今日は訃報をお伝えします。
私が子どもの頃、吉本新喜劇の花形役者は花紀京と岡八朗(当時は八郎)のお二人でした。全国的には間寛平やチャーリー浜の方がおそらく有名でしょうが、岡八郎の名前はまぎれもなく古き良き吉本新喜劇の看板でした。
上の記事に出てくるギャグに始まり、ヤクザ相手に「ワシは空手やっとんたんや!ゆうても通信教育やけどな」とか、もらった手紙を顔に擦りつけるようにして読み、「奥目やからこれで焦点が合うんや」などなど、懐かしくもおかしなギャグは今でも鮮やかに思い出されます。
メンバーの大幅入れ替えに伴って新喜劇を退団した後は、ドラマに出演しているのを一時期見かけることもありましたが、次第にそれも少なくなっていき、この数年はその姿を見ることはあまりありませんでした。
「岡八郎最近見いへんなぁ」「酒でカラダいわしたんちゃうか?」「かなりの酒好きらしいしなぁ……」
同じようにアルコールが原因で身体を壊した新喜劇の役者が他にもいただけに、こういう話を聞くことも多かったのですが、実際様々な苦労が重なったせいもあってアルコール依存症に陥った時期もあったようです。
ただそれも数年前に克服、去年だったか一昨年だったかにはテレビに出ているのを見かけました。やせこけた頬を見たときにはショックでしたが、これから再起を図ろうというお話を聞いて期待していただけに、今日の訃報は残念でなりません。
良くも悪くも、今よりはるかにベタで泥臭かった昔の吉本新喜劇。その思い出とともに、ある時代がまた遠のいていく。仕方のないことではあるのですが……やはり、寂しいと思わずにはいられません。
八ちゃん、おおきに、お疲れさん。
<訃報>岡八朗さん67歳=タレント 吉本新喜劇で活躍
タレントの岡八朗(おか・はちろう<本名・市岡輝夫=いちおか・てるお>)さんが、26日午前5時20分、肺炎のため死去した。67歳だった。(略)
尼崎市生まれ。高校卒業後宝塚映画に入社。通行人などのエキストラとして映画に出演した後、花菱アチャコの付き人を経て、59年、吉本新喜劇に第1回研究生として入団した。62年から浅草四郎と漫才コンビを組んだが、66年四郎の死去をきっかけに新喜劇へ戻った。新喜劇座長も務め「クッサー」「ピンポンやっててんぞ」「すきがあったらかかってこんかい」などのギャグで人気を博し、テレビでも活躍した。
03年4月、65歳の誕生日を機に「残りの人生を楽しく朗らかに過ごしたい」と、芸名を「八郎」から「八朗」に変えた。
◇舞台の好きな人
▽元吉本新喜劇の大阪市議、船場太郎さんの話 私が新喜劇に入った昭和40(1965)年からずっとご一緒だったので、思い出だらけです。とにかく舞台の好きな人。いつも一生懸命で汗を流し、楽屋ではよく本を読んでました。本当に寂しくなります。(毎日新聞・2005年7月26日16時48分配信記事より引用)
私が子どもの頃、吉本新喜劇の花形役者は花紀京と岡八朗(当時は八郎)のお二人でした。全国的には間寛平やチャーリー浜の方がおそらく有名でしょうが、岡八郎の名前はまぎれもなく古き良き吉本新喜劇の看板でした。
上の記事に出てくるギャグに始まり、ヤクザ相手に「ワシは空手やっとんたんや!ゆうても通信教育やけどな」とか、もらった手紙を顔に擦りつけるようにして読み、「奥目やからこれで焦点が合うんや」などなど、懐かしくもおかしなギャグは今でも鮮やかに思い出されます。
メンバーの大幅入れ替えに伴って新喜劇を退団した後は、ドラマに出演しているのを一時期見かけることもありましたが、次第にそれも少なくなっていき、この数年はその姿を見ることはあまりありませんでした。
「岡八郎最近見いへんなぁ」「酒でカラダいわしたんちゃうか?」「かなりの酒好きらしいしなぁ……」
同じようにアルコールが原因で身体を壊した新喜劇の役者が他にもいただけに、こういう話を聞くことも多かったのですが、実際様々な苦労が重なったせいもあってアルコール依存症に陥った時期もあったようです。
ただそれも数年前に克服、去年だったか一昨年だったかにはテレビに出ているのを見かけました。やせこけた頬を見たときにはショックでしたが、これから再起を図ろうというお話を聞いて期待していただけに、今日の訃報は残念でなりません。
良くも悪くも、今よりはるかにベタで泥臭かった昔の吉本新喜劇。その思い出とともに、ある時代がまた遠のいていく。仕方のないことではあるのですが……やはり、寂しいと思わずにはいられません。
八ちゃん、おおきに、お疲れさん。
吉本新喜劇 ギャグ100連発【保存版】アール・アンド・シー・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
吉本新喜劇 ギャグ100連発 2(野望編)-スペシャル版-アール・アンド・シー・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
吉本新喜劇 ギャグ100連発 3アール・アンド・シー・ジャパンこのアイテムの詳細を見る |
実はお袋が彼と学校の同級生で、やはりそのころからちょけた(ふざけて明るい)生徒だったそうです。
お袋と家も近かったのです。とりたてて友達というのではなかったのですが。
よく言われるアルコール依存だけでなく、身内の不幸や火事など、災難や波乱の多かった人生だったようです。
明るかった舞台があるだけに、そのコントラストが際立ってしまいます。
また、昭和が遠くなりました・・・。
私も、子供の頃から見てました。
新喜劇大好きなもんで^^;
時々、懐かしい顔が舞台に登場し、懐かしいネタをやってくれるのがとっても嬉しかった。
木村すすむさんたちとの共演も大好きでした。
本当に寂しいですね・・・(><)
ちなみに、私はピンポンのネタが好きだったな~~~。
他紙の報道でも書いていたのですが、特に新喜劇退団後は何度も病魔に襲われたり、身内の不幸などがあったりして苦労が重なったようですね。
おっしゃるように、舞台上での光の部分を見ているだけに、影の部分が際立って見えますよね。ただそれでも再起を賭けようというご本人の言葉があっただけに、期待していたのですが……
一つの時代が終わったようで、本当に寂しいですね。
>木村すすむさん
懐かしいなぁ~(笑)今でこそおばぁちゃん役は「和子のおばぁちゃん」の独壇場ですが、この人も破壊力抜群(?)で好きでした。
>ピンポンのネタ
私も一番好きなのはこれです(笑)
あまりにも変わり果てていて・・。
そのあと、ちょいちょい深夜番組とか出てました。
木村進さん(博多淡海さん)も闘病中なんですね。
NHKの「悪意」というドラマに出ていて、車椅子の老人役だったんですが、本当によいよいで(^^;)これにもびっくりしました。
木村進さんも肝臓を悪くしたとかで、長年闘病生活が続いたようですね。
メンバー大量入れ替えのときに退団した吉本新喜劇の団員たちの中でも、うまく転身できた方もいらっしゃいますが、岡八朗さんといい木村進さんといい、そうでない方の苦悩は想像するに余りあります……
岡八朗さんと花紀京さんの名コンビで工事現場のコントの場面の記憶がうかびます
その花紀さんも今は病気で療養生活をしてるらしいですね
今の新喜劇もストーリー性のあるコントでおもしろいが、昔のコテコテギャク満載も好きやなぁ~
それにしても、花紀京さんまで療養中だったのは知りませんでした。
関西での舞台公演のポスターには必ず脇役で写真が載っていたり、テレビドラマにも時々出演していましたが、最近見かけないと思ったら……
新喜劇は今も人気なようですが、かつての黄金時代が遠のいていくのは寂しいですね。
演技・間の才能のある芸人sanが多数いました
今の新喜劇にはない
大笑いが あの頃の新喜劇にはあったと思います
岡san花紀san進sanを少しでも見れて良かった
知らずに育たなくて良かったと思います
ビッチリではないかも知れませんが
9月頃までスケジュール入ってたそうです
本当に寂しくてしかたありません。
ただ
これからもいつまでも
岡sanの事を忘れる事はないですが
>9月頃までスケジュール入ってたそうです
そうだったんですか。岡さん、再起に向けて気合が入っていたんでしょうね。お仕事でまた姿を拝見したかったのですが、残念です……
ただ、私も岡さんのことを忘れることはありません。今までホンマにおおきに、の一言ですね。