クリアファイルのその中は

何気ない毎日は、何気なく良い。

あえて「下品」というが

2013-03-15 09:33:52 | 日記
もし自分の店が、
お洒落だとか、
クールだとか、
隠れ家的(この言葉嫌いだけど)
だとか思っている飲食店のオーナー様へ。

もしくは一歩譲ってカフェのみに限ってもいい。

『おタバコを吸われますか?』
と、入り口で聞くくらいなら、違う事を聞いてほしい。

最近は分煙なんて当たり前。
そんなサービスよりも上をいく客への心配りをして欲しいのだ。



吹き抜けのテラス、
古民家の趣、
オーガニックが売りだったり、
避暑地にあるようなお店・・・

そんなエッジの効いた個性的なカフェがあふれている。

雑誌やネットの情報も早く、お店には多くの人が押し掛ける。

雰囲気の良いお店でこじゃれたランチを食べ、楽しい友との語らい。

最高の時間が過ごせる・・はず。

そう、「はず」なのだが・・・・・・


お客の大半は流行に敏感な女性客。
あちこちから聞こえてくる興奮気味の声。
興奮すると音量も上がるが、オクターブも上がる。

楽しい時間なのは分かるが
「そ~なのよ!」「分かる分かる!」「ちょっと聞いてよ~!」
と、叫び声に近い音量で話す人の多い事!

中には手をパンパン叩きながら大笑いする人や、
オーバーアクション付きで大声で話す人もいる。

   う・る・さ・い!!

あまりの喧騒にウンザリして、私は食後のコーヒーを味わう間もなく席を立つ。


せっかくのいい感じの雰囲気が音を立てて崩れていく。
その崩れていく音よりも客の声の方が大きくて、きっと店主は気が付ついていないのかもしれない。

≪店のコンセプトが崩壊し、下品な空間になっている≫ってことを。



最初の提案に戻る。

ぜひとも入り口で聞いてほしいこと。
それは・・・

「落ち着いた時間を過ごされますか?
おしゃべりの時間を楽しまれますか?」

そしておしゃべり組は防音ガラスで覆われた【おしゃべりスペース】に案内してもらいたい。

これでお店もお客も快適に保たれるではありませんか。


でも、そもそもこんなサービスが人を益々ダメにしていくことも知っている。
予防することにより、抵抗力やそれに対応する思考力が「人任せ」になって衰えていくものだ。

一緒にいる相手だけに聞こえる声でお話をする・・なんて当たり前のことだった。
すでに過去形なのだ。

居合わせた人に心配りが出来なくなっていることに苦言を呈しても、きっと思われるだけだ。
「この人、何言ってんの?」って。

お洒落な空間が増えるのに比例して、下品な人(あえて言う)が溢れてきたような気がするのは私だけかな。

プロの手

2013-03-12 09:36:43 | 日記
12年ほど前、親知らずが真横に伸びて隣の歯茎に突き刺さった。

お蔭でその歯は虫歯になり治療する羽目に。

ついでに親知らずも抜くことになった。

ところが麻酔が全く効かない。

日を改めて試しても麻酔がかからない。

結局看護師に両手を押さえつけられ、麻酔無しで歯を抜いた。

「我慢しないで叫んでいいですよ。」

等と言う励まし(?)は何の役に立たなかった。

あれこそまさに地獄の痛み・・・


でも歯医者の友人が言ったのだ。

「そんなに麻酔が効かないってことあるかなぁ。

その人、単に≪ヤブ≫だったんじゃない?」と。



最近口の中で変な味がするようになり、勇気を振り絞って歯医者に行った。

結果、昔治療した歯が虫歯になっていた。

そう・・・あの歯医者で治療した歯。

もう10年以上経っているので、歯茎も加齢で痩せてきている。

虫歯になっても仕方あるまい。


いざ治療に入って担当の先生が呆れ果てた。

「二本の歯の土台ですがねぇ・・・高さが合ってないですね。

しかも、土台を作るために残さなきゃいけない自分の歯は1ミリって決まっているんですが・・・

あなたの歯は歯茎まで削られていますよ。

虫歯になって当然ですね


なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ??


つまり何だ?
やっぱりあの(東京の)歯医者は≪ヤブ≫だったってことよね?


とんでもない体験になった。

が、あの医者はヤブでも、痛みで暴れる私をしっかり押さえつけていたあの看護師はプロだな。

重い想い

2013-02-26 20:17:32 | 日記
私が父の会社をとりあえず継いで、数年経ったら弟(私の甥にあたるのだが)に会社を任せる。

それが父の描いていた青写真だったと思う。

でも私は仕事を放棄し、離婚までして縁もゆかりも無い遠い奈良に逃げ込んでしまった。

諸事情は勿論あるが、逃げたということに変わりはない。
それが私が一生背負う負い目だ。


盆暮れには帰省したが、その度に「帰ってこい」としか両親は言わない。
しごく当たり前のことだ。

父はいつも私の頭をコツンと叩き、
「このダラ娘」(富山弁でダラはバカのこと)と笑っていた。

本当はコツンではなくゴツンと思いきり叩きたいだろうに・・・と、哀しそうな笑顔を見る度に思ったものだった。


その父が、先週本当にあっけなく逝ってしまった。
文字通り「突然死」・・・大動脈が破裂して一瞬で。
恐らく本人も自分が死んだとは気が付いていないでしょうと、看取った医師が言っていたそうだ。

父の遺志で密葬にしたが、準備や親戚の接待で気忙しくして哀しむ時間を減らした。
そうでもしないとおかしくなりそうだった。


最後の別れの時、家族それぞれが頭をなでたり、握手したり・・・
思い思いのお別れをした。

私も父の冷たい手をとり、私の頭をコツンと叩いてもらった。
帰省した時の私と父の別れの儀式。
そうやっていつも奈良に帰っていったのだから。

でも、悔しい事に、そのコツンにはただの手の重みしか感じられなかった。

悔しさやはがゆさ、そして私を想う気持ち・・・いつも温かい親心を私は楽しんでいたのに。


その時初めて思えた。

父は逝ってしまったんだと。


しばらくは後処理で富山と奈良を行ったり来たりの生活になる。

その度に、もう父は私の頭を小突いてくれないことがどんなにか寂しいか・・・

それを乗り越えられた時、本当の意味で父の死を受け入れられるのかもしれないな、と思う。

自分は作り手ではないけれど

2013-02-15 08:46:52 | 日記
来週、いよいよギャラリーが開催される。

「あえて県外の作家さんで」
というクライアントの希望で、今回は神奈川在住の作家さんになる。

実はAdzuma袋の方はすでに奈良市のギャラリーで展示済で、その時は作家本人から
≪Adzuma袋とは何ぞや≫レクチャーをじきじきに受けている。

今回は富山まで作家本人は来ないが、来客者にきちんと説明できると思っている。


コサージュの作家さんも来県されない。
私も当日までどんな作品なのか、写真でしか拝見できない状況だ。

彼女は異素材を巧みに組み合わせてコサージュを製作している方だ。
せめて素材が何かなのだけは把握しておかなければならないだろう。




作品は作家さんの感性がカタチとなってそこにある。

それを目にして、手に取ってどう感じるかは人それぞれなので、外野がとやかく言う必要はない。

さてでは私の展示会中の役目は?


お客様に質問された時は最低限の受け答えが出来るようにするのは勿論のこと。

でも一番大事なのは「邪魔しない事」なのかなと思う。

入ろうかな?と迷っている通行人の
鑑賞されているお客さまの
作家さんの想いが詰まった作品の・・・

これらすべての邪魔はしないこと。


考えてみると結構難しい。

「沢山の人に見てもらいたい」という思いは、時にして「しゃかりき」という鬱陶しい行動に出がちだから。

気持ちを抑えつつ、想いを伝える・・・出来るかしら??


新しい事に不安はつきもの。

でもこれは、内面的にも外面的にも自分を磨く良い機会になりそうなのは間違いないな。






猫に小判

2013-02-03 00:31:34 | 日記
ここ数年、骨盤矯正を謳う商品が多く出回っている。

ガードルにタイツ、座椅子やクッションなどなど・・・

私もネットで見たり、雑貨屋さんで見かけるとつい欲しくなったものだ。
でも、このテの物は続けてナンボ。

過去に背筋を伸ばす椅子をショップチャンネルの魔法にかかって買ってしまったが、今や部屋のオブジェと化している。


ところで、運転中の姿勢について気が付いたことありませんか?

オートマ車というのは右足だけが動くので、左足はオヒマな状態。

踏ん張って座ることが無いので、ふと気が付くと、左側に重心を置いて座っている。

バックミラーに映る後ろの人も、座席越しに見える前の人も、かなりの確率で左寄りに傾いている人が多い。

骨盤が歪むどころか姿勢も悪くなること必然だ。

そこで運転中に姿勢を正すものは無いかと探し当てた物がある。

どこにでも移動可能なので、家でも使える優れもの・・・だった。

そう、「だった」のだ。


運転中確かに姿勢は正されたが、長年培った「快適なドライビングスタイル」が崩され、運転しにくい。

最初の目的はどこへやら、結局車から撤去され家用になってしまった。

が・・・
姿勢を矯正する前に、居心地の悪さに耐えられず部屋の隅へ追いやられてしまった。


今やこの黒い物体の愛用者は我が家の愛猫あうる。

亀みたい。

全く嫌がらない。

それどころかこのまま眠ってしまうこともある。

お尻で座れば骨盤矯正。

背中に乗せれば猫背の矯正になるだろうか。

猫だけにムダだろうけどね。