
フェリーターミナルから歩くこと40分ぐらい、タリンの旧市街に到着しました(これ以前の旅の様子はまとめエントリにて)。
中世12世紀以来(さらにさかのぼるという説も)の歴史を持つタリン。バルト三国の1つ、エストニアの首都として、第1次大戦後の独立からソヴィエトによる侵攻、強制編入という苦難の歴史を経験してきました。
ただ、独立を回復した現在では、「タリン歴史地区」(Historic Center of Tallinn)として世界遺産にも登録された、旧市街の中世の街並みなどを資源に、世界各国からの観光客を集める賑やかな街になっています。

かつての城門の1つから、旧市街に入ります。

すると、最初に私たちの目に入って来たのは、歴史のありそうな家屋を改造したマクドナルドでした。いきなりイメージが……
って、日本でも京都にマクドナルドもコンビニもあるんですけどね。さすがに町家ナルドは見かけませんが。

この日は土曜日。さすがに活気があります。天気もいいですし、落ち着いた古い街並みを静かに散策する、という描いていたイメージとは、ちょっと違いましたね。
とはいえ、一国の首都ですから賑やかなのは当然。ハンザ同盟時代からの活気を体験すると思えば、それもまたよし。

こちらは名物のアーモンドを売るスタンド。ヘルシンキと比べると、観光客向けの物売りをよく見かけますし、売る側の勢いもある感じです。

旧市街の中心地、ラエコヤ広場にやって来ました。
ここはかつての市庁舎の前に広がる広場で、地図をざっと見た限り、旧市街の主だった道はたいていこの広場を経由しています。
なので、観光で歩く際にも、この広場を基準点にして考えると歩きやすくて迷いにくいのです。

広場に観光列車がやって来ました。

広場の脇をのんびりと走っていきます。あとでどんなものか見てみたいですね。

こちらが旧市庁舎。イメージする「ヨーロッパ中世」そのまんまです。って、街自体がそうなんですけどね。

ラエコヤ広場には現役最古という薬局がありました。こちらはその看板。
蛇と杯のマークは、日本ではまず目にすることがないですが、昔海外に住んでいた時によく見かけたので、懐かしくなって撮ってしまいました。
薬局のほか、広場にはレストランがいくつも並んでいて、広場を眺めながら食事を楽しむことができます。ただ、まだちょっと時間が早いので、広場から山の手をぐるっと歩くことにしましょう。

広場から南に歩いたところで見つけたレリーフ。きっと有名な人なんでしょうが、エドゥアルド何とかさんというぐらいしか分かりません。
後で調べてみたら、エドゥアルド・ヴィルデ(エトゥアルト・ヴィルテ)という小説家だそうです。エストニアでは最初の本格的な小説家という評も目にしましたし、重要な人物なのでしょう。
個人的には、エストニアで「エドゥアルド」というと、作曲家のエドゥアルド・トゥービンを連想します。日本ではお世辞にも知られているとは言えない作曲家ですが、作品には抗いがたい魅力があります。
ただ、ソ連占領に抗って亡命した人なだけに、再独立までエストニア国内で評価されなかったとしても、仕方ないことではあります。

話を戻して、広場からさらに南に歩き、「キーク・イン・デ・キョーク」という塔に来ました。
「キーク・イン・デ・キョーク」。何やら変わった響きですが、その意味も「台所をのぞけ」という風変わりなものです。
昔はこの塔から下町の家々の台所がよく見えたのだとか。なので、こんな名前がついたんですね。

ここから坂を上って、山の手に上がります。眺めが良さそうですよ!
中世12世紀以来(さらにさかのぼるという説も)の歴史を持つタリン。バルト三国の1つ、エストニアの首都として、第1次大戦後の独立からソヴィエトによる侵攻、強制編入という苦難の歴史を経験してきました。
ただ、独立を回復した現在では、「タリン歴史地区」(Historic Center of Tallinn)として世界遺産にも登録された、旧市街の中世の街並みなどを資源に、世界各国からの観光客を集める賑やかな街になっています。

かつての城門の1つから、旧市街に入ります。

すると、最初に私たちの目に入って来たのは、歴史のありそうな家屋を改造したマクドナルドでした。いきなりイメージが……
って、日本でも京都にマクドナルドもコンビニもあるんですけどね。さすがに町家ナルドは見かけませんが。

この日は土曜日。さすがに活気があります。天気もいいですし、落ち着いた古い街並みを静かに散策する、という描いていたイメージとは、ちょっと違いましたね。
とはいえ、一国の首都ですから賑やかなのは当然。ハンザ同盟時代からの活気を体験すると思えば、それもまたよし。

こちらは名物のアーモンドを売るスタンド。ヘルシンキと比べると、観光客向けの物売りをよく見かけますし、売る側の勢いもある感じです。

旧市街の中心地、ラエコヤ広場にやって来ました。
ここはかつての市庁舎の前に広がる広場で、地図をざっと見た限り、旧市街の主だった道はたいていこの広場を経由しています。
なので、観光で歩く際にも、この広場を基準点にして考えると歩きやすくて迷いにくいのです。

広場に観光列車がやって来ました。

広場の脇をのんびりと走っていきます。あとでどんなものか見てみたいですね。

こちらが旧市庁舎。イメージする「ヨーロッパ中世」そのまんまです。って、街自体がそうなんですけどね。

ラエコヤ広場には現役最古という薬局がありました。こちらはその看板。
蛇と杯のマークは、日本ではまず目にすることがないですが、昔海外に住んでいた時によく見かけたので、懐かしくなって撮ってしまいました。
薬局のほか、広場にはレストランがいくつも並んでいて、広場を眺めながら食事を楽しむことができます。ただ、まだちょっと時間が早いので、広場から山の手をぐるっと歩くことにしましょう。

広場から南に歩いたところで見つけたレリーフ。きっと有名な人なんでしょうが、エドゥアルド何とかさんというぐらいしか分かりません。
後で調べてみたら、エドゥアルド・ヴィルデ(エトゥアルト・ヴィルテ)という小説家だそうです。エストニアでは最初の本格的な小説家という評も目にしましたし、重要な人物なのでしょう。
個人的には、エストニアで「エドゥアルド」というと、作曲家のエドゥアルド・トゥービンを連想します。日本ではお世辞にも知られているとは言えない作曲家ですが、作品には抗いがたい魅力があります。
ただ、ソ連占領に抗って亡命した人なだけに、再独立までエストニア国内で評価されなかったとしても、仕方ないことではあります。

話を戻して、広場からさらに南に歩き、「キーク・イン・デ・キョーク」という塔に来ました。
「キーク・イン・デ・キョーク」。何やら変わった響きですが、その意味も「台所をのぞけ」という風変わりなものです。
昔はこの塔から下町の家々の台所がよく見えたのだとか。なので、こんな名前がついたんですね。

ここから坂を上って、山の手に上がります。眺めが良さそうですよ!