報道はまだ一社からしか出ていないのですが。
■ ウメチカ「アリバイ通り」や串カツ屋立ち退きへ(読売・2014年2月25日)
関西以外の方で「『アリバイ通り』って何?」という方もいらっしゃるでしょう。こちらが参考になるかと。
■ こてこて用語の基礎知識【あ~お】(2014年2月25日閲覧)
個人的には「押しピン」が関東で通じないというのに衝撃を受けたのですが、それはさておき。
アリバイ通りは梅田のある意味名物で、かつてはほぼ日本中の都府県(道があったかは覚えてないです、済みません)の商店が並んでいました。
もっとも、商店と言ってもスペースは極端に狭く、実際には地下街の壁に棚があって、そこに品物が並べられているというもの。店主も通路にいすを置いて座っているぐらいです。
とはいえ、帰省先や旅行・出張先など、買い忘れたり買えなかったお土産を買ったり、あるいは、それこそ行ってない土地の特産品を仕入れる「アリバイ工作」にも貢献する、なかなかない商店群でした。
ただ、詳しい統計はないのですが、ここ10年以上の間に店の数はすっかり減ってしまいました。今ではシャッターや壁面が目立ち、営業中の店はたった5軒と、寂れてしまったのは否めません。
この辺は、おそらくネットショッピングの普及が大きいのでしょう。家にいながらにして「アリバイ工作」ができる今では、わざわざ梅田で買い物をすることもないですし。
(ちなみに、報道ではアンテナショップが要因として挙げられていますが、梅田にはあんまりないんですよね)
そして、立ち退きを迫られているのは土産物店だけではありません。並びや近くにある店も対象です。
例えば、知る人ぞ知る大阪流串カツの名店「松葉」や、JR大阪駅桜橋口から阪神梅田・地下鉄西梅田に乗り換える乗客に強烈なうどんだしの匂いを浴びせる「おかげ横丁」の店も対象になっています。
これも時代の流れなのか、といえばそうなのかも知れません。ただ、私が「時代」の変化を感じるのは立ち退き自体ではありません。
むしろ、世が世なら大騒動になっていただろうという方が大きいです。
梅田の地下街で立ち退きと聞いて、「壁新聞撤去」を思い出した一定年齢以上の方はいらっしゃらないでしょうか?
かつて梅田の地下街、とくに阪神梅田の駅付近には、夕刊紙がほぼ毎日支柱に貼りつけられていました。
なにせ私が子どもの頃のことで、記憶もあやふやで、かつネット上での資料が少ないのですが、ご存じない方はこちらのページが参考になるでしょう。
ただし、ここでは壁新聞の張り出しが無くなった経緯について「景観上の問題」とだけ触れられていますが、実際には決して簡単なものではなく、むしろ新聞社側は猛反発していて、そりゃもう大騒ぎでした。
私自身、壁新聞そのものよりも、新聞社が市役所を揶揄する壁新聞の貼り出しを強行していたことの方が印象に強く残っています。
結果として壁新聞はなくなったのですが、ただその過程では生活をかけて「お上」に逆らう人々による反抗があったり、それを囃し立てる人々の姿があったわけです。
新聞社側がただ暴れたり、罵詈雑言だけ書き立ただけなら、人々からは早々にそっぽを向かれていたでしょう。ただ、そこは関西人、風刺とユーモアを武器にすることで、人々の共感をある程度得ることに成功したのです。
(もちろん、はじめから彼らに否定的な人々もいたことでしょうが、あくまでも、「もいた」です。ただ、繰り返しですがこの辺は記憶も記録も少ないので、詳しくはより年配の方にお尋ねください)
そして現在に戻ります。大阪市は地下街の商店に立ち退きを迫り、代替地も提供しないとのこと。あの頃なら、商店主と常連客、あるいは野次馬も混ざった騒ぎになっていたことでしょう。
むしろ、立ち退きの話が出たのは決して最近のことではないはずです。とすれば、とうの昔に騒動になっていても、何もおかしくなかったのです。
にもかかわらず、ここまで「静か」だったのはなぜか?
あるいは、店主の多くが高齢化して、既に抵抗するだけのパワーを失っていたのかも知れません。
また、商店自体の需要が減る中で、得意客も減っていて、みんなで抵抗とはいかないのかも知れません。
壁新聞の騒動は、ネットはおろか携帯すらない1990年の「花と緑の博覧会」開催がきっかけでした。それだけ新聞を見る人が多かったから、騒動になったわけです。
今はというと、私自身もこれらの商店を日常的に利用してはいないわけで、何と言うか、厳しいものはあります。
ただ、彼らがそれでも立ち上がったとして、結果が知れている、というのもありそうな気がします。
むしろ、今の世の中では生活を懸けて戦おうにも、権力者に逆らう動きが知られた時点で、それが気に入らない人々から左翼とか韓国とか中国とか在日とか決めつけられ、無慈悲な攻撃を受けるのがオチではあります。
だとすれば、お上、いや「世間」には逆らわないのが安全なのかも知れません。たとえ、彼らが何を言おうと。
ともあれ、梅田の地下街はこれからますます小奇麗になっていくことでしょう。
そして、良くも悪くもどこに向かうか分からない、ただどこかユーモア漂う大阪庶民のエネルギーが、過去のものになったことも、同じぐらい間違いないのでしょう。
■ ウメチカ「アリバイ通り」や串カツ屋立ち退きへ(読売・2014年2月25日)
関西以外の方で「『アリバイ通り』って何?」という方もいらっしゃるでしょう。こちらが参考になるかと。
■ こてこて用語の基礎知識【あ~お】(2014年2月25日閲覧)
個人的には「押しピン」が関東で通じないというのに衝撃を受けたのですが、それはさておき。
アリバイ通りは梅田のある意味名物で、かつてはほぼ日本中の都府県(道があったかは覚えてないです、済みません)の商店が並んでいました。
もっとも、商店と言ってもスペースは極端に狭く、実際には地下街の壁に棚があって、そこに品物が並べられているというもの。店主も通路にいすを置いて座っているぐらいです。
とはいえ、帰省先や旅行・出張先など、買い忘れたり買えなかったお土産を買ったり、あるいは、それこそ行ってない土地の特産品を仕入れる「アリバイ工作」にも貢献する、なかなかない商店群でした。
ただ、詳しい統計はないのですが、ここ10年以上の間に店の数はすっかり減ってしまいました。今ではシャッターや壁面が目立ち、営業中の店はたった5軒と、寂れてしまったのは否めません。
この辺は、おそらくネットショッピングの普及が大きいのでしょう。家にいながらにして「アリバイ工作」ができる今では、わざわざ梅田で買い物をすることもないですし。
(ちなみに、報道ではアンテナショップが要因として挙げられていますが、梅田にはあんまりないんですよね)
そして、立ち退きを迫られているのは土産物店だけではありません。並びや近くにある店も対象です。
例えば、知る人ぞ知る大阪流串カツの名店「松葉」や、JR大阪駅桜橋口から阪神梅田・地下鉄西梅田に乗り換える乗客に強烈なうどんだしの匂いを浴びせる「おかげ横丁」の店も対象になっています。
これも時代の流れなのか、といえばそうなのかも知れません。ただ、私が「時代」の変化を感じるのは立ち退き自体ではありません。
むしろ、世が世なら大騒動になっていただろうという方が大きいです。
梅田の地下街で立ち退きと聞いて、「壁新聞撤去」を思い出した一定年齢以上の方はいらっしゃらないでしょうか?
かつて梅田の地下街、とくに阪神梅田の駅付近には、夕刊紙がほぼ毎日支柱に貼りつけられていました。
なにせ私が子どもの頃のことで、記憶もあやふやで、かつネット上での資料が少ないのですが、ご存じない方はこちらのページが参考になるでしょう。
ただし、ここでは壁新聞の張り出しが無くなった経緯について「景観上の問題」とだけ触れられていますが、実際には決して簡単なものではなく、むしろ新聞社側は猛反発していて、そりゃもう大騒ぎでした。
私自身、壁新聞そのものよりも、新聞社が市役所を揶揄する壁新聞の貼り出しを強行していたことの方が印象に強く残っています。
結果として壁新聞はなくなったのですが、ただその過程では生活をかけて「お上」に逆らう人々による反抗があったり、それを囃し立てる人々の姿があったわけです。
新聞社側がただ暴れたり、罵詈雑言だけ書き立ただけなら、人々からは早々にそっぽを向かれていたでしょう。ただ、そこは関西人、風刺とユーモアを武器にすることで、人々の共感をある程度得ることに成功したのです。
(もちろん、はじめから彼らに否定的な人々もいたことでしょうが、あくまでも、「もいた」です。ただ、繰り返しですがこの辺は記憶も記録も少ないので、詳しくはより年配の方にお尋ねください)
そして現在に戻ります。大阪市は地下街の商店に立ち退きを迫り、代替地も提供しないとのこと。あの頃なら、商店主と常連客、あるいは野次馬も混ざった騒ぎになっていたことでしょう。
むしろ、立ち退きの話が出たのは決して最近のことではないはずです。とすれば、とうの昔に騒動になっていても、何もおかしくなかったのです。
にもかかわらず、ここまで「静か」だったのはなぜか?
あるいは、店主の多くが高齢化して、既に抵抗するだけのパワーを失っていたのかも知れません。
また、商店自体の需要が減る中で、得意客も減っていて、みんなで抵抗とはいかないのかも知れません。
壁新聞の騒動は、ネットはおろか携帯すらない1990年の「花と緑の博覧会」開催がきっかけでした。それだけ新聞を見る人が多かったから、騒動になったわけです。
今はというと、私自身もこれらの商店を日常的に利用してはいないわけで、何と言うか、厳しいものはあります。
ただ、彼らがそれでも立ち上がったとして、結果が知れている、というのもありそうな気がします。
むしろ、今の世の中では生活を懸けて戦おうにも、権力者に逆らう動きが知られた時点で、それが気に入らない人々から左翼とか韓国とか中国とか在日とか決めつけられ、無慈悲な攻撃を受けるのがオチではあります。
だとすれば、お上、いや「世間」には逆らわないのが安全なのかも知れません。たとえ、彼らが何を言おうと。
ともあれ、梅田の地下街はこれからますます小奇麗になっていくことでしょう。
そして、良くも悪くもどこに向かうか分からない、ただどこかユーモア漂う大阪庶民のエネルギーが、過去のものになったことも、同じぐらい間違いないのでしょう。
JRの駅を降りて、地下鉄駅へ向けて階段を降りると、そこには立ち飲みでビール飲んだり串カツ食べている人がいる、初めて見た時は驚きました。ガード下ならいざ知らず、地下にこんなのがあるなんて!
今後大阪に行くときにはせいぜい利用しようと思います。手始めに3月8日の甲子園オープン戦は見に行くので、その日かな?
最近は新世界の店でいくつか観光客御用達のものがでてきましたが、
ああいう立ち飲みでダークダックススタイルで呑むのが本来の姿で。
昔は阪神百貨店の西側にも立ち飲みがあったんですけど、
なくなってしまいましたし、時代は移っていくんですねぇ……
仕事の都合で8日は残念ながら行けないのですが、
9日の姫路新球場柿落しには何とか向かいたいものです。
当日は球場に入る前に、手柄山のモノレール駅の遺構を見てからにしようと考えてます。
にしても姫路の入場料はオープン戦にしては高すぎる!まさか建設費を捻出しようとしてないと下衆な勘繰り。
多分ルパペ以下一族郎党を連れてると思います(笑)
手柄山駅は車両のみならず、駅自体も往時の雰囲気が残っているので面白いですよ。
>入場料
ま、ご祝儀価格ってことで……