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平等主義の行く末は刑務所生活である

2011年08月06日 00時00分00秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

平等主義の行く末は刑務所生活である

松山てつや氏、ブログ転載http://xavierja7.blog.fc2.com/blog-date-20110804.html

1989年のベルリンの壁の崩壊によって、アメリカを
中心とした自由主義・資本主義陣営と、ソビエト連邦を
中心とした共産主義・社会主義陣営との対立である
「冷戦」は終結した。その背景にあったものは、「自由」
対「平等」の戦いである。フランス革命のスローガンでも
あったこの「自由と平等」は、相反するものである。

「自由」は外に向かって発展していこうとする力であり、
「平等」は、内に向かって調和していこうとする力である。

今、世界で大きな問題となっている「アメリカ対イスラム圏」
との対立も、結局は「自由」対「平等」の対立でもある。

アメリカはまさに「自由の大国」であり、様々な人種が
集まっている。また「アメリカンドリーム」と言う言葉が
あるように、人種や地位、男女、学歴などに関係なく、
努力によって誰もが大きな成功を得るチャンス、自由が
ある。それを求めて、アメリカにはどんどん移民が入って
くる。しかし「自由」を求めると、人々に差がつき、貧富の
差が激しくなる。

それに対し、共産主義、社会主義は、生産手段の私的
所有を認めず、自由が著しく制限される。目指すべきは、
みんなが平等であるという社会である。平等であるという
ことは、人との違いを認めないことであり、究極の姿は、
刑務所での生活と同じである。刑務所内では、全員が
同じ服装で、同じ物を食べ、同じ時間を共有する。

多少の自由時間はあっても、外に出る自由はなく、まさに
平等の完成した姿であると言える。その代わり、飢えて
死ぬ心配はない。生命の安全も確保されている。

「自由」も「平等」も行き過ぎると様々な問題が起こり、
その兼ね合いが大切となる。しかし「自由か平等かの
どちらかを選べ」と言われたら、やはり「自由」を選んだ
ほうが幸福である。平等でないことよりも、自由を
奪われるほうがつらい。アメリカと中国のどちらかに
永住しなければならないとしたら、おそらくアメリカを
選ぶ人が圧倒的に多いに違いない。

アメリカは犯罪も多く、日本から比べると治安の悪い国
であるが、中国のように言論の自由もなく、政府の
批判でもしようなら刑務所に入れられるよりは遥かにいい。

左翼政権は、「自由」よりも「平等」を重視する。
よって経済政策も、貧しい人へのバラマキ型となり、
経済発展はのぞめない。民主党は復興増税をたくらん
でいるが、その先は「貧しさの平等」である。
みんながさらに貧しくなっていく。

日本人は平等意識が強く、復興のためには増税も
仕方がないと思っている人が多いので
危険である。給料が減り、失業しても構わないというなら
増税に賛成してもいいと思うが、そうでないなら断固反対
すべきである。

日教組もまさに「平等」至上主義だ。競争を否定し、格差
を否定し、努力をすすめることすら、憲法違反だと言う始末
である。狂っているとしか言い様がない。

教育現場は荒れ放題、学力は低下する一方。
教師も精神疾患で辞職する人が後をたたない。

教育界の堕落の真の原因は「平等」に偏りすぎている
ことである。「自由」の価値を再発見しなければならない。

【了】


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1 コメント

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Unknown (まっちゃん)
2011-08-06 10:30:59
松山てつや氏の考えには、非常に難しい問題を含んだものがあるように思う。
まず、

「自由」は外に向かって発展していこうとする力であり、
「平等」は、内に向かって調和していこうとする力である。

という箇所だが、自分の内なる自由、外の者からの価値観に翻弄されない、本来の自分自身の自由というものはあると思う。
平等にしても、外に向かって、機会の平等、チャンスの平等を求めることもあると思う。
松山てつや氏の考え方は、一方的に過ぎるのではないかと思うが、どうだろうか。

また、

「アメリカ対イスラム圏」との対立も、結局は「自由」対「平等」の対立でもある

とあり、イスラム圏を共産主義、社会主義であるかの様に言っている。
イスラム圏の宗教的指導者の立場にあるムハンマドの考えには、平等というものがあるが、これは、神の前において人間はみな平等、という意味であり、人間は神の子、仏の子、という思想にもつながるものであると思う。
これを、共産主義、社会主義と同じとするのはいかがなものか。
共産主義、社会主義には嫉妬心が根本にある。
共産主義、社会主義は神を否定している。
ムハンマドの根本は、神への信仰である。
これらを同一に扱ってよいのだろうか。

「自由か平等かのどちらかを選べ」と言われたら、やはり「自由」を選べ

とは、大川隆法総裁の言葉である。
しかし、イスラム圏よりも、アメリカのような自由主義圏のほうが優れていると、もし、イスラム圏の人々に言ったならば、誇り高いイスラム圏の人々は激怒するだろう。
自分達は、アラーを信じ、アラーのご加護のもとにあると考えているからだ。
松山てつや氏の考え方は、「アメリカとイスラム圏の対立」を解消するものではなく、対立関係に、さらに火に油を注ぐものであると思う。
イスラム圏に自由の考え方が足りないのであれば、自由の考え方を教えてあげればよいのだ。
アラーの神とは、エル・カンターレのことであると教えてあげれば良いのだ。

自由の価値を再発見しなければならないという松山てつや氏の意見には賛同するが、言い方に気をつけなければ、誤解を生み、敵を作る基になるのではないだろうか。
そのような、私の考えの方が、うがった物の見方だろうか。


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