
前谷地からは一部区間を残して開通している石巻線に乗る。幸運なことに、マンガッタンライナーの車両がやって来た。
石巻市は漫画家石ノ森章太郎先生の出身地で、先生の原画や資料を集めた石ノ森萬画館が以前に設立され、仙石線に電車のマンガッタンライナーが走っていた。
大震災によって萬画館は大打撃を受けたが、同年中に無事再オープン。マンガッタンライナーも石巻線のディーゼルカーとなって甦ったのだ。
まったく予想していなかった車両に乗り合わせたのは幸運だが、不運なことに、こんな時にデジカメが動かない。

仕方がないのでスマートフォン。車内には石ノ森先生のキャラクターによるマナー啓発ステッカーが各所に貼られていた。

絵というのは、かくも雄弁なものか。何の標語もないものでも、言わんとしていることは伝わる。

石巻線のディーゼルカーは、涌谷を経由して小牛田に到着。次は真っ当な機材で撮影したいが、来るとすれば仙石線の全線復旧の辺りか。

ここから仙台までは電車で移動。久しぶりの都市近郊だ。

仙台で昼食を取るつもりはあったが、酒が切れてきた。三陸海岸の光景の中に身を置いて、身体が、というより、精神が酒切れを起こしている。地酒はなかったが、せめて地元と縁のあるものを。

無事仙台に着いて昼食をとったが、時間はまだある。昨年訪れた常磐線が、この春に1駅のみながらさらに運転区間が伸びたというので、行ってみることにした。
仙台から岩沼を経て、亘理までは昨年見た光景。その先に進むと、線路を一面に覆っていた草は、当たり前だが既になく、普通に電車が運転される路線になっていた。
そう、どんな状況からも、何年かかっても、変えられるものは世の中にはあるのだ。
この7日間、寂れた農山漁村、大災害の消えない爪痕、重くのしかかるものばかり見てきた私にとって、たった1駅間の変化が、仄かだが確かに存在する光となって、目の前に現れた。

列車は浜吉田駅に着いた。この駅から先は代行バスがあるが、バス停は駅から離れている。バスは亘理駅前から出ているので、乗り換えるのであれば、そちらの方が賢明だ。

浜吉田駅の跨線橋は今だ用途を取り戻せず、閉鎖されたまま。

駅名板も、開通していない南行きの部分が覆われている。

ホームから南に延びる線路を眺める。
ここから先の復旧は、まだかなり時間がかかる。津波で流出した部分について、線路をより内陸に移設する必要もあるためだ。
ただ、とにもかくにも、ここから相馬までを結ぶ取り組みは、存在している。その時に再び訪れれば、ただ通るだけになるであろう駅を、折り返しの電車で後にした。

名取まで引き返した後、空港行の電車に乗る。その終点で、長かった北海道・東日本パスの旅は、ひとまず終わった。

飛行機で関西に帰る前に、7日間の労を自らねぎらう。

旅が終わって日が暮れて。帰りの飛行機で酒と旅の重さに酔ううちに、飛行機は関西へと帰っていった。
【7日目】一ノ関→気仙沼→柳津→前谷地→小牛田→仙台→浜吉田→名取→仙台空港
石巻市は漫画家石ノ森章太郎先生の出身地で、先生の原画や資料を集めた石ノ森萬画館が以前に設立され、仙石線に電車のマンガッタンライナーが走っていた。
大震災によって萬画館は大打撃を受けたが、同年中に無事再オープン。マンガッタンライナーも石巻線のディーゼルカーとなって甦ったのだ。
まったく予想していなかった車両に乗り合わせたのは幸運だが、不運なことに、こんな時にデジカメが動かない。

仕方がないのでスマートフォン。車内には石ノ森先生のキャラクターによるマナー啓発ステッカーが各所に貼られていた。

絵というのは、かくも雄弁なものか。何の標語もないものでも、言わんとしていることは伝わる。

石巻線のディーゼルカーは、涌谷を経由して小牛田に到着。次は真っ当な機材で撮影したいが、来るとすれば仙石線の全線復旧の辺りか。

ここから仙台までは電車で移動。久しぶりの都市近郊だ。

仙台で昼食を取るつもりはあったが、酒が切れてきた。三陸海岸の光景の中に身を置いて、身体が、というより、精神が酒切れを起こしている。地酒はなかったが、せめて地元と縁のあるものを。

無事仙台に着いて昼食をとったが、時間はまだある。昨年訪れた常磐線が、この春に1駅のみながらさらに運転区間が伸びたというので、行ってみることにした。
仙台から岩沼を経て、亘理までは昨年見た光景。その先に進むと、線路を一面に覆っていた草は、当たり前だが既になく、普通に電車が運転される路線になっていた。
そう、どんな状況からも、何年かかっても、変えられるものは世の中にはあるのだ。
この7日間、寂れた農山漁村、大災害の消えない爪痕、重くのしかかるものばかり見てきた私にとって、たった1駅間の変化が、仄かだが確かに存在する光となって、目の前に現れた。

列車は浜吉田駅に着いた。この駅から先は代行バスがあるが、バス停は駅から離れている。バスは亘理駅前から出ているので、乗り換えるのであれば、そちらの方が賢明だ。

浜吉田駅の跨線橋は今だ用途を取り戻せず、閉鎖されたまま。

駅名板も、開通していない南行きの部分が覆われている。

ホームから南に延びる線路を眺める。
ここから先の復旧は、まだかなり時間がかかる。津波で流出した部分について、線路をより内陸に移設する必要もあるためだ。
ただ、とにもかくにも、ここから相馬までを結ぶ取り組みは、存在している。その時に再び訪れれば、ただ通るだけになるであろう駅を、折り返しの電車で後にした。

名取まで引き返した後、空港行の電車に乗る。その終点で、長かった北海道・東日本パスの旅は、ひとまず終わった。

飛行機で関西に帰る前に、7日間の労を自らねぎらう。

旅が終わって日が暮れて。帰りの飛行機で酒と旅の重さに酔ううちに、飛行機は関西へと帰っていった。
【7日目】一ノ関→気仙沼→柳津→前谷地→小牛田→仙台→浜吉田→名取→仙台空港
【2013北海道・東日本の旅】 了
本エントリの上に、写真だけで本文が何もないエントリを作成しております。
投稿日時は、19年前、阪神・淡路大震災が発生した時刻に合わせております。
こちらのエントリは、震災を改めて心に留めるために、毎年作成しているものです。
この時間には、私も震災で犠牲となった方々に黙祷を捧げることにしております。
ですので、もし皆さんの中でご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、
エントリに刻まれた時刻、5時46分に黙祷を捧げていただければ幸いです。
また、明日1月17日は震災の被害に思いを馳せるため、
スパム削除等最低限のものを除き、ブログ上での活動を控えさせていただきます。
そのため、コメント・トラックバックを頂きましても、
レスは原則として明後日以降となります。
明後日以降は、普段通り皆さんに楽しい話題を提供していきたいと思っておりますので、
どうぞご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。