4分でわかる「南京大虐殺は中国のプロパガンダだった!」
2015.04.22 | 歴史認識
【告発者の正体とは!?】「南京大虐殺は中国のプロパガンダだった!」
THE FACTが2014年7月に配信した番組
『南京~つくられた”大虐殺”【シリーズ南京事件①】』
のエッセンス抜粋版です。
南京大虐殺があったと証言した外国人たちは実は中国国民党の回し者だった証拠を集めて4分にまとめました。
フルバージョンはこちらからご覧ください
https://youtu.be/-gG5CK985uM
第二次世界大戦中の1937年12月13日、日本軍は中国の首都、南京市に入りました。それから6週間にわたって、日本軍が一般市民、捕虜を30万人殺害し、強姦、略奪、放火等の暴行を行ったとされるのが、いわゆる「南京大虐殺」。南京事件、南京虐殺とも呼ばれます。
中国による欧米の新聞や書籍を使っての宣伝工作
「南京大虐殺」は宣伝工作による報道や書籍によって、実際に起こった事件として世界に知れ渡りました。
事例(1) 取材ではなく、中国側の人間のメモによって書かれた米国新聞の記事
「南京事件」は、日本軍が南京に入城した2日後の12月15日には米国メディアで取り上げられていました。12月15日のシカゴデイリーニューズでは「市内の通りはいたるところに市民の死体や中国軍の装備・平服が散乱していた」とあり、18日のニューヨークタイムズには「南京における大規模な虐殺と蛮行により、南京は恐怖の町と化した」と書かれたのです。しかし、この新聞記事の内容は、記者が自分で目撃したものではなく、南京大学の教授で国際院会の中心メンバーの一人、マイナー・ベイツが記者たちに渡したメモがもとになっていたのです。このベイツという人物は中立的な第三者ではなく、中国国民党政府の顧問であり、中国の宣伝工作に加担していたのです。
事例(2) 中国国民党中央宣伝部の顧問が英国新聞の特派員を務めていた
南京入城の翌年(1938年)8月にはイギリスの新聞マンチェスターガーディアンの特派員、H・J・ティンパーリーが、『戦争とは何か』を出版し、南京の惨状を世界に訴えました。しかし、著者ティンパーリーもまた、中立的な第三者ではなく、中国国民党中央宣伝部の顧問だったのです。これについては曾虚白(ソウキョハク)という国民党中央宣伝部の国際宣伝所長の自伝に「我々は手始めに、金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、印刷して発行することを決定した」と記されています。
中国は国際世論を誘導し、干渉を求めた
立命館大学特別任用教授の北村稔氏はこれらの事例に対し、「組織的な裏工作があった」「いかに欧米人のジャーナリストを抱きこんだかということを物語っている」と分析します。そして、このような組織ぐるみの対外宣伝の理由については、中国の国民政府が、日中戦争をやっても日本に勝てないのはわかっていたため、アメリカに出てきてほしかったのだと言います。中国のあまりの熱心な訴えに、他国はそれが全くの嘘であるとは考えられずにだまされてしまう――しかし実際には、中国は政治目的の嘘を作り上げたのです。
【告発者の正体とは!?】「南京大虐殺は中国のプロパガンダだった!」
【配信開始】2015年4月22日
【再生時間】4分16秒
【番組URL】https://youtu.be/BRcCdXjBafk
●「南京大虐殺」はどのようにして世界に広まったのか
●米国の新聞記事は中立な第三者による取材記事なのか
●中国政府はなぜアメリカや世界の世論に訴えたのか
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