幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんの記事です
【漫画】「憲法9条を改正したほうが戦争を防げる」と世界と日本。
民主主義とはある意味、とても厳しい政治システムでもあります。
なぜなら結果的に、国民主権の名の元、国民に責任が発生してしまうからです。
私は、今年の衆院選の歴史的意義は、とても大きいと思うのですね。
と申しますのも、先日投開票が行われた衆議院選挙においては、北朝鮮のミサイル恫喝のもと行われて、
そのなかで、安倍首相をはじめとする与党および内閣の為政者たちが、
明確には「国防体制をどうするか。」を訴えてはいなかったこと。
ちらちらとは言っていたかも知れないが、国際的には、戦時下における選挙に見えてもおかしくない状況下において、
「消費増税の使い道云々」という大義名分で行われたわけで、恐らくは1か月程度あったと思われる選挙期間中、
制度的に遅れている我が国の、国防への国民的議論や、現実的な対応が遅れてしまっただけでなく、
主権者である国民に、国防への対峙方法や方針について、幅広く考えさせることを拒んだという事実は消えません。
しかし、民主主義における大前提「国民が主権者」ということは、「責任は国民にある」ということです。
責任者たるもの、「言われなかったから知らない。知らないことは責任取れない。」ということが、
社会的には全く通じないのは、リコールの対応で苦慮する自動車産業だけではないということ。
つまり、日本の経営や国防方針を知らず、国民の代理人として政治をつかさどる政治家が
判断を過てるなら、それは国民の責任であるし、
その判断の基にある、情報を司るマスメディアの背任の罪は大きいということです。
日本の政治において、「憲法9条改正」を訴えて選挙を行ったのは、
立党時2009年の幸福実現党が初めてです。
そしてその後も、「自分の国は自分で守る!」ということを、私財を投げうって、
口を酸っぱくして言い続けています。
この「自分の国は自分で守る」というのは、世界では当たり前の中の当たり前のこと。
日本よりずっと小さな国、はるかに経済規模の小さい国、はるかに製造技術が劣る国であっても、
「自分の国は自分で守る」です。
つまり、そもそも「自分の国は自分で守る」のが国であって、現代の日本だけが「自分の国は自分で守る」
という価値観を政治家が持てば「戦争好き」というレッテルを貼られてしまうという、
世界的にはかなり特殊な常識の中にあるわけです。
みんな「平和がいい」と思っているのは理解しますが、日本国憲法9条が想定しているのは、
「日本周囲に侵略国がない状況」であるのは確かなことなので、そうではない状況ならば、
それに見合った対応をするのが、現実的な平和への道となると思うのです。
「武器がないことが平和」というなら、免疫機能がないことを「発熱もなく、膿も出なくて健康」
と言っているように、医療者の端くれである私には聞こえてしまい、
「それは免疫不全という病いなのでは?」と思ってしまいます。
ともあれ、9条平和論も決行だけれども、そういう方にはぜひ中国北京や北朝鮮ピョンヤンで、
「おまんらぁ、日本国憲法9条の前文に書かれている、
平和を愛する諸国民らしく振る舞いやがれ!」と一喝するべきだと思うのですよ。
違いますか?
確か以前に、日本共産党の志位委員長がアメリカのニューヨークで反核兵器のデモをやりましたけれども、
これはアメリカだけではなく、北京でもやるべきだったと思います。
今からでも遅くないので、是非やって欲しいものです。
そうでなければ、9条では、現実的な平和構築機能はないです。
自民党だって、「自分の国を自分で守る」とは、一度だって、公式には言っていないはずです。
少なくとも、選挙でそう言ったことはないはずです。
だから、政権与党がそんなことだから、日本では、国防が政局化するんですよ!
これは外国の思惑で、日本国民の生命と安全と財産に、直接的に影響されるので、とても危ないことなんです。
それに「自分の国は自分で守る」って、国民の代表者が公に言えないなんて、国家として恥ずかしいことですよ。
日本より小さくても、貧しくても、技術が未熟でも、世界中どこでも、
「自分の国は自分で守る」を実践しているのですから。
それが、「国家」なのですから。
続き
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