当『にわか日ハムファンのブログ』は、皆さんのおかげをもちまして、今日で開設3周年を迎えることができました。
自分でも3年続けられたことが信じられない部分があるのですが、ここまでこれたのも、いつも当ブログにお越しいただいている皆さんがいてこそのことです。改めまして、厚くお礼申し上げます<(__)>
さて、当ブログでは開設4年目に入るに当たって、1つのテーマを掲げてみたいと思います。
そのテーマとは、ファンが作る野球の文化学。
野球という「文化」は、現役選手やOB、経営陣、その他球界関係者やメディアという野球をする・見せる側だけではなくて、「ファン」という野球を見る側にも作れる部分があるんじゃないか、あるいは作るべきではないか、そんな思いから、あえて大仰な言葉を掲げてみました。
自分で書いておいてなんですが、『野球という「文化」』というのは、分かるようで分からない言葉です。「文化」というのが非常にあいまいな言葉ですし、それが野球とどうつながるのか、これだけでは見えてこないからです。
かくいう私自身、『野球という「文化」』について、ハッキリした定義を与えられるとは思っていません。
じゃぁなんで書いたのか、と言いますと、要はビジネスや経営に関する視点、あるいは関係者の内輪の視点だけではなくて、もっと別な視点から野球を見ることで、このスポーツが存在する意味が、新たに分かるんじゃないかと思ったからです。
どんなスポーツでもそうですが、野球をするにはおカネがかかります。むしろ、野球はスポーツの中でも特におカネのかかる部類に入るでしょう。
そして、プロ野球ですら、かかったおカネを野球そのものによって回収するのは、非常に難しいのです。
そこまでして、なぜ野球をするのか? もちろん、プロ野球であればビジネスですから、宣伝効果や親会社への経営貢献など、おカネに関する面は大きいでしょう。
しかし、果たしてそれだけなのか? もっと他に、単純にビジネスでは割り切れない面、経済学でいえば「正の外部性」という一言になりますが、実はさまざまな要素を含んだ面があるのではないでしょうか。
その面とはどんなものなのか、どんな要素が含まれているのか―それを明らかにしていくことで、おカネには還元しつくせない野球の存在意義が見えてくることでしょう。
「文化」という言葉は、その意義を見つける中で重要なキーワードです。
そして、野球の「文化」、野球が生み出す「文化」というものを見出すためには、野球を観るファンの視点こそが欠かせない、私はそう思うわけです。
とまぁエラソーなことを書いてはみましたが、やることは4年目もこれまでと大して変わりません(^^;;)
というわけで、これからも当ブログおよびルパート・ジョーンズとルパートリオ(ルパペット・ジョーンズ、ルパイティー、ルパビー)を、よろしくお願い申し上げます<(__)>
自分でも3年続けられたことが信じられない部分があるのですが、ここまでこれたのも、いつも当ブログにお越しいただいている皆さんがいてこそのことです。改めまして、厚くお礼申し上げます<(__)>
さて、当ブログでは開設4年目に入るに当たって、1つのテーマを掲げてみたいと思います。
そのテーマとは、ファンが作る野球の文化学。
野球という「文化」は、現役選手やOB、経営陣、その他球界関係者やメディアという野球をする・見せる側だけではなくて、「ファン」という野球を見る側にも作れる部分があるんじゃないか、あるいは作るべきではないか、そんな思いから、あえて大仰な言葉を掲げてみました。
自分で書いておいてなんですが、『野球という「文化」』というのは、分かるようで分からない言葉です。「文化」というのが非常にあいまいな言葉ですし、それが野球とどうつながるのか、これだけでは見えてこないからです。
かくいう私自身、『野球という「文化」』について、ハッキリした定義を与えられるとは思っていません。
じゃぁなんで書いたのか、と言いますと、要はビジネスや経営に関する視点、あるいは関係者の内輪の視点だけではなくて、もっと別な視点から野球を見ることで、このスポーツが存在する意味が、新たに分かるんじゃないかと思ったからです。
どんなスポーツでもそうですが、野球をするにはおカネがかかります。むしろ、野球はスポーツの中でも特におカネのかかる部類に入るでしょう。
そして、プロ野球ですら、かかったおカネを野球そのものによって回収するのは、非常に難しいのです。
そこまでして、なぜ野球をするのか? もちろん、プロ野球であればビジネスですから、宣伝効果や親会社への経営貢献など、おカネに関する面は大きいでしょう。
しかし、果たしてそれだけなのか? もっと他に、単純にビジネスでは割り切れない面、経済学でいえば「正の外部性」という一言になりますが、実はさまざまな要素を含んだ面があるのではないでしょうか。
その面とはどんなものなのか、どんな要素が含まれているのか―それを明らかにしていくことで、おカネには還元しつくせない野球の存在意義が見えてくることでしょう。
「文化」という言葉は、その意義を見つける中で重要なキーワードです。
そして、野球の「文化」、野球が生み出す「文化」というものを見出すためには、野球を観るファンの視点こそが欠かせない、私はそう思うわけです。
とまぁエラソーなことを書いてはみましたが、やることは4年目もこれまでと大して変わりません(^^;;)
というわけで、これからも当ブログおよびルパート・ジョーンズとルパートリオ(ルパペット・ジョーンズ、ルパイティー、ルパビー)を、よろしくお願い申し上げます<(__)>
「野球は文化だ」というのは私の持論でもあるのですが、
非常にあいまいでうまく定義できていません(^^;;)
ルパートさんの導き出す文化学に期待しています。
これからも身体に気をつけて、がんばってくださいね。
今後ともよろしくお願いいたします。
課題対象としてパ・リーグはまさにうってつけだろうと思います。
その思いに賛同を表明する次第です。
ブログができたころには、いつ優勝が見られるのかと思っていたのに、すっかりファイターズは常勝球団になりつつありますね。
>ファンが作る野球の文化学。
楽しみです
で、この言葉を振り回すだけになってはいけない、とも思うんですよね。
野球のなにがどう「文化」として、われわれの世の中に役立ってる/いないのかなど、
野球をする側だけではなくて、観る側が感じるところを伝えていくことで、
「文化」としての野球が鍛えられるのだと思います。
ただ、それは私一人でできることではまったくなくて、
「ファン」それぞれ、単なる「観客」以上の立場を名乗る人々がそれぞれ発信していくことで、
はじめて可能になると思っています。
ナショ坊☆さんのブログもその発信の1つです。お互い頑張りましょう!
特に近年は地域密着を目指すチームが多いですよね。
その分、パは日本の多様な「文化」を担う存在になれるものだと思っています。
「パ・リーグって面白い。」
この実感を分かち合える人が増えていくことが、
「文化」としてのパ・リーグの価値が増すことだと思っています。
相手のミスとかで勝ってる試合が多いので、なんかスッキリしない部分も感じます(^^;;)
ただ、ファイターズを3年間観てきて、確実に戦力は上がっていると思います。
ぜひこのままシーズン1位を保ってほしいものです。
球団が移転して来て、北海道でも野球のある風景が日常になりました。
応援できるチームができて、内観的なムーブメント(大げさ・・)が湧き起こる日々です。
人様に絡むだけの私ですが、今後もよろしくお願いします。益々楽しみにしています!
遅くなりましたがルパート・ジョーンズさん、ブログ開設3周年おめでとうございます。
>文化
改めて「文化」って何でしょう?
辞書で検索してもすっきりしない説明です。
一応「人間がつくるもの」「人間抜きではありえない
もの」という解釈をしてみました。
しかしこういう解釈をしてしまうと、
ちょっと高尚になりすぎですよね。
そこを判りやすくやっていくところが
まさしく「腕の見せ所」というところでしょうか。
益々のご活躍を!
やがては、そんな日常が当たり前のようになるのでしょう。あるいは、もうそうなってるかも知れませんね。
それはそれでいいことだと思う一方、でもやはり「当たり前」のものでは決してないわけですし、
そのことを頭のどこかにとどめておいてほしいなぁという思いはあります。
関西でパ・リーグを観ていると、そういう思いを常々感じる次第です。
カタい話になってしまいましたが(^^;;)、今後ともよろしくお願いします!