秋分の日を中心にした週間が秋のお彼岸の時期となります。
お墓に参り、先祖供養のお勤めをします。
「彼岸」とは、その字の通り「かなたの岸」になります。此岸、こちらの岸を離れ、かなたの岸に行くことで、涅槃の境地に至ることで、仏教では亡くなってからではなく、いちはやくこの境地に至ることを目指します。
例えば、川に船を浮かべているとき、その船の中にいる人は、ふとまるで岸が動いているように勘違いしてしまいますが、そんな人でも、岸から船を見ていると、間違いなく船が動いていることに気づきます。
正しいものの見方が大切だということです。明日の中日では当山でも法要が勤めます。
先祖供養に努め、地に足の着いた心で、お彼岸を迎えたいものです。
白薔薇はその葉を噛んでも白薔薇の香ひがする。
その香ひは枝にも根にも創られている。
花とはじめて香ひが開くのではない。
白薔薇の香ひそのものがその花を咲かすのである。
北原白秋の言葉だそうです。
私の命も、私が産まれてからの命ではない。枝や根があることに気付くことなのです。
薔薇の花が咲く日まで少しありそうです。
そこで、ポエムをひとつ。
一
薔薇ノ木ニ
薔薇ノ花咲ク
ナニゴトノ不思議ナケレド
二
薔薇ノ花
ナニゴトノ不思議ナケレド
照リ極マレド木ヨリコボルル
光リコボルル
薔薇の木に薔薇が咲くのは当たり前ですが、この当たり前は、たいへん不可思議なことです。
あらゆる命は、不可思議の中に産まれたかけがえの無い命です。私の不可思議な命を尊い命と知ることです。
このポエムは、北原白秋の「薔薇二曲」です。