5ヶ月ぶりの投稿になってしまいました😅
我が家は、コロナの影響もあり
私も仕事を休み、
さらに引きこもりを貫いていました。
ここには書けないほどに
浮世離れした生活をしていた気がします。
「コロナだから仕方ない。思いっきり遊んでみよう(家で)」
という言い訳を自分にして
大好きなゲームやドラマを片っ端から
制覇しました。
幸せだった〜😆💗笑
でも、緊急事態宣言が解除され
世間が通常のリズムに戻りつつある中
私たち親子は、まだまだ
安定の引きこもり生活😂
”今のままじゃ、まずいんじゃないか”
そんな感覚がまた、襲ってきました。
そう思うと、目に見える全ての事が
「あかん状態」に見えてくる。
で、ある人に思い切って相談というか
状況を打ち明けてみたんです。
公式なアカウントだから
返信ないのは覚悟の上で。
(一応、相談などの書き込みは許可されてます)
誰かに相談するという事は
少なからず”期待”というのもを裏切られたり
逆に傷付けられたり、という恐れがある事も重々承知な上で
(結局、欲しい答えは自分が持ってるって事)
それでも、どうにも煮詰まって
不安でしょうがなかったから
思い切って相談してみた。
もちろん返事はなかったんだけど。
でもね、、思いのほか
なんだかとてもスッキリして
それまでの悩みが、全然大した事ない事に思えるようになっていた。
ただ、考えすぎて
疲れていただけなんだ〜と
気付くことができた。
悩む時って、そのほとんどが、
自分を責めている時だな〜と
改めて感じたのです。
そして、その「悩んでる想い」というのを手放せると
目の前の景色が、パッと変わる瞬間がある。
今まで、私の周りには
私たちを理解して、応援してくれる人が
誰もいなかった。(と感じてた)
けれど、今日という日は
私と同じような状況にある方と
お友達になれたんです😊💓
私と同じように
複数人いるお子さんが全員不登校だという方😊
だけどおそらく
私と彼女には、大きな違いがあって…
彼女は、多分だけど
「明るい不登校」をしている。
だから、堂々と投稿もできる。
それはとても勇気付られるものだった。
けれど、私が自分の家庭の事を
公に投稿したり
彼女にお話する事は
まだまだとても辛く
重苦しいものを感じたのだ。
長男は今年から中学一年生だけど
彼が小学校に入ったばかりの頃
(不登校が始まった頃)
まだまだ学校というのは
「連れてこないのは犯罪です」と教師に言われて居たくらい、酷い対応だった。
そこから数年が経ち、
新しい法律ができて
不登校児たちは少なからず
守られていったんだけど
それでもまだまだ
不登校児たちの、
「不登校したあと」の選択肢は
かなり限られるものになっている。
そこでは、(というか最初から最後まで)
「親の一存」や「親の在り方」が
最重要事項になってくるわけだ。
だけど、親だって
「ただの人間」だし
教育者としても、
親としてもまだまだまだまだ未熟で
「やってみたけど、ことごとく失敗する」
そんな自分に、心底ガッカリする事が
たくさんあるはずだ。
私にはあった。
もう行き場がなくて
子供を施設に預けて
自分の首をくくろうとした事が。
でも、死んじゃあダメなんだ。
死んだら終わりだ。
それまでの苦労も報われないし
これからの笑顔だって作れなくなる。
何としてでも生きなきゃ!
自分がどんなに最低な人間に思えようが
子供と自分を、絶対に生かさなければならない。
これだけは、誓って守ろうと!
だって本当は
子供の(不登校という)意思を
ちゃんと尊重できた、立派な親だ。
本当に悪いのは
今の教育の制度であり
親や子供が悪いのではないのだ。
これだけは、頭に叩き込んでおきたい。
そして、そんな不登校児の選択肢が
まだまだ少ないこの日本で
頑張らなくてはならないのが
当然ながら、子供とその親だ。
フリースクールなるものが
出来つつもあるけれど
近くにそれがない家庭だって
たくさんあるはずだ。
金銭的に通わせられない家庭もあるはずだ。
だったら、家でいいよ。
家でみんなで、それぞれ好きなこと
楽しもうよ。
もう、
昼夜逆転でもいいよ。(誰も困らないよ)
ゲーム三昧でもいいよ。(興味が1番勉強になってるよ)
公園行かなくてもいいよ。(ママだってダルい時はあるよ)
子供に怒鳴ってもいいよ。(生理前)
ご飯作れなくてもいいよ。(コンビニいこ)
”次に笑える方法”を
考えていけばいいよ。
今は苦しくても
いつかは笑える日がくる。
自分を責めるなかれ!(*•̀ᴗ•́*)و ̑̑