2019-07-04 私は、ボロボロの大川隆法総裁を見ました。
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幸福の科学高知 なかまのぶろぐ ばくちゃんより
7月4日から、いよいよ参議院議員選挙が始まりますね。
今年は2019年です。
幸福実現党立党が2009年ですので、あの急遽の立党から、もう10年のキャリアになったのですね。
さて、よく聞かれる幸福実現党の批判に、幸福実現党は大川隆法総裁の名誉心や、政治的野心説があります。
しかしそれは、まったくのトンチンカンな発想です。
なぜならば、野心や下心があれば、命はかけられないからです。
野心や下心とは、この世を生きやすく生きたいと願う心からしか発生しないので、人間は野心や下心といった、低次元な動機では、決して命を懸けることはできないのです。
大川隆法幸福の科学グループ総裁は、この幸福実現党立党時に、確かにご自身の命をかけていらっしゃったのです。
なぜそう言い切るか?
それは、私がその目撃者だからです。
あれは、幸福実現党立党から1ヶ月余りが経過した頃、確か6月下旬だったと記憶しております。
大川隆法総裁が、突如街宣を始められました。
宗教法人幸福の科学の総裁という立場ではありましたが、東京で三ヶ所街宣し、その翌日は、岡山の支部でご講演なさいました。
その次の日、聖地四国正心館(徳島鳴門市)にいらっしゃり、ご講演いただいたのです。
私はその、聖地四国正心館で行われた決起大会に参加し、大川隆法総裁のお話が直に聞けたのです。
そのときの私は、空梅雨で酷暑の中での、不慣れな連日の政治活動に、疲れきっていました。
しかし四国入りした大川総裁は、そんなものではなかったのです。
この日の大川隆法総裁は・・・・、・・・・・・、・・・・・・・・・・・、 もう、ボロボロでございました。
いや、これは衣装であるとか、髪型とかだけではないんですよ。
そういう、見た目だけではありません。
私は医療者ですから、目の前の方が、どれだけ疲れ、どれだけ病んでいるかは、見れば一瞬でわかります。
疲れきり、なぜ立って歩けているかが不思議なくらい。
お声もマイク越しに、かすかに聞き取れるくらい。
霊的にボロボロ・・・ 。
こんな大川隆法総裁を、見たのは初めてでした。
幸福の王子さながら・・・とでも申しましょうか。
「このままでは、先生が死んでしまう。」 参加者一同、そう思いましたね。
私も、 「もう休めない。」 「総裁先生だけ、戦わせる訳にはいかない。」 「俺も、大川総裁と、一緒にこの戦いで死ぬんだ!!」
と柄にもなく、不惜身命の誓いを立ててしまいました。
その後の私は、70kgあった体重が、選挙戦の終わった9月には、58kgにまで落ちました。
しかし、そんなことは、どうでも良いことです。
大川総裁が疲労困憊していたのは、急な街宣スケジュールだけではありません。
それまでに幸福実現党の基本政策集、『幸福実現党宣言シリーズ』の刊行、そしてそれに伴う、連日の講演や講義。
その他、立党以来の激務が祟っていたのです。
これらの下ごしらえ的なお仕事が一段落したので、総裁は街宣に立たれたのだと思います。
そしてその、総裁の激務は、後に大きな結果となって現れます。
皆様、いったい、命がけで成したいことはなんですか?
それは決して、低次元の願いではないはずです。
生きていくためだけ、生きやすくしたいがための願いに、人は命は賭けられません。
「その願いのために生きている。」くらいの心構えがなければ、命など賭けられないのです。
このとき総裁は、確かに命がけだったのです。
私はこの眼で見ました。
このときの大川隆法総裁の、命がけの願いとは、私は、「この時点で自民党が、改憲を争点に解散した場合と同じ効果を、日本にもたらすためだった。」と思うのです。
さすれば、中国や北朝鮮などは、日本に手出しができないからです。
当時の、幸福実現党や幸福の科学の社会的力量ならば、それを実現するためには、大川総裁ご自身が、命がけの激務をこなさないといけなかったのです。
皆様、そんな判断ができますか?
そんな、覚悟ができますか?
これは、極めて高次な愛や慈悲から来る、決断ではないですか?
それこそ仏陀であり、救世主としての決断なのです。
本日は、経典『幸福実現党宣言』(大川隆法著 幸福の科学出版)より、日本の平和のために日本国憲法9条改正を、大川隆法総裁が語った一節をご紹介します。
現状と合わない法律や憲法は、実情に合わせて変えていかないと本当に危ないんです。
(ばく)続き
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