夢で凄く、活躍してきて朝、疲れたりしてます(lll・ω・`)
同じような人の話です。でも、とても参考になります、こんな気持ちが、悪を吹き飛ばすんでしょうね。
悪魔を発狂させてみた話と『生命(いのち)の法』-https://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/c592cb83968bd7c7cc3e2a4757ecc7e3
なかまのぶろぐ ばくちゃんより
本日も、幸福の科学高知なかまのぶろぐにお越しいただき、本当にありがとうございます。
今日の記事は「おおっと!」というような演題をつけましたが、実は私が睡眠中に見た夢の話なんです。
先月、幸福の科学で大川咲也加副理事長や教団職員が見た夢を、大川隆法幸福の科学グループ総裁が審神者をした「夢判断」が収録されまして、結構信者さんたちの間で話題になっています。
先日、その話題をとある方と話をしていたところ、「いや実は、最近私、こんな夢を見ましてね。」と、この記事の話をしたら、「その話、絶対にブログ記事にして!」と強くリクエストされまして。
以前、盛り上げるだけ盛り上げて「夢落ち」で締めくくったところ(笑)、地元の信者さんから大笑いされましたので(爆笑)、それ以来夢の話題はちょっと勇気がいりますね。(大爆笑)
さて、夢というのは、大川隆法総裁によると、どうやら霊体が霊界に里帰りして見ているらしいです。
夢って、どんどん展開が変わったり、夢で悩み事の解決方法が見つかったり、なぜだか誰かに追いかけられたりと、奇想天外なできごとが起きますが、これが霊界の特徴のようです。
そして人間が寝ているとき、霊体は肉体を抜け出し、霊界の生命の大本である、霊太陽の光を浴びているらしいのですね。
さて、ということで本題ですが、私が見た夢というのは、場面は高知の映画館『あたご劇場』です。
そこで5週連続週末集客ランキング1位だった映画「心霊喫茶『エクストラ』の秘密ーThe Real Exorcistー」を見終え、映画館の出口を出たところ、映画館の隣にある大きな病院の前に、見知らぬ30代くらいの男性が立っていました。
その男性は、日差しの強い高知県では珍しいほどの色白で、紺色のビジネススーツを着ていました。
彼は、私の顔を見て微笑みながら、少しずつ私に近づいてきました。
私は、見知らぬ人が自分を見て笑っているので、彼に「あのぉ、どこかでお逢いしましたっけぇ?」と尋ねました。
すると、その色白の男性から、「あんまり、調子に乗っちゃいけませんよ。」という、思いがけない言葉が・・・。
私は少し驚いたのですが、「どなたかと、間違えてないですか?」「僕はそんなに、思い上がれるほどの人間じゃないですよ。」と答えました。
すると彼は、「あなたは、中国政府から眼をつけられていて、いつでも命を狙えるんですよ。」「ほら、見えますか?」「病院の屋上に、あなたを狙っている狙撃手がいるのが。」と、病院の屋上を指さしました。
私は、彼の指さす病院の屋上を見上げました。
すると、確かに、狙撃手がライフルと思われる長い銃の銃口を、私の方に向けていました。
私は「へぇ、中国って・・・、奴らは、そんなに、幸福の科学高知なかまのぶろぐが嫌なのか?」と思いました。
相変わらず、色白の男性は、こちらを見て、ニタニタと笑いながら近づいてきます。
その時私は、自分でも信じられない、思いがけない行動をとっていました。
ものすごい速さで、彼の後ろに回り、彼の首を羽交い絞めにしたのです。
そして私は、彼にささやきました。
「撃てよ。」と。
彼は「えっ!」と言い、困惑した表情になりました。
私は、彼に話続けました。
「あのヒットマンに、撃て!って言えよ。」「合図は何だい?なんて言えばいい?」「俺が言ってやるから、教えろよ。」と。
彼は、「何を言っているんだ!」「そんなことしたら死ぬぞ!」「わかっているのか!」と、益々うろたえました。
私は続けました。
「死ぬっていっても、この世からあの世へ、移行するだけだろ?」「さあ、一緒に行ってみようぜ。あの世とやらに。」と。
彼は動揺した口調で、「お前には家族がいるだろう!」「どうするんだ!路頭に迷うぞ!」と言いました。
私は続けました。
「悪いな。子供たちはHSU(ハッピーサイエンスユニバーシティー)の学生だし、嫁さんは、俺なんかより、ずっと強い信仰心をお持ちでね。」「うちの家族は、嫁さんも子どもたちも、俺よりゴリゴリの信仰心を持っちょるんじゃわぁ。」「ここで死んでも、まぁおそらく、名誉の戦死!と言うてくれるじゃろうからなぁ。」「お父さんは俗物と思うちょたが、俗物にしてはよくやった!と褒めてくれるんじゃないかなぁ。あーははははは。」と。
すると彼は、「狂ってる!狂ってる!」と、私に羽交い絞めにされている腕の中で、なおも激しくうろたえました。
私は、「狂ってるかどうかは、あの世に行ってみんとわからんじゃろうから、早う行こうぜ。」と言いました。
彼は「狂ってる!狂ってる!こいつ、完全に狂ってる!」と、最後は「狂ってる!」しか言わなくなりました。(爆笑)
私は「おおの、ウルサイ奴じゃのう。」「ぐちゃぐちゃ言うなぁ!」「早う、あの世とやらに行こうぜ。」「話の続きは、それからだ!」というと、また彼は「狂ってる!狂ってるーっ!」とず~~っと叫んでいました。
そこで目が覚めました。
ということで、こんな話では、まったく布教になっていないので(爆笑)、本日は、経典『生命(いのち)の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、永遠の生命について大川隆法総裁が語った一節をご紹介いたします。
(ばく)
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=127
宗教には、さまざまな教えがあり、悟りにも、いろいろなものがあります。そのなかで、結局、いちばん大事なことは何でしょうか。
それは、「人間の生命は生き通しである」ということです。「自分が授かっているものは『生き通しの生命』なのだ」と悟ることが大事なのです。
この世で生きている人間には、さまざまな悩みが生じてきますが、「自分が生き通しの生命であることを悟った人は一生の宝を得たのと同じだ」と言えます。
「人間は、この世的、肉体的には、死んだら終わりに見えるが、ほんとうは“死んでも死なない”のだ。その『生き通しの生命』こそが自分の本質なのだ。
肉体を持った姿そのものは、年を取れば、皺が出てきて、腰も曲がり、頭脳は弱り、髪の毛は白くなり抜けていく。病気にでもなれば、床に臥し、やがて、人生の終わりを迎えるときが来る。しかし、それは外見だけのことであって、人間としての本質は『生き通しの生命』なのだ。
人間は、この世に生まれる前から、一人前の、仏の子、神の子としての立派な魂を有している。また、死んでからのちも、魂はなくならず、ずっと生き通しなのだ」
こういう人生観を持ち、「この世の数十年の人生は無駄ではない」と考える人がいるのです。
そのような人は、「人間は、この世に生まれてくる前から、仏の子、神の子であり、光り輝く魂だった。そして、数十年の人生のなかで、さまざまな経験を積むことにより、さらに魂が磨かれ、中身の充実した、深みのある人間に変化する。この世での経験を通し、魂は、いっそう磨き込まれ、付加価値を増すのだ」と考えるわけです。
この世に生まれる前も、この世を去ったあとも、共に「光り輝く自分」ではありますが、数十年間の職業や人間関係、家庭生活などの、さまざまな経験のなかで、魂の教育を受けることにより、いっそう磨き込まれて、あの世に還ることになるわけです。
そして、この世を去ったときに、その人生が一つの「魂の記憶」となって遺ることになります。この世での経験がなければ、今世の名前で生を享(う)けた、あなたの人生の記憶が遺ることもないのです。
いまの時代に生まれた人の多くは、おそらく、過去に経験したことのないような新しい職業や仕事を経験していることでしょう。昔、日本やその他の国に生まれたときには経験したことのないような、新たな職業経験をしているはずです。
また、現代は生活も便利ですし、外国の人たちとお付き合いをしたり仕事をしたりして、共に楽しむこともできます。
そのように、大きな目から見たならば、現代のような時代に生まれ、新しい経験を積み、この世を去ることは、幸福なことなのです。
しかし、そういう人生観を持たなければ、人間は、さみしく惨めな思いを抱えながら、うらぶれ、くたびれ果てて、この世を終えることになるわけです。
したがって、「出発点において、自分自身が、どのような人生観を持っているかによって、人生の幸・不幸は変わるのだ」と思っていただきたいのです。
『生命(いのち)の法』(大川隆法著 幸福の科学出版)P198~203
続き
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ナイスだぜ、ばくちゃん!(^ω^)
記事にしてくれてサンキュー。(`д´ )ゞ
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コメント欄
・自分が信じることをやるなら、死ぬのはかまわない。自分が死んだとしても、良心の呵責はないと思いました。が、心に響きました。 こういう勇気のある行動は、分かってても、殺されるのが怖くて、なかなか出来ないですよね。
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