場所にまつわる回想と省察

時間と空間のはざまに浮き沈みする記憶をたどる旅

銚子から犬吠埼へ

2017-06-16 10:17:21 | 記憶、歴史
  6月の中旬の梅雨晴れの1日、銚子、犬吠埼を訪ねた。初夏の海風が気持よく吹きつける岬の旅はさぞかし快かろうという期待感で胸はふくらんでいた。何よりも、予想外の天気の良さだったのだから。
 半島とか岬が人をひきつけるのは、それらが隅っこにあるということが最大の理由だろう。中心からはずれた辺境、そこには私達が忘れてしまっている何かが今も生きているにちがいなく、それをこの目でたしかめてみたい、という、ひそかな願望があるように思える。
  実際、訪れた岬の生活風景は、想像していたよりも鄙びたものではなかった。時折、この地方独特の民家が散見されるものの、概して、どの家も今風のつくりに建て替えられていて、調子抜けした感じではあった。むしろ、銚子から終点の外川までを結ぶ銚子電鉄の一輛電車に乗った時に、ローカルな気分に浸れたのである。古くからこの地は文人墨客が多く訪れたところで、今もその痕跡を残す文学碑などを多く見ることができる。
 海を目の前にする一帯は、潮の香りにまじって、醤油の匂いが漂っていた。外川という坂の多い港町には、がらんとした静けさがあった。

東海道草津宿探訪

2017-06-12 18:38:07 | 記憶、歴史
 草津は江戸時代以来、東海道と中山道がまじわる宿場町だった。その宿場の状態が現在どうなっているのか以前から興味をもっていた。
 今では東海道のローカル線の一駅になってしまっているが、かつての街道筋は宿屋や茶店が並び立ち、さぞかし賑わっていたことであろう。
 そんな草津の駅に降り立ってみた。線路と交差するように街の東西を走るメインストリートは、明るく閑静なただずまいだった。街全体に高層ビルがないのがいい。空が広く、それだけに街が明るく感じられた。
 地方都市を訪れると、私はいつも、この街に住めるかどうかを私なりの基準で判断してみることにしている。買い物の便利さ、医療施設の充実、環境はどうか、気候はどうかなどを詮索してみるのだ。
 これらの基準からすると草津はとりあえず合格点を越えるだろうと思えた。駅内にある観光案内所のスタッフに、この街の住み心地について尋ねたところ、冬には雪も少なく、住み良いところですよ、という応えが返ってきた。
 東海道線の線路に並行するように中山道が南北に走るが、街中を通る部分は、今は一部、昭和のレトロな雰囲気の商店街になっていて、そこを抜けると、昔ながらの風情を漂わす店が散見される。
 かつての中山道の道幅は今も昔のままなのだろう。車のすれ違いままならぬほどに狭い。その昔ながらの通りに立てば何かが蘇ってくる。その感覚がたまらない。
 ところで、私はここで不思議な風景に出会った。中山道の上を川が流れていたからである。いわば、道は川底をくり抜いて、トンネルをなして通じているのだ。
 川はいわゆる天井川と呼ばれる川で、度々の洪水で川底に土砂がたまり、それが次第に川底を浅くしいった結果の姿らしい。
 聞けば、明治十九年に、今見るようなトンネルができるまで、中山道をたどって来た旅人は、川を渡っていたという。これから見ると、少しずつ堤防が高くなっていったさまが読み取れる。
 ところで、この草津川は数年前に廃川になり、細長い公園に変わり、現在は市民の憩いの場になっている。
 東海道と中山道が交わる、いわゆる追分には、常夜灯をそえた道標が立っている。そして、そこからすぐのところに、かつての本陣が残っている。
 道標には「右東海道いせみち、左中仙道」と刻まれている。その古色のたたずまいが、いかにも歴史を感じさせる。
 ここを通り抜けて行った旅人たちは皆この道標を横目にしながらこの先の旅の安堵を念じていたのかと思うと、取り残されたような道標が昔を語りかけているような気がした。
 格式のある門構えの本陣跡は、長い塀に囲まれていて、当時の威厳を残している。この本陣には忠臣蔵に関係する吉良上野介や浅野内匠頭、時代は下って皇女和宮やシーボルトなどが宿泊したと記録があるという。
 北から南下してきた中山道は、追分で東からの東海道に合することで尽き、東海道と合流する。
 私は街道から裏路地をたどってみた。決して綺麗とはいえないが、古い家並みが軒を並べる路地には、昔の風情が溢れ出ていた。寺があり、格子のついた宿屋がある。
 大都会と比べてみて、この格差はどれほどのものだろうか、とふと考えさせられた。人間が生活するということの意味をこうした路地を歩いていると、あらためて考えさせられる。
風の音を聞きながら、草花を愛でながら、季節の移りを感じがら、そうして生きていることがいかに大事なことか、都会生活にどっぷり浸かっていると、皆、そんなことを忘れ去ってしまう。恐ろしいことだと思う。