「沖縄2紙はクオリティ・ペーパー」
百田氏が批判した沖縄の地元2紙の質を高く評価する地方紙もあった
自民党の若手議員らの勉強会「文化芸術懇話会」で、講師として招かれた作家の百田尚樹氏が、沖縄県の地元紙について「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」と発言したことや、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」といった発言が出たことについて、国会やマスコミが蜂の巣を突いたような騒ぎになっている。
今回の発言に対して、多くの地方紙が、社説やコラム欄などで一斉に批判を展開し、マスコミの「表現の自由」が脅かされかねないことに、危惧を表明した。これらの批判を、かなり長くなるが、紹介する。
沖縄2紙は「共同抗議声明」、山形新聞は緊急声明
百田氏が批判の対象とした「沖縄タイムズ」と「琉球新報」は、
翌日、共同で次のような抗議声明を掲載している。
百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという”言論弾圧”の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。(中略)
戦後、沖縄の新聞は戦争に加担した新聞人の反省から出発した。戦争につながるような報道は二度としないという考えが、報道姿勢のベースにある。
政府に批判的な報道は、権力監視の役割を担うメディアにとって当然であり、批判的な報道ができる社会こそが健全だと考える。にもかかわらず、批判的だからつぶすべきだ―という短絡的な発想は極めて危険であり、沖縄の2つの新聞に限らず、いずれ全国のマスコミに向けられる恐れのある危険きわまりないものだと思う。沖縄タイムス・琉球新報は、今後も言論の自由、表現の自由を弾圧するかのような動きには断固として反対する。
(琉球新報 「百田氏発言をめぐる琉球新報・沖縄タイムス共同抗議声明」 2015/06/26)
山形新聞は、今回の一件を翌朝の第1面で大きく報じ、主筆・社長の寒河江浩二氏が署名記事を掲載した。
事は、沖縄の地方紙2紙だけの問題ではない。言論の自由、報道の自由、そして新聞の独立という民主主義の根幹に関わる問題なので、ここに緊急声明を出し、県民にその是非を問いたい。(中略)
2紙のどんな内容の記事が問題になったのか、どんな社としての姿勢が問題になったのか、についての論議はここではしない。憲法で保障されている表現の自由、報道の自由があるわけで、だからこそ新聞は、新聞倫理綱領を制定して、自らを厳しく律している。そうした自己規制を日々行っている新聞社を、自分の意見にくにみしないからつぶしてしまえ、収入の道を絶ってしまえ、というのではあまりにも暴論すぎはしまいか。
(山形新聞 「緊急声明 言論封殺の暴挙 許すな」 2015/06/28)
山形新聞だけでなく、多くの地方紙が社説やコラム欄で今回の問題を取り上げている。各紙の主張を抜粋してみる。
神奈川・京都:戦時中を思わせる言論弾圧
普段から護憲の立場で政権批判を強力に展開する神奈川、京都の2紙を代表に
、「言論弾圧」だと批判する新聞も多い。
一報道機関として、という以前に民主主義社会の一構成員として看過できない。
自民党の勉強会でのことである。出席した議員から、国会審議が続く安全保障法案を批判する報道に関し、「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働きかけてほしい」という発言があった。国家が都合の悪い情報を統制し、多様な意見が封じられ、破滅へと突き進んだ戦前・戦中の言論弾圧をほうふつとさせる。
安倍政権を特徴づける、異なる意見に耳を貸そうとしない傲慢(ごうまん)、独善、反民主主義性は極まれり、との感を抱かざるを得ない。発言の背後にある発想は独裁国家そのものだということにどれだけ自覚的であろうか。経団連がそのお先棒を担ぐ存在とみなされている点も興味深い。
(神奈川新聞 「【社説】報道批判 加速する為政者の暴走」2015/06/27)
異論を封じ込めようとする点は、若手議員の今回の発言とも通じ合う。多様な言論が封じられ、破滅へと向かった戦前・戦中の歴史を思い起こしたい。独善的な「1強」のおごりが若手議員の強圧的な発言を許していないか。政府・自民に猛省を促したい。(京都新聞 「社説:自民の報道批判 民主主義脅かす暴論だ」2015/06/28)
岩手日報は、「言論封殺の動きには断固闘う」と力強く宣言。
信濃毎日新聞も「とんでもない暴言」と批判した。
安倍首相に近い自民党若手議員の勉強会で報道機関に圧力をかけようとする動きに対し、批判が拡大している。同党は27日、勉強会の代表者ら4人の処分を決めたが、それで収まる問題か(中略)
▼地方紙はその地域の文化そのものだ。東京を拠点とする全国紙と価値観や視点が異なるのは当然で、同じ地方紙に身を置く立場として、百田氏の発言は暴論以外の何ものでもない
▼もちろん報道機関も権力の一つであるとの指摘は否定しない。異なる意見を尊重する謙虚な姿勢を忘れてはならないが、言論封殺の動きには断固闘う。
(岩手日報 「風土計」 2015/06/28)
とんでもない暴言だ。憲法が保障する表現の自由を否定し、異論は力で封じることができると言ったも同然である。(中略)
(信濃毎日新聞 「社説:安倍自民党 異論封じる暴言の体質」2015/06/27)
中日:「報道機関全体で抗議すべき」
中日新聞は全国の報道機関を挙げて抗議すべき問題だと主張した。
自民党議員からまた「暴言」が飛び出した。広告主に働き掛けて自分たちの意に沿わない報道機関を懲らしめるのだという。民主主義の根幹をなす言論の自由への重大な挑戦であり、看過できない。(中略)
発言の背景には安保法案への反対が依然、国民の多数を占めることへのいら立ちがあるのだろう。(中略)
報道の自由に対する挑発、挑戦である。平和国家として歩み続けてきた戦後日本が重大な岐路に立たされている今だからこそ、沖縄の二紙のみならず、報道機関全体で抗議すべきことである。
(中日新聞 「社説:自民の報道批判 民主主義への挑戦だ」2015/06/27)
中国新聞は安保法案について、「思うままにならないから異論を封じようというなら、
最初からまともな政策ではなかったということ」と論評した。
報道と言論の自由をあからさまに脅かす発言が、政権与党の勉強会で堂々と出たことに強い危機感を覚える。(中略)
安保法案の衆院審議が前に進まないことに焦り、メディアに責任を転嫁したくなったのかもしれないが、筋違いどころか悪質極まりない暴論である。(中略)
政府・与党のチェックは報道機関の責任であり、権利でもある。それを強引に封じればどうなるか。国民に正しい情報が知らされず、悲惨な結果を招いた戦争の教訓からも明らかだ。(中略)
自由に報道し、活発に意見を戦わせるのが民主主義の基本である。そして厳しい批判を正面から浴びるのも、時の政権の責任ではないのか。思うままにならないから異論を封じようというなら、最初からまともな政策ではなかったということだ。
(中国新聞 「社説:自民勉強会問題 言論封じる姿勢許せぬ」2015/06/28)
愛媛新聞は、同じ「言論の自由」という言葉も、為政者が言えば脅しになると論じた。
非常に危ない兆候だ。(中略)
憲法で保障されている報道の自由、表現の自由を脅かす「暴言」と言わざるを得ない。名指しされた2紙だけの問題ではない。権力を批判するマスコミをなくすことは、国民の目と耳を奪うに等しい。戦前の言論統制の復活につながりかねない発言が、与党議員らから公然と出ることに強い危機感を覚える。(中略)
自民党は昨年、テレビ各局に選挙報道の中立を求める文書を送付。今年4月にもテレビ朝日とNHKの幹部を呼ぶなど、マスコミへの「口出し」を強めている。安倍首相もかつて、自ら報道番組を批判したことを「言論の自由だ」と強弁した。
同じ言葉でも、権力者の側から出ると「脅し」になることを自覚していない。党執行部の本音が、こうした若手議員の奔放な発言につながっていると考えざるを得ない。
(愛媛新聞 「社説:自民党のマスコミ批判 言論統制復活への危険な兆候だ」 2015/06/28)
北海道新聞は、今回の発言について「筋違いも甚だしい」とした上で、
言論機関の役割は「権力の監視」にあると位置づけた。
各種世論調査を見ても、国民の間で安保法制について慎重論が根強い。それは法制に根本的な疑念が拭えないからにほかならない。
それなのに、国民の理解が得られない鬱憤(うっぷん)をメディアに押しつけるとは、筋違いも甚だしい。(中略)
言論の自由は民主主義を支える要諦だ。そして報道機関の役割は権力の監視であり、誤りがあれば国民に知らせ正すことにある。
その基本の「キ」にあえて目をつぶったような発言は、到底看過できない。
(北海道新聞 「社説:自民の勉強会 マスコミ批判は筋違い」2015/06/27)
百田氏の発言には「表現者らしからぬ軽さ」があったと評したのは佐賀新聞。
(百田尚樹氏が)言論統制容認をうかがわせる言動を「冗談として言った」とした釈明には、言葉の重みを知る表現者らしからぬ軽さしか伝わらない◆さらにあきれたのは「マスコミをこらしめるには広告料収入をなくせばいい。経団連に働きかけて」との議員の発言。私的な集まりとはいえ党本部での会合だ。巨大な力を持つ与党議員の自覚が感じられない。それ以前に憲法を尊重する言論の府の議員としての資質すら疑われる◆勉強会の目的は文化人との交流を通じ「心を打つ『政策芸術』を立案し、実行する知恵と力を習得すること」だとか。空々しく聞こえるのは気のせいか。
(佐賀新聞 「有明抄:言葉の重み」 2015/06/28)
「沖縄2紙はクオリティ・ペーパー」
百田氏が批判した沖縄の地元2紙の質を高く評価する地方紙もあった。
徳島新聞は両紙を「民意を背景に、良識に基づいて言論を展開している」としている。
「沖縄の特殊なメディア構造を作ってしまったのは戦後保守の堕落だった。左翼勢力に完全に乗っ取られている」との発言もあった。
見当違いだろう。沖縄の2紙は民意を背景に、良識に基づいて言論を展開していると言うべきだ。長年の懸案である米軍基地問題で県外移設を強く求めるのは当然である。(中略)
今の自民党に、衆院選の圧勝で、勉強会のように何を言っても大丈夫だとの意識はないのか。傲慢さを反省し、改めてもらいたい。良識ある議員こそ声を大にすべきだ。
過去2回の政権交代が示すように、国民不在の政権運営を続け、有権者の信を失えばその末路は哀れである。
延長国会では、政府・与党が数の力で安保法案を成立させる気配も見え始めた。
自由な言論と報道で、政府を厳しくチェックしたい。
(徳島新聞 「社説:自民党勉強会 言論封じは許されない」2015/06/28)
西日本新聞は沖縄の2紙について「ジャーナリズム界での評価は高い」と持ち上げた。
まさに自民党の「地金」が出たと言わざるを得ない。(中略)
「こらしめる-」の議員発言に至っては、何をか言わんやである。隙あらばマスコミに圧力をかけ、権力への批判を封じ込めたいという本音が丸見えではないか。
言うまでもなく報道の自由は民主主義社会の根幹の一つである。戦後70年を迎えるというのに、この種の問題発言が飛び出す自民党の体質には驚かされる。(中略)
安保法案では、自衛隊の活動にどのような歯止めをかけるかが論点の一つだ。歯止めの判断には、活動実態に関する現場からの報道が重要となる。報道を圧力でコントロールしたいというのが自民党の底意だとすれば、安保法案も断じて認めるわけにはいかない。
百田氏が「つぶさなあかん」と発言した沖縄の2紙(琉球新報と沖縄タイムス)は、いずれも沖縄戦や基地、安全保障問題について分厚い報道の実績があり、取材力にも定評がある。ジャーナリズム界での評価は高いことを付言しておきたい。
(西日本新聞 「社説:報道圧力発言 これが自民党の『本音』か」2015/06/27)
つい最近、衆院の憲法審査会が参考人として呼んだ3人の憲法学者が、「安保法制は違憲」と批判を述べ、国会の審議が紛糾したばかりだ。内輪での会合であっても、これまでにもさまざまな発言がマスコミの標的になってきた百田氏を招けば、恰好のネタになるだろうことは当然予想された。今回の一件で安保法案の成立がさらに遠のいた情勢で、自民党執行部としては、議員らの脇の甘さが気になるところだろう。地方紙がマスコミに携わる者としての矜持にかけて、「表現の自由」を主張したことは当然のことと言える。だが一方で、百田氏本人は私的な会合での冗談のつもりで言ったと発言しているが、これをマスコミが報じて事件が大きくなり、たとえ本人が冗談のつもりでも「冗談では済まされない」というムードになっている。こうした場合に、民間人である百田氏の言論の自由は、どれくらい、またどのように保障されるべきなのかは、一考に値するテーマであるだろう。
沖縄2紙だけでなく、つぶれたほうがいいとおもう新聞が、こんなにも多いことww( ̄▽ ̄;)
百田氏の発言に抗議した沖縄2紙(沖縄タイムス、琉球新報)は『憲法違反』
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地方紙は逆説的ですが、独自で地方色を前面に打ち出さない限りは、個性を失いうぼれていくのですね。
地方紙ということで、誰も国際的な事を知るために読んでいる人はいるまいて。
全国紙にはない地元の情報を知るために購読している人達が多いです。
署名活動していると、地方紙に洗脳されている人達との勝負です。議論に勝てても署名してくれないのです。甘く見てはいけません。
地元と結びつけて、語るしかないのでは?
地元がどうしたら発展するかということと、日本の発展と違わないと思うのですが、どうなんですかね?
タイムラグは、あるかと思うのですが。
マクロの視点とミクロの視点が、噛み合わないということですかね?
偉そうにスミマセンm(--)m
全国に広告掲載する場合には莫大な費用がかかりますが、地方紙は購読者の割合が多くてスポット広告の効果が大きいです。
しかし、全国的な記事も必要ですから大手新聞社と提携せざるを得ません。
地方紙が勝手に書き換えることが出来ません。
沖縄は基地問題が大きいので記事ネタが偏っているのでしょう。
問題は地方新聞の記者であれ「本当はどうなのか」という事を追及することを怠っていることでしょう。
記者としての本分を全うしていないで給料をもらっている輩ばかりである。
だから金太郎飴のように記事が同じ内容の新聞しかない。
今回の件で一社でもいい、社運をかけて「憲法改正」を訴えて世論に迎合せず、変えていこうとする新聞社が現れないものか。
「朝日」に批判的な発言をして、対抗意識をもって堂々と戦うくらいの議論合戦をしてもいいと思う。
いい機会だ。
おそらく、それによって購読者が減ることはないだろう。
「これが言論の自由」と言わせるだけの論戦を期待する。
最後に残るのは「正義」だ。