蒼天離宮

Since 1983
Third time pays for all.

知らぬ間に?

2014-09-25 | 2014
9月が終わろうとしています。

最後にここに書いたのはいつのことやら・・・。思い出せません。

8月はだいぶ慎重に過ごしました。暑さとの戦いかな、と思ったからです。でも、そんなこともあまりなく、ここ数年になく過ごしやすいというか・・・それなりに暮らせた8月でした。

もう・・・8月の最後の方のことは忘れました。
何故だ?

そうです。9月に入ってすぐ、会社の前のグループの飲み会がありました。
焼き鳥屋さんで楽しくおしゃべりしながら・・・。

そう、そんな間にも「事件は起きていたのです」

帰りにラインをみたら、息子から「おなかが痛いので、何か食べるものをかってきてください」とありました。

おなかが痛いのに、何食べられるんだ??と思いつつ、飲み会の帰りとあって、すぐに食べられそうなおにぎりとか買って帰ったのですが・・・。

もう、1時間もしないうちに、おなかが痛いと辛そうにしていました。

そう、息子は次の日、実は「歯を抜く予定」が入っていたので、神経性胃炎かな?と始めは思っていたのですが、とうとう夜10時くらいになると、私の手をにぎりながらおなかが痛いと言い出したのです。

高校生の男の子がお母さんの手を握りたくなるくらい、おなかが痛いというのは、ある意味、異常です。お医者さんに行く前に「#7119」に電話をして看護婦さんに指示を仰ぎました。むやみに病院に行くのを、私がためらったんです。

でも、看護婦さんは電話での対応だったのに、病院に行ってください、と言いました。なので、私は息子と近くの緊急病院に行ったんです。

そしたら、内科の先生が、息子のおなかを何度か押して、胃痛薬を出して・・・終わりでした。なんだか、ぼ~っとした先生だったので、ちょっとむっとしてましたけど。

息子も病院に行ったので、少しは安心したのか、寝たように思います。

というのも、私はその日、仕事が繁忙期で、しかも飲み会で、疲れていました。真夜中12時30分に病院から帰ってきて、(車は私が運転しましたけど)私はめずらしくぐっすり眠ってしまったんです。

しかし・・・次の日になって・・・今度は盲腸あたりが痛くなったとまた私の手を握って言うのです。これは「盲腸だ」と私は思い、盲腸を検索すると・・・

可愛そうに・・・盲腸は嘔吐や熱37度、胃のあたりが痛いから始まり、その痛みが盲腸に降りてくるんだそうです。

それってないでしょう・・・・・・・。

息子は歯医者どころではなくなり、昨夜診てもらった病院に行こうとしたら、医者がいないから近くの病院に行けと言われ、またむっとして、近くの病院に予約患者として予約をとってから病院に行きました。2時間後くらいだったかな。

病院慣れしている私としては、緊急で病院に行っても、順番待ちになり、苦痛を味わうため、家でじっとしているほうがいいかな、と思ったんです。

で、2時間後行ったら、すぐ内科の先生に診てもらったのですが、おなかの位置からすぐ外科の先生に診てもらうことができて、外科の先生がすぐ手術ですと・・・入院の準備して1時間後に来てください、と言われた病院は・・・

昨夜、ちゃんと診てくれなかった(と思っている)内科の先生がいる・・・そしてその日は先生がいないからと診察を断られた・・・地域総合病院でした。

たまたま外科の先生がいて、たまたまその先生がその病院に夕方行くことになっていて、そして都合のいいことに、その先生がその地域病院の外科の先生だったんです。

息子君・・・ひとまず体を託せる先生にやっと出会えました。

そしてレントゲンとCTを撮って、盲腸どころではないと先生があまりにも突拍子もないことを言うので、母・・・ついていけず。

手術の手続き・入院の手続き・・・そして手術のサインと輸血OKのサインしました。

車いすに乗りながら、点滴打ってたような・・・。私の手を握り、痛いを声に出して時計を見る息子・・・。

息子の前に手術している人がいて、その人が終わったら、息子の番でした。

前日、学校でも腹痛と嘔吐で保健室のお世話になって、それから、家でおなかが痛いと言い出して
二日目。昨夜もここに来たのにその時、先生は気が付かないものかな、内科と外科ってそんなに違うものかな(違うだろっ)と・・・。

そして時計が夜の7時・・・手術の時間は準備ができ次第で7時20分くらいだと言われてました。息子もそれまではがんばって痛みに耐えようと、声に出さずにこらえてました。本当に偉いと思います。

その間、息子をたくさん励ましました。「むつみ屋のラーメン食べに行こうね」とか・・・。他にもいろいろ言ったけど、なぜか忘れたな。

ここ、ネタのはずなのに、やっぱり必死の時って、必死なんだよね。

代わってあげられたら・・・と思いつつ、こんな痛みはきっと息子じゃないと耐えられないかもとも思いました。

7時20分。本当に時間が過ぎるのが、遅いんです。まだ、呼ばれません。それからです。息子がナースセンターと時計を何度も何度もみて、それでも呼ばれなくて、それから7時30分くらいから、声に出して大きな声で「痛い、痛い」とわめき始めました。

待っても待っても呼ばれないんです。私はただただ、息子の手を握るばかり。背中や肩をさすってあげたり・・・励ましてあげたり。

こういう時、先生たちがどんなことをしてるか、私には想像できました。だってよく病院ドラマでやるじゃない??手術前の先生たちがCTとかレントゲンとか見て、手術の手順の相談をしてるんですよ。

(ドラマのファンタジーに浸っていたと・・・告白)

だって先生、言ってたもの。ひどい状態なので、内視鏡ではじめますが、ひどかったら切りますって、最悪、輸血しますって、でも息子は若いのでできれば輸血は避けたいですって。

診ないと・・・ではなく見ないとわからないということだそうです。

そう・・・息子は簡単にいうと「虫垂炎」

盲腸と虫垂に汚物が溜まって・・・破裂。そして、その汚物が内臓内に広がっている状態でした。盲腸に穴が開いていたそうです。

はあ・・・親としては、本当にかわいそうなことしたな、と。ただ手を握るだけしかできないんですよね。親子でも、人間という魂の入れ物は別物だから。

そして7時40分。とうとう私は看護婦さんに聞きに行きました。
「手術まだですか?息子がすごく痛がっています」
こんなことを聞くのは、私の中ではすごく愚かなことだと思っていました。

だってどんなに息子が痛がっても、親の私がわめいても、はじまらないものははじめられないんです。

それがわかっていても、言わずには居られなかったんです。それが親というものなんだな、と。もう、私も息子の辛そうな姿に、泣きそうでした。

看護婦さんが息子の様子を見に来ました。
「大丈夫ですか?」
って、もう大丈夫じゃないんですよ、息子は。
そして・・・
「もう少しがんばってくださいね」手術があるから痛み止めとかできないそうです。

それこそ、「台詞」でしょ。

7時45分。手術の方針がやっと決まったのか、看護婦さんがきて、車いすの息子を手術室まで連れて行きます。

おかしいかな、手術するのに、怖いとかないんだな、と。それくらいどうにかしてくれってことなんだよね。

息子はドラマのように看護婦さん2人と先生1人と一緒に、手術室に入っていきました。
息子、痛みともどもマックスだったのか、それとも男の戦いに行くつもりだったのか(←これはないだろう)・・・最後に私の顔をみてくれませんでした。

ちとかなし・・・。

それが9月6日の土曜日の夜のことでした。

まだ・・・続けて書いてもいい?

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