コロナ禍で深刻化か?虐待防止法改正でも高まる虐待リスク
2020.04.17 http://hrp-newsfile.jp/2020/3862/
コロナ禍で深刻化か?虐待防止法改正でも高まる虐待リスク・・・必要とされるゴールデン・ルールとは?(釈量子)【言論チャンネル】
幸福実現党党首 釈量子
◆「休校」「外出自粛」で高まる虐待リスク
中国発のコロナの感染拡大を防ぐ対策として、学校が休校となり、外出を自粛したりと、
家族が自宅で過ごす時間が増えています。
狭い家に閉じこもり、経済活動も止まり、先が見えない恐怖や不安などでストレスも高まっています。
それに伴い、家庭の中で虐待リスクが高まっていることが問題となっています。
虐待やDV防止の活動をしているNPO法人などが警鐘を鳴らしていますが、世界的に懸念が広がっています。
今回は、コロナ対策で深刻化する可能性が心配されている「児童虐待」対策を考えてみます。
◆児童虐待の4つの形態 ~(1)身体的虐待~
まず、「虐待とは何か」といわれると、あまり知られていないのが実態です。
「児童虐待防止法」の第二条に、「児童虐待の定義」として、「身体的虐待」「性的虐待」
「ネグレクト(育児放棄)」「心理的虐待」の4種類が挙げられます。
例えば、身体的虐待について、条文には「児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること」
とありますが、具体的には、殴る、蹴るといった外傷だけではありません。
赤ちゃんを激しく揺さぶることで起きるとされる「硬膜下血腫(こうまっかけっしゅ)」などの頭部外傷もあります。
乳幼児の頭を暴力的に揺さぶる事で現れる一連の症状を「乳幼児揺さぶられ症候群」と言いますが、
これが生じると致死率15%、障害を残す可能性50%以上と非常に重篤なことになります。
同時に、たばこの火を押し付けるなども虐待です。
◆児童虐待の4つの形態 ~(2)性的虐待~
つぎに「性的虐待」ですが、被害にあう年齢は、平均9歳ごろからと言われています。
性的虐待の加害者の35%は実父で、続いて養(継)父、再婚した母親のパートナーによるものが25%を占め、
妊娠させられた事例もあります。
これは女児のケースで、男児の報告もあり、県によっては半数が男児だというデータもあります。
性的虐待をした親が、子供に対して「秘密を守れ」「言ったら殺す」というような支配的発言をしたというケースは
約3分の1にのぼります。
児童相談所においても、この性的虐待には大変厳しく対処しているようです。
◆児童虐待の4つの形態 ~(3)ネグレクト(育児放棄)~
次に「ネグレクト」については、英語で「無視」という意味ですが、この分野においては主に
「育児放棄」という意味合いで使われています。
具体的には、子どもを遺棄、置き去りにしたり、また子どもにとって必要な情緒的欲求に応えていない
「愛情遮断」などが含まれます。
病気になっても必要な医療を受けさせなかったり、学校に行かせなかったり、 食事、衣服、住居などが
極端に不適切でごみ屋敷のようになっていて、健康状態を損なうような環境だったりといった事例です。
この場合、親の側が、精神疾患を抱えていることも多くて、お母さんがうつ病でご飯を作ってもらえない、
というような事例もあります。
また、祖父母や保護者の恋人などの同居人や自宅に出入りする第三者が、虐待などの行為を行っているにも
かかわらず、それを放置するのもネグレクトに当たります。
◆児童虐待の4つの形態 ~(4)心理的虐待~
そして、最後に「心理的虐待」については、「ことばによる脅かし」などが主な事例としてありますが、
「心理的虐待」は、「身体的虐待」よりもダメージが大きいと言われます。
意外なところでは、「夫婦喧嘩を子供に見せる」「面前DV」は、心理的虐待にあたります。
夫婦喧嘩になって、警察を呼ぶようなケースも多いのですが、警察が駆けつけてそこに子供がいると、
警察から親に「これは心理的虐待にあたりますので、児童相談所から注意がいきますよ」と言われます。
そして今は、警察がかかわった案件すべてを、児童相談所に通告するようになり、これによって虐待件数は増えています。
また、「子どもの心を傷つけることを繰り返し言う」とか、「他のきょうだいとは著しく差別的な扱い」を
したりすることも、心理的虐待にあたります。
◆法制化される「しつけによる体罰禁止」
平成30年度の全国児童相談所における児童虐待相談対応件数は、総数として15万9850件で増加の一方ですが、
内容別では、「心理的虐待」が8万8,389件と最も多く、次いで、身体的虐待が4万256件、
ネグレクトが2万9,474件、性的虐待が1,731件となっています。
ちょうど2020年4月1日から「改正児童虐待防止法」が施行されており、家庭におけるしつけで
体罰を行うことも禁止となりました。
体罰禁止が法制化された背景には、度重なる虐待死事件で逮捕された親が「しつけのため」と
供述するケースが後を絶たないからです。
例えば、今年公判が開かれた栗原未亜(みあちゃんの虐待死事件がありましたが、父親の雄一郎被告が
「しつけのために水をかけた」「しつけのために立たせた」と供述しています。
今後、しつけによる体罰が禁止されることで、行政が介入しやすくなるのは確かです。
◆なぜ体罰がいけないのか?
では、「なぜ体罰がいけないのか」ということですが、このあたりの智慧も社会に
しっかりと共有する必要があると思います。
体罰を受けた子供は、問題行動を起こすことが多いことが指摘されています。
親子関係が悪化し、周りの人を傷つけて反社会的行動を起こしやすく、また、何かあったときに
暴力で解決することを学んでしまいます。
そして自らが大人になって子供を持つと「虐待をする親」になるという、いわゆる「虐待の連鎖」が
起きると言われる背景にあるものです。
医学的に言っても、子供時代に体罰を受けると、感情コントロールなどを司る、脳の「前頭前野」の容積が
平均19.1%減ってしまうという研究結果も出ています。
繊細な子どもの傷ついた思いは、伏流水のように流れて、大人になってからも自己肯定感が低く、
自尊心が持てないような子ども、リストカットがどうしても持てないという子が増えていることも、私自身、
多くの若者と接する仕事を通して、痛感させられました。
◆法律だけでは限界がある児童虐待の抑制
「虐待は子供に対する犯罪」なんだということを、社会で共有することは、非常に大事です。
しかし、「してはいけない」と法律で定めたとしても、根本的な考え方が変わらない限り、
増える一方の虐待はなくなりそうにありません。
特に、4月から体罰は禁止となりましたが、厚生労働省の指針を出して、事細かく家庭に介入していくのも
やりすぎだという声も多くあります。
必要なのは、困った時悩んだ時に「どうするか?」という智慧を広く子供の時から教えていくことではないかと思います。
あるいは親にそうした智慧を共有する場が必要だと思います。
例えば、子育ての支援策として、行政を中心とした「育児相談」や「子育て広場」「子ども食堂」など、
自治体でも取り組んでいますが、現代では大半の家庭は孤立状態にあると指摘する識者もいます。
◆宗教教育が誇る「ゴールデン・ルール」
今こそ「子育ての智慧」や「夫婦関係の構築の仕方」など、「家庭の中の心の教え」をしっかりと
学校教育の中から教えていく必要があるのではないかと考えます。
力を入れないといけないと言われている道徳や倫理といった科目もありますが、何よりも「宗教教育」を
重視していくことが非常に大切なのではないかと思います。
厚生労働省の「体罰禁止の指針」の中には、「注意しても聞かないので頬をたたく」等が具体例として
挙げられており、主に行動面に着目していますが、その奥にある思いの部分を正していかなければ、
根本的な解決にはつながりません。
「自分が人からされたくないことを他人になすなかれ。」。「自分が人からしてほしいことを、
人に対してしましょう」ということは、「黄金律」、つまり「ゴールデン・ルール」として、
古今東西のあらゆる宗教の教えに共通するものです。
こういった宗教的な教えを学ぶことで、自分の頭で考えて、善悪を分けることができるようになります。
こうした善悪を分かつ力が「智慧」です。
また、人の痛みを想像して、共感していける人間に成長していくためにも、こうした「ゴールデン・ルール」は
なるべく早いうちに教えてあげたいものだと思います。
◆仏教が誇る「アンガーマネジメント」の智慧
体罰を振るったり、暴力に及ぶ根底に「怒り」、いわゆる「アンガーマネジメント」と言われますが、
仏教にとっては非常に強い分野でもあります。
例えば、「心の三毒」として「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」を教えていますが、この三つの毒を食らいながら
生きることがいかに愚かなことなのかを教えています。
学校の勉強が出来ることが頭がいいとは言っておらず、そうした知性的な面も大事ではありますが、
仏教でいう賢さとはこの「心の三毒」を見抜くことが出来る人のことを指すわけです。
その中でも「瞋(じん)」が、瞬間湯沸かし器のようにカーッと怒ることですが、怒りを統御できない人は
愚かだと仏教では教えていますが、この怒りを禅定や怒りの原因を分析したりしながら、クールダウンしていくわけです。
そして、この怒りの炎を吹き消した「涅槃の境地」、つまり心が平らかであることの幸福を、
長い間仏教徒は追い求めてきたわけです。
虐待された子どもの心の傷を癒すとともに、虐待してしまう側の親も、厳しい家庭環境で育ち、
虐待を繰り返してしまい、サポートを必要とする人であることも確かです。
私たち一人ひとりは完璧な人間ではありません。
ですから、宗教教育をはじめ、自分の心を照らし、力強く生きていく教育にも光を当てていくべきですし、
そうした宗教的なコミュニティの活用も、虐待防止の有効な方法ではないかと思います。