中国高速鉄道事故と日本の政治
2011年07月27日(水)
木下まこと氏のブログ転載
http://ameblo.jp/kinoshita-makoto/day-20110727.html
中国の高速鉄道事故、というよりも事故後の対応について
盛んに報道が流れている。
あの埋却車両の中に生存者や遺体がそのまま埋められたのでは
ないかという声も上がっており、さすがの中国でも各地で国民が
怒りの声を上げている。
原因究明も待たず、まだ取り残された人がいるかもしれないと
言われる車両を平気で土中へ埋めるような行為には、驚きとともに
何かを想起させる。
それは、自由を求める若者の温かい体を、冷たく無機質な
キャタピラで虐げつくしたあの天安門事件だ。
35年の歳月を経てなお中国共産党政府の本質は
何も変わってはいない。
各国の技術を拝借して(パクリまくり)、独自技術の高速鉄道
だと言い張る。
その裏では、汚職と手抜き工事が横行する。
ディズニーや、日本のアニメを模したパクリ遊園地に人が群がる。
世界的企業であるアップル社のニセストアが堂々と出店する。
これらは、表看板や外面だけは真似ることができても、
その奥に宿るべきはずの「精神」は存在しない。
本物とニセモノの本質的な違いは、その「精神」である。
日本の新幹線技術に宿る「精神」は、今日の複雑でタイトな
運航システムを安全性を第一に維持向上させてきた。
ディズニーの徹底的なカスタマー・サービス「精神」は、
訪れる誰もがlandに身を委ねるに躊躇わない
世界観を確立させた。
世界中で人々の支持を受けるサービスには、そこに宿る目には
見えない「ハート」が必ず存在するものだ。
しかし・・・
今回の事件の伏線を辿りながら思うに、天安門事件とともに
同時に想起することは、戦後の復興からバブルの絶頂に至り、
そしてその後に至る我が国の姿である。
一時期、日本はエコノミック・アニマルなどと世界から非難を受けた。
「心」ない獣だと批判された。
現在の日本をみても、その指摘があたっていた部分も
やはりあると思う。その最たるは政治の世界だ。
「心」なき政策で国民を翻弄し、票さえ取れればいいと
考えるelection(選挙)に偏った political animal が、
明日もまたテレビの向こうで「心」なき思い付きの政策を語るのでは
ないかと思うと、他国のことを言っている場合ではない危機感に
さいなまれる。
しかし、この国には失われず生き残っている「精神」の灯もある。
まだ確かに残っているその灯を大切に伝え広げ、この国の政治
に本来の光明を灯していく活動を続けていきたい。
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