そろそろ春のシーズンも、猛暑日の到来とともに終わりのようです。
切り花となって、玄関を華やかに飾っています。
「一花開いて世界起こる」という禅語があります。
たった一輪の花によって、その人の今いる世界が明るくなるということです。
薔薇一輪が、世界を明るくするのです。
家の中にも、家族の中にも、あなたの心の中にも、花が咲くといいですね。
そろそろ春のシーズンも、猛暑日の到来とともに終わりのようです。
切り花となって、玄関を華やかに飾っています。
「一花開いて世界起こる」という禅語があります。
たった一輪の花によって、その人の今いる世界が明るくなるということです。
薔薇一輪が、世界を明るくするのです。
家の中にも、家族の中にも、あなたの心の中にも、花が咲くといいですね。
春色無高下 花枝自短長(しゅんしょくこうげなく かしおのずからたんちょう)
このような禅語があります。
咲く薔薇にはいろいろな種類があります。
白い花や赤い花、様々な色があり、また、形があります。
同じ鉢に咲く薔薇でも、花の大きさや色はそれぞれです。
それぞれではありますが、どれも同じように太陽の光があたり、水分がそそがれるのです。
窓からは、饗庭野駐屯地の桜が咲いています。満開のようです。
少し前までは、まったく咲いていなかったのに、知らぬ間に咲いています。
そういえば、今年は大雪でしたが、あれだけあった雪の塊がすっかりなくなっています。まるで元からなかったようです。
でも、なくなったといっても、溶けたんですね。溶けて大地に浸み込み、河川から琵琶湖へ流れ込むのでしょう。いずれまた、天から降ってくるんでしょうね。
消えたり、なくなったと表現しますが、縁によってその姿を変えるのですね。
この桜もやがて時節が来れば、散ります。
お釈迦様のおられた時代の、インドの言葉のひとつに「サンスクリット語」が使われていたそうです。
私たちにはなじみの無い言語になります。
もうしばらく経つと、春のお彼岸を迎えます。
先祖供養にと、お花や線香を持ってお墓参りをされる方も多いと思いますが、サンスクリット語では、供養とは「感謝する」「尊敬する」という意味だそうです。
形だけではなく、「感謝する」供養は、自分自身がしっかり見ているのです。
今年も残りわずかとなりました。
年々、月日の経つのが早く感じます。
周りの景色も、もう冬景色です。いつ銀世界になってもおかしくないようです。
紅葉でにぎわったメタセコイヤ並木も、葉が散り始めています。紅葉が有名なこの並木は、新緑の頃も夏の頃も、年中きれいな並木ですが、紅葉が終わり初雪の降った頃は観光客が少なくなるのですが、この時期はとても素敵な景色なので、楽しみな頃とも云えます。
時の移ろいを感じる、この頃です。