのではないか。そして、それを長嶋氏が拒むことは(ジャイアンツOBとして)不可能であったのでは…
もちろん、あくまでも空想でしかありませんが、そのようなことを考えますと、単なる長嶋堕落論では済まされないような気がします。
>玉木氏のこのコラムは,長嶋さんに限定して言えば,“大人になる時”に経験する「自己矛盾から生じる心の葛藤」(=本当は大好きなんだけど決別する,その時の苦しみ)と本質的には同じもの,だから,超辛口なコラムとなっているのでしょうね。
なるほど。拝読していてハッとしました。そう理解すれば、玉木氏の怒りも納得できるように思います。
また、あえてこの時期にこのようなコラムを出したのも、忘れていた長嶋氏への悲しい怒りが蘇ったからなのかもしれませんね。
もっとも、それがジャーナリストとして正当なあり方かどうかは分かりませんが…
(1) ここで「出来そうで出来ない常識的な判断」とは
「出来そうで出来ない優れてバランス感覚の良い判断」という意味です。
なお,「バランス感覚の良い判断」というのは,理性と感性が同質に伴わなければなかなか出来ないもの,と思います。
長嶋さんは,昔から“(動物的)感の鋭い”方と言われてきました。しかしその効果は理性が伴って初めて発揮されるもの。
そう考えると,昔から長嶋さんは(良い意味で)変わっていない,ともいうことができます。
ナベツネもその稀有な個性に魅かれたのかもしれませんね。皮肉にも人間は自分に無いものに憧れ魅かれますから。
(2) 玉木氏の長嶋氏への批判は,詰まるところ
選手としてはスーパースターだった長嶋さん(常識を超えたプレイを見せた長嶋さん)が,監督となって徐々に現実的かつ常識的(=ここでは,「期待を超えない」,という意味)な判断“しか”みせなくなったため(そのように玉木氏には写ったため),そんな長嶋さんに(玉木氏が)失望した,ということでしょうね。コラム本文の書き出しからも伺えるように。
だとすると,玉木氏のこのコラムは,長嶋さんに限定して言えば,“大人になる時”に経験する「自己矛盾から生じる心の葛藤」(=本当は大好きなんだけど決別する,その時の苦しみ)と本質的には同じもの,だから,超辛口なコラムとなっているのでしょうね。
(大きなテーマから逸れましたこと,お許し下さい。)
ホークスファンのパリーグオタク野球狂ですw
皆様の御意見拝読いたしました。
そして納得。
実は以前、祖父が長嶋さんと同じ病に倒れたのですが
彼がやっと身を起こせるようになった状態と
顔の感じが似ていました。
顔面が硬直していますよね。
(右目のあたりが明らかに引きつっている)
神経に麻痺が強く残っている証拠だと
当時医者は言っていました。
憶測ですが、憤りを感じます。
それ以前に
渡辺氏がなんの躊躇もなく
マスコミに顔を出すこと自体不自然です
たとえ戦略であったとしても
彼は球界を愚弄した「裏金疑惑」で
「引責辞任」をした男ですよ。
いわば、球界の犯罪者ですよ。
なにをどう考えたならば
あんな満面の笑みで
衆目にその老顔を晒すことが出来るのか
ボクには全く理解できません。
少なくとも2、3年は
おとなしく反省するフリでもしてるべきだ。
自分がなぜ「前」オーナーになったのか
忘れてしまってるようなあの態度。
きにくわないなぁ。
厚顔無恥で有名な日本の政治家だって
こんな早いタイミングで
笑顔の写真なんか出しませんよ。
引責辞任の時は書面ですませた男が
たった戦力報告くらいで笑顔をさらす。
病は長嶋氏を襲っているのか
渡辺氏を襲っているのか
疑わしくさえなりますね。
先日は失礼しました。ご対応,誠に有難うございました。
>ただ、玉木氏はどうなのでしょうね。
>コラム冒頭の「(長嶋氏が)『日本野球の敵』と、堂々とツーショットにおさまられたことを記念」という部分には、
>長嶋氏への嫌悪を読み取れる気もします。また本文自体も明らかな長嶋批判ですし…
なるほど。
>他球団の選手をかき集める球団を長嶋氏が率いていた4年前なら、このコラムの意義はあったと思います。
思いますに,玉木氏の見解は,結論としては,“ナベツネ讀賣の横暴を許してきた長嶋さんも(それに加担したといえるという意味において)同罪である”というものなのでしょう。
しかし,踏み込んで考えれば,また別の見方も成り立つのではないでしょうか。それは,すなわち,長嶋さんはあくまでも「専門特化した立場=プロ野球人」として,その時その時の任務を全うしてきたわけで,実は社会人(一業界で働く者)として非常に現実的かつ常識的な態度を貫いてきたのではないか,という見方です。
その根底には長嶋さんの,野球に対する熱意と愛情そして自らの名声から来る社会的な責任感が,基礎にあります。このことは,ご健在な頃の(長嶋さんの)積極的な数々の言動から伺えます。
もしそうであるならば,長嶋さんは別に,共犯者でもなければ罪人(つみびと)でもない,ということになります(否,今に至ってはナベツネ讀賣の被害者的存在となってしまった感がある)。むしろ,なかなか出来そうで出来ない常識的な判断が出来うる社会人として,長嶋さんは,その点においても,十分評価されて良いといえます(プロ野球選手である前に社会人たれ,という趣旨の言葉もあるくらいですから)。
その意味で玉木氏のコラムの趣旨は,皮肉にも,(当時ご健在であった頃の)長嶋さんの,ナベツネ讀賣に対するその「常識人としての態度」を批判した点にあったのかもしれませんね(ナベツネ讀賣を中心としたマスメディア批判と併せて)。
>今は状況が全く異なるわけですから、批判の矛先を讀賣グループにしぼったコラムを書いてほしかった気はします。
本当にそのとおりです。
>が,そのため,私の場合は,根本的な問題(ナベツネ率いるマスコミと球団オーナー達のとことん人を利用し尽くすその非道さ・横暴さ)を看過ごしてきました。これが正直なところです。
私もその点は2リーグさんと全く同じです。
そして、これこそがまさに、先のレスで書きました「讀賣の策略」なのかも知れませんね。
もう大分前の話で詳しいことは忘れてしまいましたが、日テレ系列で長嶋氏の「伝説」に関する特番が流されたことがあります。
(本当に代打コールの時にバントの格好をしたのか、あるいは一茂が子どもの頃、後楽園に連れて行って置き忘れたという話は事実かなど)
この辺り、長嶋氏を神格化することで、讀賣球団や本社への批判を和らげようとした例のような気がします。
>今回は状況が全く違いますよね。あくまでも直接批判されるべきは,長嶋さんではなく,この期に及んで未だ長嶋さんを担ぎ出す無神経極まりないナベツネとそれに唯々諾々なメディアであると思います。
玉木氏も結局はそれが言いたくて今回“蔵出し”されたのでしょうけど。
私も今回最も責められるべきはナベツネ讀賣であると考えています。
ただ、玉木氏はどうなのでしょうね。
コラム冒頭の「(長嶋氏が)『日本野球の敵』と、堂々とツーショットにおさまられたことを記念」という部分には、長嶋氏への嫌悪を読み取れる気もします。また本文自体も明らかな長嶋批判ですし…
他球団の選手をかき集める球団を長嶋氏が率いていた4年前なら、このコラムの意義はあったと思います。
ですが、おっしゃる通り今は状況が全く異なるわけですから、批判の矛先を讀賣グループにしぼったコラムを書いてほしかった気はします。
>ただ違う点があるならば、私は長嶋氏に対してはここまで批判的にはなれないところでしょうか。
私もそういう立場です。
私も「選手としての長嶋さん」はリアルタイムで観ていません。しいていえば,時代検証としてのON報道やプロ野球の歴史に関する報道などで,プレイヤーとしての長嶋さんの魅力・偉大さを知りました。
「監督としての長嶋さん」に対しては,他の監督との采配比較という,純粋に野球を楽しむレベルで拝見してきました。
「タレント的・プロ野球界のシンボル的扱いを受ける長嶋さん」に対しては,ご健在な時は,さほど気にも留まらず(まぁ,長嶋さんもお年なのに大変だなぁ,という印象に終始)観てまいりました。
が,そのため,私の場合は,根本的な問題(ナベツネ率いるマスコミと球団オーナー達のとことん人を利用し尽くすその非道さ・横暴さ)を看過ごしてきました。これが正直なところです。
>おそらく、90年代の讀賣で監督を勤めた長嶋茂雄しか知らない人が、4年前にこのコラムを読んだとしたら、そのうちの多くが我が意を得たりと思うのではないでしょうか。
>ひょっとすると、ジャイアンツファンでも同調する人がいるかも知れません。
なるほど,それはありえるかも知れませんね。
確かにあの時は長嶋さんはご健在でしたから,成績うんぬんがストレートに批判の的になりえますもんね(例えて言えば,第1次王巨人軍監督時代の王さんに対する批判に似た感じか)。
しかし,今回は状況が全く違いますよね。あくまでも直接批判されるべきは,長嶋さんではなく,この期に及んで未だ長嶋さんを担ぎ出す無神経極まりないナベツネとそれに唯々諾々なメディアであると思います。
玉木氏も結局はそれが言いたくて今回“蔵出し”されたのでしょうけど。
その意味で,ルパート・ジョーンズさんのご見解と本質において同様な見解を,私も抱いております。
(ちなみに:カープの山本浩二監督も,球団が山本氏におんぶ・抱っこ状態という意味で,第二の長嶋さんになる可能性がある…。)
私は長嶋氏の現役時代も、第1次長嶋政権も知りませんので、私が讀賣監督時代に持っていた長嶋氏へのイメージも、このコラムとそう変わりません。
ただ違う点があるならば、私は長嶋氏に対してはここまで批判的にはなれないところでしょうか。
もっとも、玉木氏に言わせれば、それは讀賣の策略に乗せられているということになるのでしょうが…
おそらく、90年代の讀賣で監督を勤めた長嶋茂雄しか知らない人が、4年前にこのコラムを読んだとしたら、そのうちの多くが我が意を得たりと思うのではないでしょうか。
ひょっとすると、ジャイアンツファンでも同調する人がいるかも知れません。
ここでのテーマに関連して,ちょうど,評論家(玉木正之氏)による「コラム」がアップされたので,ご案内させて頂きます。
玉木氏によれば,今回のコラム自体は,「2000年3月のペナントレース開幕直前、毎日新聞夕刊のコラム「男と女のスポーツ・サイエンス」に寄稿したもの」だそうです。
↓
http://www.tamakimasayuki.com/sport.htm
(このアドレスは,次に新たなコラムがアップされた段階で,バックナンバーへ移行するようです。ご注意のほど。)
なるほど,4年も前からすでに,こういう見解がはっきりと表に(新聞に)示されていたのですね。
今から見ればこの見解は妥当といえますが,当時からすでに多くの人が,玉木氏と同じような見解を持っていたのでしょうか?。
もし大多数の人が4~5年前からすでに氏と同じような見解を抱いていたとしたら…。(長嶋さんに対しては)複雑な心境です。
同感ですね。それにしても、以前ならもう少し狡猾なやり方を採ったのではと思うのですが、このようなミエミエの方法を使うあたりに、氏の「老い」を感じるのは私だけでしょうか?
あるいは、氏の取り巻きが、都合の良い情報のみを氏に伝えて、それ以外は遮断しているとしたら…もちろん、メディアの大物相手にそのようなことは普通できないでしょうし、これはあくまでも妄想です。
ただ、氏の暴走を誰も止められない、氏自身も抑制が効かないとなれば…どうなるでしょうね?
>「どんな大金持ちが作っても、どんな貧乏人が作っても、
HPの大きさは、画面サイズで同じ、全て公平です」
(とルパートさんにエールを。なんて実は大金持ちかも?)
いい言葉ですね(^^)私も使わせていただきましょう。
ちなみに私は間違いなく貧乏人の部類に入ります。稼ぎが少ないのに日帰りで西武ドームなど行くもので、貯金が…(苦笑)
ここで思うのは「この写真を出せばワシの影響力が云々」と考えているご老体の考えの浅さです。
「まだ完全に人前に出れない病人を無理やり引っ張り出した、配慮のない最初の人」としか思えないのです。逆宣伝ですね。この意見には、大半の人が賛成してもらえると思うのですが(長嶋信者は別かも)。
チョーさんが倒れたとき、デーブ大久保が最初にすっ飛んで行った事が、今回の写真とダブりました。
しかしマスコミ報道ではそれは触れられていない。
読売が決めたストーリーに沿って進んでいる(ことになっている)。それが人々と思っていることと大きく異なっていても。
でも人々は今回の合併問題でマスコミ報道と自分たちの考えとの乖離を、イヤというほど知ってしまった。
そのうえ、既に書かれているようにネット上世界の影響の大きさが、マスコミと人々のギャップを埋めるような手段、自分の考えを人々に向かって発信できるようになっているこの時代が、情報化社会が進んだ中で一番のメリット、幸いな事だと思います。
ある人から言っていました。
「どんな大金持ちが作っても、どんな貧乏人が作っても、
HPの大きさは、画面サイズで同じ、全て公平です」
(とルパートさんにエールを。なんて実は大金持ちかも?)
写真右側のナベツネに、某ファストフードの店の前に立つ人形さんを思い出しました。
ただ、そのせいかどうかは分かりませんが、スポーツ紙等を見ても、とりたてて大きな扱いは受けていませんね。
その点では、イチローにかこつけて長嶋氏を担いで宣伝をしようという動きはまだないような気がします。あくまで、現時点での話ですが…
>旧ソ連の笑い話で「プラウダ(党機関紙、ロシア語で『真実』の意味)に真実はない」というのがありましたが、自由主義国でも似たようなものなのでしょうか。情けない話です。
そうですね…似たようなものでしょう(涙)。
>ただ、1つだけ希望を持てることがあるとすれば、今はインターネットやブログによる情報のやり取りがある、というところだと思います。
ルパート・ジョーンズさんのご意見,全く同感です。
こちらのサイトや「習慣ベースボール」など,非常に価値あるサイトのおかげで,報道を鵜呑みにせず「自ら考え,自らの責任で発言(行動)し,事の本質を見極める」ことの重要性を噛み締めることができております(感謝)。
こうやって,ごまかしのきかない時代に入ったということは,喜ばしいことです。
さて,長嶋さんの件。
イチロー選手の世界新記録に対する長嶋氏のコメント報道がありましたですね。しかし,これら,あまりにも“事務的”な報道となっているのは,どういうことでしょう。
http://sports.nikkei.co.jp/mlb/j/ichiro/index.cfm?page=1&i=2004100203061j1
http://www.shikoku-np.co.jp/news/news.asp?id=20041002000151
もしお元気で「言葉を交わせる」状況なら,イチロー選手のやった偉業に対して,「顔を高潮させて喜びを表しておられました」風の報道があってもいいでしょう。あれだけオリンピックや近況報告では写真が出て,長嶋さんは「元気で何より」だったわけですから。
それができないということは,まぁ恐らく今回のコメントも,
(1) 長嶋さんの容態がとても「元気そうでなにより」とは(いまだ)言えない状況にある。
(2) (そのため)長嶋さん報道のベースに,ある種の報道規制が存在している。
(3) その主導権は結局,ナベツネ読売にある。
というレールの上に成り立っている話だということでしょうね(推測の域とはいえ,ある意味分かりきった話ですみません)。
改めて読んでみますと、選手一人一人の発言には深読みできるものもありますね。
例えば、サンスポの記事にある、
「「少し興奮していらっしゃったのか、うれしそうな顔をしていただきました。」という宮本の発言。体調が回復しているなら、「うれしそうな顔をしていただいた」だけで喜ぶはずはないですよね。
さらに気になるのが、スポニチから拾ったキムタクの「直接言葉を交わしてないけど」という言葉。
サンスポでは長嶋氏が「選手ひとりひとりに、はっきりとした言葉をかけ」たことになっているのに、これは何なのでしょうか?
言葉をかけてもらっておいて、「言葉を交わしてない」という人はいないはずです。言うなら、「私からは何も言えなかった」ぐらいでしょう。
もちろん、長嶋氏自身は純粋に選手にねぎらいの言葉をかけたかったのかも知れません。しかしそのための場面としては、疑問を禁じえない点があまりに多すぎますよね。
http://www.sponichi.co.jp/olympic/kiji/2004/08/28/11.html
ほかのスポーツ紙サイトの記事バックナンバーでもよかったのですが、なぜスポニチにしたかというと、「長男・一茂氏(38)とともに」が入っていたので。
そして、王さんが、いつものように迂闊な発言をしてくださってます(消えてなくてほんとによかった)。
http://www.sanspo.com/athens2004/baseball/news/0827/bt2004082702.html
「これでミスターの情報がいろいろ出てくるんじゃないかな」とおっしゃってますが、まったく出てこなかったわけですね。
五輪ナインの帰国記者会見時間や成田のホテルにいた時間もヘンでしたが、それは「長嶋さんを疲れさせてはいけないからだったのか」「長嶋さんはご病気だし、ひとりひとりの選手をねぎらうのに時間がかかったのか」ということで、世の中に納得されてしまいました。
が、ごくふつうに考えて、ご病気を早く治してもらいたいのなら、いくら長嶋さん御本人に「ひとりひとりねぎらいたい」というお気持ちが強かったとしても、文字どおり「お気持ちだけありがたく頂戴しますから、どうかこれ以上は無理なさらず」と、選手たちが長嶋さんに会う時間を極力短くしよう、という話になりませんか?
あくまで妄想ですが、成田での五輪ナインの長嶋さんとの面会は、個別で、ものすごく短かい時間だったんじゃないでしょうか。
で、長嶋さんと面会していない選手も、別に個々に「ちょっとおまえ、裏に来い」みたいなことがあったとしたら…
とにかく、各選手が長嶋さんの病状についてまったく他言できなくするような何かは、そこで起こったかもしれませんね。
ちなみに、ルパート・ジョーンズさんが本記事冒頭で紹介されている画像は「時事通信」のものとなっていますが、なぜ時事通信社のカメラマンが撮った写真が、読売新聞社のカメラマンが撮った写真と、まったく同一としか思えないものなんでしょう?
http://www.asahi.com/sports/bb/TKY200409290349.html
時事も共同も他紙も「読売提供写真を配信しただけ写真」とちゃんと明記しろよな。
しないと世論を誘導になりかねないから。
まったくメディアの風上にもおけない新聞社がたくさんあるようで。
今回のことも、この時に完全に決められたかどうかは分かりませんが、何がしかの取り決めはあったと考えるのが自然でしょうね。
それに、長嶋家にもおっしゃる通りの見返りはあった可能性は十分あるでしょう。あるいは、この10月や来年初めから、日テレ系列で一茂がどう扱われるかにも注目したい気がします。
>なんにせよ,今回の日本のプロ野球に関する報道で,メディアの信用は完全に失墜した。悲しいかな,これだけは確かな気がします。
旧ソ連の笑い話で「プラウダ(党機関紙、ロシア語で『真実』の意味)に真実はない」というのがありましたが、自由主義国でも似たようなものなのでしょうか。情けない話です。
ただ、1つだけ希望を持てることがあるとすれば、今はインターネットやブログによる情報のやり取りがある、というところだと思います。
10年前でしたら、このような情報操作に対抗できるような手段はありませんでした。
ですから、もし球団合併や選手会のスト、このような長嶋利用がこの時に起こっていたらと思うと、まだましであると思う部分もあります。
>東京ドームの画面であの写真を写したというのは初耳です。
一応,2件,参考まで。
http://www.kita-nikkan.co.jp/photonews/pn2004093001.htm
http://www.daily.co.jp/baseball/2004/09/30/145014.shtml
>自らを支配する者への批判精神を失い、単なるプロパガンダ紙となり果てた「一般」紙に、はたして存在価値はあるでしょうか?
まったく,言葉にするのも苦々しい状況です…。
>このような宣伝に担ぎ出されることに対し、長嶋氏の家族は何とも思っていないのでしょうか?
>この辺り、どうしても疑問に感じてしまいます。
長嶋氏の家族も抵抗したい気持ちは大いにあったでしょう。しかし,力関係で完全に優位に立つ「老獪な人」とその人に父親を利用され,かつそのため「“事実上”発言権を握られている人」との関係性を考えると,結局は言いくるめられた(家族側の切実な言葉にならない怒りと思いは,完全に無視された)のではないかと思われます。
具体的には,「見舞金」という名の多額の金銭授受(=「贈与」)が行われているかもしれませんね。もちろんこれはあくまでも邪推ですけど(一場選手の件を突破口に税務署が税務調査してみたらいいのに)。
ところで,感じておられる疑問とPROSEさんの書き込みを読み,ハッと思い出しました。それは,8月23日の読売報知の報道で,ナベツネが一茂氏を呼んで食事をしたという報道です。
http://www.yomiuri.co.jp/hochi/giants/aug/o20040823_30.htm
もしかしたらこの時,今回の“写真と報道”の件が決められたのかも知れません(これまた邪推ですが)。
なんにせよ,今回の日本のプロ野球に関する報道で,メディアの信用は完全に失墜した。悲しいかな,これだけは確かな気がします。
参考までに,玉木正之コラム「スポーツ編」2004年9月20日付
http://www.tamakimasayuki.com/sport.htm
写真が発表された日と同一の日に撮影されている保証など、どこにもないんですよね。状況に惑わされて、うっかり鵜呑みにしてしまうところでした。
とりあえず、これが単発の動きなのか、何か別の動きとシンクロするものなのか、見ていきたいと思います。
しかしどうしても思ってしまうのですが、1個人の性格や言動は直しようがなくとも、その間違いに気付くものがあれば、止めることもできれば批判はできるはずです。
まして、メディアたるもの、そのような批判をするからこそ、報道関係者として特権的な地位を持つことができるのではないでしょうか。
そう考えますと、自らを支配する者への批判精神を失い、単なるプロパガンダ紙となり果てた「一般」紙に、はたして存在価値はあるでしょうか?
また、このような宣伝に担ぎ出されることに対し、長嶋氏の家族は何とも思っていないのでしょうか?
この辺り、どうしても疑問に感じてしまいます。
ここ↓で面会報道をしている新聞社・通信社の記事は、今後要警戒。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/nagashima_shigeo/
さて,今回の件を読み,強く共感。本質的に同じ意見をお持ちのようで,心強く感じました。
正直,写真を見て私は,ナベツネと読売に,心底,怒りを禁じえません。長嶋さんと私たちは一体いつまで,どこまで馬鹿にされるのでしょうか。東京ドームではあの写真がスクリーンに映し出されたそうですね。開いた口がふさがりません。
「老体に鞭を打つ」という言葉がありますが,これは,「病と闘っているご老人を(安静にすべきご老人を),無理やり表に引っ張り出すこと」を意味する言葉でしょうか。そうではないでしょう。
長嶋さんのお姿を見て,「もう(野球界から)引退して欲しい。できることなら,休ませてあげたい。」と,本気で思いました。
しかしマスコミはこぞって,「お元気そうで良かった」という発言に終始。誰も,ナベツネと読売の非道さに異議を唱えず,また,長嶋さんへの「引退希望」のコメントもありませんでした。
そういえば以前,ビートたけしさんが事故入院の後に記者会見した時も,その変わり果てた姿にショックを受けましたが,お分かりのように,あの時と今回では「メディアに(自分を)見せる」ことの意味あいは全く違います。
ビートたけしさんの場合は,自分の意思で偽りの無い自分を出し,メディアを暗に批判しました。彼自身が出てくることにより,メディアの勝手な報道に釘が刺された形になりました。
これに対して長嶋さんの場合は,自分の意思はほとんど尊重されていないように思われます。そのため,メディアは都合の良い報道(きれいごとを並べる報道)しかせず,結果,不快で最悪な内容と印象そして長嶋さんに対する悲しみしか残せていません。
今回のルパート・ジョーンズさんの見解には,そういう意味から,大きく共感した次第です。
(長文,失礼しました。)
ですから、自らの思い通りにならない人や組織への罵詈雑言は多くても、リサさんのおっしゃる通り、将来の展望を全く語れないのではないでしょうか。
そんな人間のために多くのプロ野球ファンが泣かされたかと思うと、怒りを抑えることができません。
ただ、悪趣味かも知れませんが、根来氏がコミッショナーとして何をするのか、見てみたい気もするんです。
球界に悪態をつきながら、コミッショナーのポストを辞していないということは、非常に多くの人々が知っているわけです。
それだけに、次に何かやらかしたら―まず間違いなくやらかすでしょうが(苦笑)―、今度こそタダではすまないでしょう。
少なくとも、コミッショナーから遁走して世間の目から逃れるよりは、世間から叩かれる可能性は格段に高いはずです。
なので、どの程度痛い目にあるのか、見てみたいという気もしているのです。
って、我ながらあまりいい趣味のことではありませんけどね(^^;)
せいぜい、自分の持つ企業グループの部下程度としか見ていないようにしか思えません。
ただ、こういう人がメディアを支配して、思うように操れるんですよね…私は讀賣系の新聞は元々読みませんが、それでも正直に言って嫌な気分になります。
そうそう、一茂は一体何をしているんでしょうね?
病身の茂雄氏本人は仕方ないにしても、一茂がもう少ししっかりしていたら、このように借り出されることもなかったと思うのですが…
裏から手を回してばかりでなく一度人前に出て、球界をどうしたいのかきっちり話してみてはどうでしょう。
ナベツネさんに関しては周りがあれこれ言うばかりで、ご本人が球界の未来のビジョンを語ったことが無いような気がします。(ありましたら教えてください)
今日のイチローと松井を見ていたら、もう長嶋とかミスターとか言ってる場合じゃないんだとシミジミ感じました。
「なんでナベツネやねんっ!」って。
本当に、渡辺オーナーの「人間性」って
ちょっと私たち常人の想像を超えていますよねー。
病床のミスターを自らの権威示威に使うなんて・・・