ベトナム・南シナ海で「貪る赤い帝国」の脅威 続き
  
【貪る中国】尊敬集める戦死のベトナム兵 学校に英雄の名…「また中国軍きたら戦う」

★(5) 「夢は海軍に入隊すること。ベトナムの領有権保護に貢献したい」

 女子中学生のグエン・ティ・クエン(14)は、目を輝かせてこう語った。

 首都ハノイから南東に110キロ離れたタイビン省・ミンドク村。水田に囲まれた小さな田舎町に彼女の通う
「トラン・ドゥック・トン小中学校」がある。1988年3月14日に起きた「スプラトリー諸島海戦」で亡くなった「英雄」の名前を冠した学校だ。
 2010年、現在の名称に変更されたこの学校の1期生がトラン・ドゥック・トン中佐だった。

 「彼のような人材を輩出できたことは、われわれの誇りだ」
 校内に飾られたトランの肖像を見せながら、校長は胸を張った。
 同校では、校名変更とともに、愛国教育に力を入れているという。
 トランは1982年にベトナム海軍に入隊。スプラトリー諸島の防衛・管理の責任者を務めていた。
中国海軍と衝突したその日も、輸送船など3隻に分乗した部隊の最高指揮官としてジョンソン南礁に赴いていた。

 「父は旧正月(1月下旬~2月中旬)の休暇を家族で過ごしていた3月1日に召集されました。
危険な任務だとは思っていなかったから、心配はしていませんでした」

ベトナム中国1

 トランの長女、トラン・ティ・トゥー・ハ(44)は当時をこう振り返った。
 ベトナム政府の発表では、船上にいたトランは中国艦船からの銃撃を受け、船とともに海底に沈んだ。
 長女が父親の訃報を聞いたのは、10日以上が過ぎた88年3月26日。
国営ラジオ局の放送で読み上げられたニュースの中でのことだった。

 「母と弟とともに、一晩中泣き明かしました。『父の死』は家族にとってはこれ以上ない損失であり、痛みでした。
それでも、軍人として最期の最期まで戦ったことを誇りに思っています」 

 ベトナムと中国はこれまで幾度となく武力衝突を繰り広げてきた。
 この間、多くのベトナム兵が戦死した。彼らは国に殉じた「烈士」として国民の尊敬の対象となっている。
 79年、越中両軍がカンボジアへのベトナム軍出兵をめぐって衝突した中越戦争。
激戦地となった北部ラオカイ省バオタン県には、戦場に倒れた兵士をまつる「バオタン県烈士墓地」がある。

 小高い丘の上で整然と並んだ無数の墓に眠るのは多くが20代の若者だ。

 「身元がわからないまま埋葬された戦没者も多い」(地元住民)

 北部国境地帯での緊張は、ベトナム軍がカンボジアから撤退する90年まで続いた。

 81年から5年間、従軍した元兵士のダン・ベト・コア(53)は穏やかな表情で「戦争はもううんざりだ。
南シナ海の問題も平和的に解決してほしいと思っているし、中国人や中国に対して特別な感情はない」といい、付け加えた。

 「ただ、中国軍がまたやってきたら戦うよ」 =敬称略 (報道部記者・安里洋輔) (おわり) 

ベトナム中国2

zakzak2015.10.25
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20151025/dms1510250830006-n1.htm