喫茶店好きの会社員が北海道内を行脚して集めた『喫茶とインテリアⅡ』の記録
訪ねた喫茶店関係者にちゃんとお話を聞き出してまとめているし、写真も上手いが
ここに行ったらこれを飲め!(食え!)的なことは無いので決して喫茶店のガイドブックではない
東日本大震災の時は釧路にも2mを超える津波が来たこと、
十勝の景気は農家に左右されること、
すすきのの「喫茶・軽食サンローゼ」が閉店していたこと、
常連でもないのに閉店する(営業をやめる)店に閉店間際に行ってはいけないこと、などを知った
一方『戦後と喫茶店』は喫茶店好きの女性が全国を行脚して集めた喫茶店の記録
お店の取材は話を聞きたい人がいなかったりしてあんまり上手くいってなかったが
よく言えば無理をしていないし、コーヒー代を払えば店内が見られると割り切っている(と思う)
しかし昔はどんな店構えだったのか気になるなどすると、建築雑誌などで徹底的に裏取りをしている
マッチラベル、店の看板、喫茶店模型、閉店のお知らせ、などのコレクションと記録も膨大な量だが
とにかく集めるだけで終わらず調査もしているだけあって参考文献数が多い
渡辺寛という人が昭和34年に東北を旅した日記「みちのく珈琲」のなかに
盛岡の洋食店「うしお」が出てきて、ポタージュで口の中を火傷したのを思い出した
元編集者のおじさんが東京をぶらぶらして作り上げた『ぼくの東京地図』
彼はぶらぶら途中で絶対に何か食べる
彼の地図の中には寄りたい店候補が何軒かあって、あそこ通ってあれ飲んであれ食べよ
いや今はお腹いっぱいになっちゃうからからあれは持ち帰りにして
ランチはあっちであれ見た後あの辺でビールかなーとかなり「食」情報多めである
さらに他の人の東京地図はどうなっているのかと案内を何人かにお願いしてみる
自分との共通点、相違点を見つけては一喜一憂するが最終的にお互いに気を使い過ぎて疲れた感
1人ぶらぶらがいいようだ
感化されてしまって私も一駅歩いてみたりするわけだが
パン屋も喫茶店も休みだし野鳥がたまにいるだけで
花のあまり咲いていない2月はなーんも面白く無いのであった(いい運動にはなった)
ここは東京ではない
『野呂邦暢 古本屋写真集』の文庫化ありがとう!
結局野呂がなんでこんなに古本屋の写真を撮っていたのかは我々の想像の域を出ない
今となっては1970年代の貴重な記録であるかな
『地球が燃えている』のだよ、残された時間はあと…
この本はジャーナリストのナオミ・クラインが10年にわたって書いた気候変動(崩壊)にまつわる
長編ルポタージュ、思索的論考、一般向けの講演原稿、などを発表順にまとめたもの
グレタさんの危機感、グリーン・ニューディールのこと、気候変動対策を妨げる「障壁」とは何か
多くを知ってしまった今、「気候変動を招いた責任は誰にあるのか」ともし問われたら
私は「自分」と答えるべきなのかどうなのか…
みたいな話が「図書 2022.3」にあった
知りませんでしたと言えない歳になると大きな罪悪感を抱えることになる
保険を見直そうかなーと思ったら『生命保険とのつきあい方』は絶対読んだ方がいい
いや、この内容は高校生か大学生のうちに全て知っておくべきことだと思う
(2022年度から高校で金融の授業があるらしい)
生命保険料の計算の仕方を知れたのが嬉しい
東日本大震災から11年目の3月11日『三陸海岸大津波』(初版は昭和45年)を読んでいた
昭和8年の大津波後、「津波の高さ」の定義をどうすべきか気象台の技師が悩んでいた様子が伺える
また当時も高台移転という考え方があって一時進んだが
記憶が薄れるにつれて特に漁業者が逆戻りしてしまった経緯があったようだ
昭和53年に完成した田老町の防潮堤建設の様子を長年観察していた著者は
「明治29年や昭和8年のような10m以上の津波が来た場合
海水はこの防潮堤を越すことは間違いない
しかし、その場合でも防潮堤は津波の力を損耗させることは確かだ
それだけでも被害はかなり軽減されるにちがいない」と書いている
さらに大津波を4回経験している田野畑村の某氏談
「津波は時世が変わっても無くならない。必ず今後も襲ってくる
しかし今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから
死ぬ人はめったにいないと思う」
過去の発言から2011年の津波の規模の大きさを思い知った次第
暇なときにパラパラと『天才たちの日課』を見てみよう
全体的に見て朝型の人多し
自己中な人、献身的に尽くしてくれる人が常にそばにいる人、記憶力がいい人、なんかは全然参考にならない
カフカやアシモフ(いずれも作家)のように創作活動以外の生活のためにやる仕事に時間を取られる人は
「うまく誤魔化す技を駆使してなんとか切り抜ける」そうなので参考になりそうだなと思ったが
その肝心のところが良く分からないので困った
そもそも『天才たちの日課』なわけで、凡人には参考になるわけないっか
小沢健二の真似して1日1枚チョコを摂取をしたからって東大に入れるわけじゃないもんね
以前『図書館戦争』シリーズにはまっていたことを思い出した『倒れるときは前のめり』
有川さんは結構物言う人だった
「嫌い」よりも「好き」を躊躇なく主張する、そういうものに私もなりたい
東日本大震災の予言的エッセイと言われている『水の透視画法』であるが、それだけではない
リーマンショック、感染症、ロシアのウクライナ侵攻…
心のざわざわした感じや社会の空気感を的確に文章化してくれている
「猛犬注意」の話はほっこりした
積読で紹介した『鳥と雲と~』に出てきた「安曇族」について調べていたら
『甲州街道、長州路ほか 街道をゆく1』に少し載っていたので積読拾読
「街道をゆく」シリーズの第1回目が琵琶湖の湖西で、安曇川(あどがわ)を通っているのだ
(安曇族の説明については省略)
他に、三井寺内の新羅(しんら)善神社が「新羅(しらぎ)」と、
大津の北にある小松が、もし高麗津(こまつ)と書くのだったら「高句麗(こうくり)」と関係があるのかも!
と司馬さんが言うので、じゃじゃじゃじゃじゃぁ埼玉県の日高市の高麗川(こまがわ)は?
と思って調べたら、日高市のHPにばっちり説明があり
嬉しくなって『らくかるマップル埼玉&東京』にもぐりぐり印を付けて
ついでに地図の同じページにあった日光街道を辿って行く旅に出てしまったのだった
司馬さん張りに脱線している!
『ぐりとぐらのたまご』を参考にカステラを作りたいのだ
訪ねた喫茶店関係者にちゃんとお話を聞き出してまとめているし、写真も上手いが
ここに行ったらこれを飲め!(食え!)的なことは無いので決して喫茶店のガイドブックではない
東日本大震災の時は釧路にも2mを超える津波が来たこと、
十勝の景気は農家に左右されること、
すすきのの「喫茶・軽食サンローゼ」が閉店していたこと、
常連でもないのに閉店する(営業をやめる)店に閉店間際に行ってはいけないこと、などを知った
一方『戦後と喫茶店』は喫茶店好きの女性が全国を行脚して集めた喫茶店の記録
お店の取材は話を聞きたい人がいなかったりしてあんまり上手くいってなかったが
よく言えば無理をしていないし、コーヒー代を払えば店内が見られると割り切っている(と思う)
しかし昔はどんな店構えだったのか気になるなどすると、建築雑誌などで徹底的に裏取りをしている
マッチラベル、店の看板、喫茶店模型、閉店のお知らせ、などのコレクションと記録も膨大な量だが
とにかく集めるだけで終わらず調査もしているだけあって参考文献数が多い
渡辺寛という人が昭和34年に東北を旅した日記「みちのく珈琲」のなかに
盛岡の洋食店「うしお」が出てきて、ポタージュで口の中を火傷したのを思い出した
元編集者のおじさんが東京をぶらぶらして作り上げた『ぼくの東京地図』
彼はぶらぶら途中で絶対に何か食べる
彼の地図の中には寄りたい店候補が何軒かあって、あそこ通ってあれ飲んであれ食べよ
いや今はお腹いっぱいになっちゃうからからあれは持ち帰りにして
ランチはあっちであれ見た後あの辺でビールかなーとかなり「食」情報多めである
さらに他の人の東京地図はどうなっているのかと案内を何人かにお願いしてみる
自分との共通点、相違点を見つけては一喜一憂するが最終的にお互いに気を使い過ぎて疲れた感
1人ぶらぶらがいいようだ
感化されてしまって私も一駅歩いてみたりするわけだが
パン屋も喫茶店も休みだし野鳥がたまにいるだけで
花のあまり咲いていない2月はなーんも面白く無いのであった(いい運動にはなった)
ここは東京ではない
『野呂邦暢 古本屋写真集』の文庫化ありがとう!
結局野呂がなんでこんなに古本屋の写真を撮っていたのかは我々の想像の域を出ない
今となっては1970年代の貴重な記録であるかな
『地球が燃えている』のだよ、残された時間はあと…
この本はジャーナリストのナオミ・クラインが10年にわたって書いた気候変動(崩壊)にまつわる
長編ルポタージュ、思索的論考、一般向けの講演原稿、などを発表順にまとめたもの
グレタさんの危機感、グリーン・ニューディールのこと、気候変動対策を妨げる「障壁」とは何か
多くを知ってしまった今、「気候変動を招いた責任は誰にあるのか」ともし問われたら
私は「自分」と答えるべきなのかどうなのか…
みたいな話が「図書 2022.3」にあった
知りませんでしたと言えない歳になると大きな罪悪感を抱えることになる
保険を見直そうかなーと思ったら『生命保険とのつきあい方』は絶対読んだ方がいい
いや、この内容は高校生か大学生のうちに全て知っておくべきことだと思う
(2022年度から高校で金融の授業があるらしい)
生命保険料の計算の仕方を知れたのが嬉しい
東日本大震災から11年目の3月11日『三陸海岸大津波』(初版は昭和45年)を読んでいた
昭和8年の大津波後、「津波の高さ」の定義をどうすべきか気象台の技師が悩んでいた様子が伺える
また当時も高台移転という考え方があって一時進んだが
記憶が薄れるにつれて特に漁業者が逆戻りしてしまった経緯があったようだ
昭和53年に完成した田老町の防潮堤建設の様子を長年観察していた著者は
「明治29年や昭和8年のような10m以上の津波が来た場合
海水はこの防潮堤を越すことは間違いない
しかし、その場合でも防潮堤は津波の力を損耗させることは確かだ
それだけでも被害はかなり軽減されるにちがいない」と書いている
さらに大津波を4回経験している田野畑村の某氏談
「津波は時世が変わっても無くならない。必ず今後も襲ってくる
しかし今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから
死ぬ人はめったにいないと思う」
過去の発言から2011年の津波の規模の大きさを思い知った次第
暇なときにパラパラと『天才たちの日課』を見てみよう
全体的に見て朝型の人多し
自己中な人、献身的に尽くしてくれる人が常にそばにいる人、記憶力がいい人、なんかは全然参考にならない
カフカやアシモフ(いずれも作家)のように創作活動以外の生活のためにやる仕事に時間を取られる人は
「うまく誤魔化す技を駆使してなんとか切り抜ける」そうなので参考になりそうだなと思ったが
その肝心のところが良く分からないので困った
そもそも『天才たちの日課』なわけで、凡人には参考になるわけないっか
小沢健二の真似して1日1枚チョコを摂取をしたからって東大に入れるわけじゃないもんね
以前『図書館戦争』シリーズにはまっていたことを思い出した『倒れるときは前のめり』
有川さんは結構物言う人だった
「嫌い」よりも「好き」を躊躇なく主張する、そういうものに私もなりたい
東日本大震災の予言的エッセイと言われている『水の透視画法』であるが、それだけではない
リーマンショック、感染症、ロシアのウクライナ侵攻…
心のざわざわした感じや社会の空気感を的確に文章化してくれている
「猛犬注意」の話はほっこりした
積読で紹介した『鳥と雲と~』に出てきた「安曇族」について調べていたら
『甲州街道、長州路ほか 街道をゆく1』に少し載っていたので積読拾読
「街道をゆく」シリーズの第1回目が琵琶湖の湖西で、安曇川(あどがわ)を通っているのだ
(安曇族の説明については省略)
他に、三井寺内の新羅(しんら)善神社が「新羅(しらぎ)」と、
大津の北にある小松が、もし高麗津(こまつ)と書くのだったら「高句麗(こうくり)」と関係があるのかも!
と司馬さんが言うので、じゃじゃじゃじゃじゃぁ埼玉県の日高市の高麗川(こまがわ)は?
と思って調べたら、日高市のHPにばっちり説明があり
嬉しくなって『らくかるマップル埼玉&東京』にもぐりぐり印を付けて
ついでに地図の同じページにあった日光街道を辿って行く旅に出てしまったのだった
司馬さん張りに脱線している!
『ぐりとぐらのたまご』を参考にカステラを作りたいのだ