理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

マスコミで報道されないような
情報と日記です(^▽^)/
世界と日本の危機を伝える・・

国が滅ぶ理由。リバティ3月号記事

2011年02月11日 14時01分13秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

国が滅ぶ理由。リバティ3月号記事

2011.01.29
転載させていただきました
http://ameblo.jp/kato33/entry-10784947501.html

2011年3月号記事

「外交の鉄則」を固めよ

内モンゴル、ウイグル、チベットからの警告

長い歴史を有する日本では想像もつかないが、世界では国が滅ぶという
現実がある。国家はいかなる理由で危機に陥り、滅びていくのか。
中国の侵略によって国家としての地位を失い、自治区にされた
内モンゴル、ウイグル、チベットの人々に話を聞いた。
(編集部・山下格史)

●理由① 政治的、軍事的な「力」が足りなかった

モンゴル自由連盟党 幹事長 オルホノド・ダイチン

1966年内モンゴル自治区アル・ホルチン旗生まれ。
89年内モンゴル師範大学卒業。2000年に来日。
08年大阪大学大学院博士後期課程修了。
06年モンゴル自由連盟党を結成し、現職。
機関誌「自由モンゴル」の編集長も務める。

【地域データ】

内モンゴル自治区(南モンゴル)

自治区への編入時期:1947年

人口:2384万人
(漢族79%、モンゴル族17%、満州族等4%)


かつて清朝の支配下にあった内モンゴルですが、辛亥革命が起きた
1911年、外モンゴル(現在のモンゴル国)とともに統一モンゴル国
の独立を宣言しました。

 しかし、清朝を倒した中華民国は統一を認めず、戦争が起きました。
そして15年に、ロシアと中華民国の間で、外モンゴルのみの自治を
認める決定がなされ、それ以降、内・外モンゴルは異なる道を歩みます。

 その後、内モンゴルは45年のヤルタ協定で、中華民国の一部とされ、
国共内戦が続く47年に中国共産党によって「内モンゴル自治区」に
組み込まれました。

 この過程で、多くの国際会議や国同士の話し合いが行われました
が、内モンゴルの代表が独立を主張したり、他国が利益を代弁する
場面はありませんでした。大国の利害に翻弄され続けた内モンゴルは、
国際政治の舞台で政治的、軍事的な「力」が足りなかったのです。

●恐怖で声も上げられない

 自治区を設置した中国共産党は当初、「モンゴル人の自治を守る」
「お互い平和に暮らそう」と甘い言葉を使って内モンゴルに
軍隊を送り込みました。

 ところが、60年代の文化大革命時の「内モンゴル人民革命党粛清事件」
では、自治を求めるモンゴル人が「民族分裂主義者」として
大量に虐殺されました。

 この事件では、中国政府が発表した控え目な数字でも逮捕者は
35万人、拷問で身体的な障害が残った人は12万人。死亡者は3万人
近くですが、5万人や10万人という説もあります。

 当時、自治区内にいたモンゴル人は150万人弱なので、
平均して1世帯から1人の逮捕者が出た計算です。現在も内モンゴルの
町には、顔や腕、足などに障害を持った人がたくさんいて、
事件の傷跡は癒えていません。

 日本の皆さんは、内モンゴルでデモや反政府運動が起きたニュース
を聞かないと思いますが、徹底的に弾圧されたモンゴルの人々は
恐怖心が強く残り、声を上げる気力もないのです。

●2人の漢族が5万人に増

 侵略以来、内モンゴルにはたくさんの漢族、つまり中国人が
移住しています。シリンゴルのスニト右旗という地域には、47年の
時点で2人しかいなかった中国人が、現在は5万人もいます。
「農業技術指導」「辺境を援助する」などの理由で入ってきますが、
そうやって人口を増やして侵略を進めるのが彼らのやり方です。

 内モンゴルは中国で最も経済発展している地域で、GDP成長率は
8年連続1位、09年のGDPも前年比で17%伸びました。豊富な
地下資源のおかげですが、中国のレアアースの9割が内モンゴルで
採れます。でも、その利益はすべて中国人が得るのです。

 放牧などで暮らしていたモンゴル人は、資源採掘のために、
土地から追い出され、町に強制移住させられています。移住先で生計
が立てられないため、移住を拒否する人もいますが、そういう人の
ところには、夜、一般人を装った警察官がやって来て、暴行を
加えるのです。


●「次は、日本だ」

 中国にも「民族自治法」があって、法律上はモンゴル人にも
あらゆる自由が保障されています。でも、それはただ法律に書いて
あるだけで、現実にはすべての自由が奪われています。

 最近は、公務員や会社員の募集でモンゴル人は採用しないところ
が多い。日本にいる留学生は、ウイグル人の500人、チベット人の
100人に比べ、モンゴル人は1万人と飛び抜けているのもそのせい
です。みんなアルバイトをして生計を立てていますが、本質は
「留学難民」です。

 現在、私も日本で働きながら、中国政府への抗議活動を続けて
いますが、日本人は中国に対する危機感が非常に薄い。昨年9月、
尖閣諸島沖の事件が起きたとき、私は「内モンゴル、ウイグル、
チベットの次は、日本だ」と感じ、仲間と共に街頭に立って、中国の
脅威を訴えるビラを撒きました。

 
日本人はあまりに平和で、幸せ過ぎて、中国が他国を侵略すると
いう現実を理解できないのでしょう。経験してからでは遅い。
独立国家として、国益を主張したり、国防を強化しなければ、本当に
国が滅びます。 


●理由② 国際情勢の知識がしていた

世界ウイグル会議日本全権代表 イリハム・マハムティ

1969年東トルキスタンのクムル生まれ。新疆大学予備学部入学。
91年西北師範大学を中退。2001年に留学のため来日し、現職。
日本ウイグル協会会長も務める。著書に『7.5ウイグル虐殺の真実』
(宝島社新書)がある。


【地域データ】

新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)

自治区への編入時期:1955年

人口:1963万人(ウイグル族45%、漢族41%、カザフ族等14%)


ウイグル人は1933年に、「東トルキスタンイスラム共和国」の
建国を宣言しました。

 しかしその半年後、共和国が崩壊の危機に陥った時、中華民国が
ウイグル人の分断を画策します。共和国の大統領に、中華民国の
支配下にある新疆省政府副主席の座を与える代わりに、
利害がぶつかるトルコと関係を深めていた共和国の首相の身柄を
引き渡させます。しかし、最終的に大統領自身も刑務所に入れられ、
亡くなりました。

 背景では大国の利害が複雑に絡み合っていましたが、
大事な時期にウイグル人自身が団結できなかったことも事実です。


●国の指導者7人が消された

 独立を求めるウイグル人はソ連の支援を受けて、44年に再び
共和国を建国しますが、翌年のヤルタ会談の密約でソ連から
中華民国に売り渡されました。

 そして、49年に国共内戦を制した中国共産党が、「連邦制か、
自治か、話し合おう」と融和的な姿勢を見せ、共和国の政治、
軍事、宗教のトップ7人を北京の政治協商会議に招待します。

 しかし、7人を乗せた飛行機はソ連の領空で消息を断ち、
政府首脳を失った共和国は大混乱に陥り、どさくさにまぎれてなだれ
込んできた共産党軍の支配下に置かれてしまいます。その飛行機は
ソ連が用意したもので、7人はモスクワの秘密刑務所で獄死した
と言われています。

 当時の共和国は、武器も物資もソ連からの支援で成り立っていました
が、目まぐるしい国際情勢の変化の中で、ソ連にとって中国が大事な
パートナーになったため、結果的に共和国は見捨てられたのです。

 ウイグルでは45年以降、中国によって独立運動のリーダーや
宗教指導者、知識人などが、でたらめな理由で逮捕・処刑されたり、
行方不明になり、全体で160万人以上が殺されたと言われます。

さらに、自治区内に建てられた核施設では、これまでに46回の核実験
が行われ、ウイグル人19万人が亡くなり、今でも129万人が健康被害
で苦しんでいます。


●中国の嘘を信じオオカミを招き入れた

 侵略された当時の人々を批判できませんが、ウイグル人側の反省として
挙げられるのは、「国際情勢に対する知識が不足していた」という点
です。

 その頃のウイグル人の多くが、第一次、第二次世界大戦について
知らなかったと思います。大陸の真ん中に住み、情報の伝達手段と
言えば、馬に乗って人から人へと口コミ。一部の知識人以外、
列強諸国が自国の利益のために他国を侵略したり、されたりしている
現実を知りませんでした。

 たとえば、中国共産党がウイグルに入ってくるとき、彼らは
「国民党からウイグル人を守る」と言って軍隊を駐留させ続けました。
ウイグル人はその言葉を信じて、共産党軍に食べ物を与え、家に泊めて
あげた。でも結果的に、自分の家にオオカミを招き入れてしまったのです。


●外国と対等に渡り合える 

人材を育てるべき

 今、日本人は商売上の理由で、中国を重視していますが、
利益のために自分の尊厳や人格、文化を売ってはいけません。
「生活が満たされればいい」という考えでは、いつか必ず奴隷にされます。
中国が、日本そしてアジアを支配しようとしている現実をもっと見つめる
べきです。

 今日本に必要なのは、「国を愛する教育」だと思います。愛国教育
は罪じゃない。アメリカだってヨーロッパだって、世界中のどの国で
もやっています。なぜ日本はやらないのか。自分の国を愛する人が
いるからこそ、その国が強くなるし、他国とも対等な関係が築けます。

 現在ウイグルの教育現場では、ウイグル人同士さえもウイグル語で
話すことを禁じられています。自分の国の言葉を話す自由を奪われた国民に、
他に何の自由があると思いますか? 

 中国人がウイグル人を残酷に殺すことができるのも、やはり教育の
影響です。共産党は「ウイグル人に近づくと殺される」とか「ウイグル人は
みんなテロリストだ」と教えているんです。

 人は教育によってつくられるのですから、日本は自国の悪い面ばかり
教えるのでなく、もっと素晴らしい面を教えて、外国と対等に渡り合える
人材を育てるべきです。     

理由③
一国平和主義の立場をとっていた

桐蔭横浜大学大学院教授 ペマ・ギャルポ

1953年チベット・カム地方生まれ。65年来日。
80年ダライ・ラマ法王アジア・太平洋地区担当初代代表などを経て、
現職。モンゴル大統領顧問なども務める。
著書に『中国が隠し続けるチベットの真実』(扶桑社新書)などがある。


【地域データ】

チベット自治区

自治区への編入時期:1965年

人口:2740万人(チベット族93%、漢族6%、その他1%)

 
平和な独立を保っていたチベットの状況が一変したのは、第二次大戦後の
1949年に、中華人民共和国が成立して以降のことです。

 チベットでは仏教が尊ばれ、僧侶は哲学や医学などにも精通する
エリート。1つのお寺に何千、何万という信者がいて、政治、経済、
文化などあらゆる分野に強い影響力を持ちます。

 そこに目をつけた中国は「キリスト教=帝国主義者から仏教を守る」
と言って、無理やりチベットに侵攻してきました。そして途中から、
「封建社会から人民を解放する」と言い始め、地主、貴族、豪族を
やり玉に挙げ、「あなたたちの生活が苦しいのは、こういう人たちが
いたからだ」と民衆の嫉妬や憎悪をあおり、次々と処刑していったのです。


●宗教を貶め、社会を壊す

 中国が次に標的にしたのは、ダライ・ラマ法王を頂点とする僧侶たち
です。「宗教はアヘン」として、当初チベット全土に7千あったお寺の
9割を破壊。人口の5人に1人が僧侶でしたが、侵略の過程で僧侶の
9割以上が死亡、強制的に還俗、国外逃亡を余儀なくされました。
僧侶を縄で絞め殺すのに仏像を重石に使ったり、民衆の前で汚物を食べ
させるなどして、民衆が僧侶に抱く尊敬の念を奪い、チベット社会を
破壊したのです。

 これは民族の大虐殺です。国際司法委員会も中国を告発していますが、
1950年から84年までに虐殺で亡くなったチベット人は120万人を
超えると言われています。

 現在、チベット自治区では、法王の写真を持つことすら禁止されて
いますし、許可なしに5人以上が集まった場合は「集会」とみなされ、
当局の裁量で処分されます。基本的人権はもちろん、思想、言論、出版、
結社などあらゆる自由がありません。

●平和を望むだけでは平和にならない

 あえて、チベット側の反省点を挙げるとすれば、17世紀以降、鎖国政策
をとり、「仏教を強く信仰し、平和を望んでいれば、平和になる」と、
一国平和主義の立場をとっていたことでしょうか。

 歴史を振り返って感じるのは、戦争への備えがあれば、お互いに
ある程度緊張状態にはなるけど、簡単に手は出せないということです。
戦争をしたくないのであれば、むしろ戦争の準備を行うべき。
国が衰退したり、滅んだりする過程において、戦争よりも「平和」がその
要因になっていることが多いのです。

 もう一つ、遊牧民であるがゆえに、近代的な国家意識が希薄だったこと
があるかもしれません。元々、人間が線を引いて国境をつくるなんていう
のは西欧的な発想であって、チベット人が考える国境は山や川、文化でした。
長い間、鎖国をしていた影響で、近代国家という概念を理解するのが遅かっ
たのです。

●ヤクザにはそれなりの対応が必要

チベットへの侵略を含め、中国が他国を侵略する手口は、主に3段階に
分けられるように思います。

 まず、敵の中に味方をつくります。イデオロギーや階級、ときには
「平和」を唱えるなどして、自分たちに協力してくれそうな勢力に、
金や地位などの「アメ」を与えます。

 次にやることは、その国に存在する「力」を利用することです。中国は
他の何よりも「力」を信じている。ある雑誌の調査で、中国人が尊敬する
日本の首相の第一位は小泉純一郎氏という結果に驚きましたが、彼らは
良くも悪くも「強さ」を評価するのです。

 そして3つ目は、「撹乱・分離」です。自分たちに脅威になる存在は、
外交、経済、軍事などあらゆる力を使って、国同士、政党同士の関係を
悪くさせます。

 以前、靖国神社で花見をしていたとき、友人が隣のヤクザのブルーシート
を踏んでしまったことがあります。そのとき、ヤクザが「謝れ!」と
怒鳴って、友人は謝った。そしたら今度は、「土下座しろ!」と言ってきた。
私は頭にきて、「謝ってるだろう!」とヤクザの足を思い切り踏んづけた
んです。そうしたらヤクザは驚いて黙ってしまいました。

 国家間の関係というのも、これに似ていて、ヤクザのような態度をとる
相手には、それなりの対応が必要なのです。

●理由④ 目先の利益のために中国を招き入れた

中国民族問題研究会代表  殿岡昭郎

(とのおか・てるお) 1941年栃木県生まれ。
慶応大学大学院法学研究科博士課程修了。駒沢大学講師、東京学芸大学
助教授などを歴任。その後、約20年にわたりタイに居住し、インドシナ
難民支援活動に従事。著書に『尖閣諸島灯台物語』(高木書房)など
がある。

私は中国に侵略された3民族の支援活動を行っていますが、日本人に警鐘
を鳴らす意味で、あえて「侵略を許した理由」を分析してみます。

 まず内モンゴルですが、ある時期から王族・貴族が、満州族や漢族に
遊牧地を切り売りして金儲けを始めました。目先の利益のために、彼らを
招き入れた結果、民族の生業である牧畜業が成り立たなくなった。

 ウイグルは、シルクロードに代表されるように民族間の交流が激しい地域で、
近代以降も国家意識の形成が十分に成熟しないまま、国際政治に翻弄された
と言えます。

 チベットは、ダライ・ラマ13世が、近代的な官僚機構や軍隊の整備、国際
連盟への加入などを目指しましたが、既成勢力である貴族や僧侶が反対した。
連盟に加入して国家として広く認知されていたら、人民解放軍の侵入はなか
ったかもしれません。

 もちろん、周辺国が国際会議で勝手に物事を決めたことなど、同情すべき
点はたくさんあります。でも、国際社会は厳しいもので、一度決まったことを
変更するには、当事国は気が遠くなるほどの努力や時間を費やさなければいけ
ません。


●難民キャンプでは強奪や人身売買が横行

 私は40代の頃、タイ国境の難民キャンプを訪れました。そこには、
ベトナム戦争で共産主義勢力に国を追われたベトナムやラオス、カンボジア
などの人々がたくさんいました。

 キャンプは、国連や地元の軍隊が警護し、食料や物資などの人道支援も
ありましたが、それは日中の話。夜には、公然と食料や金品の強奪、物資の
横流し、麻薬、人身売買、強姦が行われ、かつての王族や政府・軍の高官など、
老若男女が無差別に被害に遭う。驚くことに、加害者の多くが昼間は警護を
している警察や軍隊でした。

 「国が滅びることは、どれだけつらいか。国民はどれだけ苦しむか」という
ことを嫌というほど思い知らされました。

 今、多くの日本人は、国家の大切さを認識せず、「ボーダレス経済」と言
って、商売さえ上手くいけば国家なんて関係ないという風潮があります。

 でも、現実は国家単位で政治が行われ、国家がなければ政治に参加する
ことも、自分たちの意思を反映することもできません。3民族の人々が、
声を枯らして「自分たちの国がほしい」と叫ぶ意味を理解すべきです。

 

●国家は主張し、議論し、ときには対立する

 尖閣事件をはじめ、最近の民主党政権の外交姿勢を見ていると、
「日本は本当に独立国家か?」と感じます。すべての物事を中国の顔色を
うかがいながら決めている。外国に対して何も言えない政府は、独立国の
政府として資格を欠いています。

 もちろん、日中友好は大事ですが、国として譲れないことがあれば、
主張し、議論し、ときには対立しなければいけない。それが独立国家の姿
です。

 それは個人も同じ。友人と仲良くしたいけど、意見の食い違いや利害の
対立がある。そのとき、自分の主張を通すか、相手の意見に同調するか。

 尖閣事件でも、民主党政権は中国に対し、堂々と「国際司法裁判所に
提訴しよう」と言えばいい。中国は彼らの領土であることを示す証拠がない
ので絶対に乗ってきません。しかし、そのやり取りをオープンにすれば、
世界に日本の正しさを示せる。それが外交というものです。

 厳しい話になりましたが、私は日本の未来を悲観していません。日本にも
まだまだ人材がいるはずです。幕末の人口や情報伝達手段と比べたら、現在、
坂本龍馬のような人物が100人出てもおかしくない。国民一人ひとりが、
「国を支えるのは自分だ」という気概を持って、それぞれの立場で国難に立ち
向かえば日本は大丈夫です。(談)


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