理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

マスコミで報道されないような
情報と日記です(^▽^)/
世界と日本の危機を伝える・・

人は、生きていれば、耐え難い理不尽に遭うことが、必ずあります・・ 前大僧正行尊  ねずさんのひとりごと

2015年04月23日 00時00分00秒 | 一般愛国者、 ご紹介記事。

オオヤマザクラ
               山桜0422

抜粋

人は、生きていれば、耐え難い理不尽に遭うことが、必ずあります。

何もかも失って、生きていても仕方がないとまで思いつめてしまうようなことだってあります。

 

けれど、そんなときこそ、
たとえそんな辛さを知る人が自分一人しかいなかったとしても、
たとえ、心が折られてしまったとしても、
1本の山桜だって、花よりほかに知る人もいない。
幹だって折られてしまっている。
それでも山桜は、なお、咲いているのです。

行尊の歌は、そんな、人生の辛いときにこそ、心に沁みる歌なのではないかと思います。

(´▽`) 

ねずさんのひとりごとより転載、させていただいた記事です

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2616.html

今日は「ねずさんのメールマガジン」4月6日号で配信したお話を転載してみたいと思います。


 

もう桜も散ってしまいましたが、少し前の、あの美しい桜を思い浮かべながら、ご一緒に11世紀の後半から12世紀の前半の時代にタイムスリップしてみたいと思います。

 もろともにあはれと思へ山桜
 花よりほかに知る人もなし


前大僧正行尊の歌です。百人一首では66番歌です。
平和な平安時代の最後の方の大僧正、つまりお坊さんの世界で一番偉い人の歌です。

この歌は、桜は桜でも、山桜を主題にしています。
この歌を詠んだ行尊というのは、後に園城寺(おんじょうじ)で大僧正(大僧正》を勤めた人です。

行尊は、なんと12歳で園城寺に出家しました。
この園城寺というのは、修験道のお寺です。
滝に打たれたり、お堂に篭ったり、山登りしたり、とにかく霊力を得るためにありとあらゆる荒行が行われる厳しい修行のお寺です。


そんなお寺で、行尊は青春時代を過ごすわけです。
これは言ってみれば、全寮制の中高大一貫教育の荒行の学校で薫陶を受け続けたようなものです。
行尊にとっては、まさに青春のすべてが園城寺にあります。

ところがそのお寺を、行尊26歳のとき、全焼させられてしまうのです。
何もかも全部焼かれました。
原因は放火です。犯人は比叡山延暦寺の僧兵たちです。

どうしてそのようなことになったのかというと、実は延暦寺も園城寺も、ともに天台宗なのです。
ところが延暦寺がインドから支那を経由して渡ってきた、いわば正当派の仏教であるのに対し、園城寺は、この天台の教えに我が国古来の神道の教えを融合させようとしたものであったわけです。
ここは日本です。
日本に古くからある教えと、渡来仏教をどのようなカタチで融合していくのか。そして修行を積むことで、人々の役に立っていくためには、どのようにしたら良いのかということが、園城寺の目的であり修行の目的であったわけです。

ところがこのことが延暦寺からすれば、おもしろくない。
園城寺は邪道だというのです。
それが言論だけのことならば良いのですが、当時の延暦寺はたくさんの荒ぶる僧兵を抱えています。
その僧兵たちが調子に乗って園城寺の焼き討ちをしてしまったわけです。

寺が焼けるということは、寺に備蓄してあった食料も焼けてしまうことを意味します。
行尊たちは、ただ焼け出されただけではなくて、その日から、着替えもなく、飯も食えない状態になります。

ですから行尊を含む若手の僧たち全員で、近隣に托鉢(たくはつ)に出ました。
托鉢というのは、各家を周って寄付を募る活動です。

そして行尊は、托鉢のために吉野から熊野にかけての山脈を歩いているときに、山中で一本の山桜を見つけます。
その山桜は、風になぎ倒されて、折れてしまった桜の木でした。
季節は春です。
その折れて倒れた桜の木は、倒れながら満開の桜の花を咲かせていたのです。

おそらく、前年の台風で木が倒れたのでしょう。
それから半年以上経過しているわけです。
にもかかわらず、その山桜は、倒れながらも立派に花を咲かせている。

『金葉集』(521)の詞書に、「大峰にて思ひがけず桜の花を見てよめる」とあります。

(山桜が)風に吹き折られて、なほをかしく咲きたるを(詞書)

 折りふせて 後さへ匂ふ 山桜
 あはれ知れらん 人に見せばや

 もろともにあはれと思へ山桜
 花よりほかに知る人もなし

深い山中で花を咲かせても、誰の目にもとまらないであろう。
けれどこの山桜は、嵐で倒れてもなお、あのようにたくさんの美しい花を一生懸命に咲かせている。
自分たちは、誰も見ていないところで厳しい修行に明け暮れてきた。
寺は理不尽にも焼き討ちに遭って無くなってしまったが、あの山桜を見習って、焼け野原からまた立ち上がっていこうではないか。

たった一本の山桜の姿に、心を動かされた行尊は、仲間たちとともに立派に園城寺を再建します。
そして厳しい修行を再開し、行尊は優れた法力を身につけ、白河院や待賢門院の病気平癒、物怪調伏などに次々と功績を挙げ、修験者としての名を高めていきます。
そして園城寺の権僧正にまで上りました。

ところが行尊67歳のとき、園城寺は再び延暦寺の僧兵たちによって焼き討ちにあってしまうのです。
寺は再び全焼でした。
このときもまた、行尊らは全国を歩いて喜捨を受け、再び寺を再建しました。

数々の功績を残した行尊は、僧侶の世界のトップである大僧正の位を授かるにまで至りました。
そして81歳でお亡くなりになりました。

その亡くなるとき、行尊はご本尊の阿弥陀如来に正対し、数珠を持って念仏を唱えながら、目を開け、座したままの姿であの世に召されて行ったといいます。
まさに鬼神のごとき大僧正の気魄です。

前大僧正行尊(冷泉為恭による絵)
前大僧正行尊



園城寺、そして行尊の偉いところは、延暦寺の僧兵たちに焼き討ちに遭ったからといって、報復や復讐を考え行動するのではなく、むしろ自分たちがよりいっそう立派な修験僧になることによって、世間に「まこと」を示そうとしたところにあります。

そしてそのことは、誰も見ていなくても、誰からも評価されなくても、山桜のようにただ一途に自分の「まこと」を貫いて精進していこうとする、冒頭の歌の中に、その決意がしっかりと込められているのです。

ところが最近の百人一首の解説本、どの本を見ても、
「この歌は山中で孤独に耐える山桜に共感した歌」としか書いてありません。

本によって表現こそさまざまですが、いずれもこの歌は「孤独や寂寥感」を詠んだ歌だとしか解説していません。
もちろんそういう側面も詠まれているかもしれませんが、それだけしか読まないのでは、ちょっと残念に思います。

人は、生きていれば、耐え難い理不尽に遭うことが、必ずあります。
何もかも失って、生きていても仕方がないとまで思いつめてしまうようなことだってあります。

けれど、そんなときこそ、
たとえそんな辛さを知る人が自分一人しかいなかったとしても、
たとえ、心が折られてしまったとしても、
1本の山桜だって、花よりほかに知る人もいない。
幹だって折られてしまっている。
それでも山桜は、なお、咲いているのです。

行尊の歌は、そんな、人生の辛いときにこそ、心に沁みる歌なのではないかと思います。

いま日本は、お隣の国からさんざん叩かれています。
あることないことどころか、ないことないことを言われて中傷され、非難されています。
それに乗る政治家や官僚やメディアもいます。

けれど、だからといって彼らの行う言葉の暴力に、同じく言葉の暴力をもって立ち上がるというのは、違うと思います。
もちろん政治の世界では、情報戦争への対抗措置は必要です。

けれど私達ひとりひとりの個人のレベルでの日本人は、私達日本人自身が、世界中の誰から見ても、そんな中傷を跳ね返すだけの立派な人間になっていくことこそ大事なことだと思います。
それが「雄々しく」ということではないかと思います。

日本人全部なんて、そりゃあ無理だ、と思う方もおいでになるかもしれません。
けれど、戦中の軍人さんたちは、まさにそれをやってきました。
戦後の復興期にもまた、ありえないことをやってきました。

戦争が終わったとき、日本は世界の最貧国状態だったのです。
国土は占領され、東京裁判まで開かれ、WGIPによって洗脳工作まで受け、もう二度と日本は立ち上がることができないところまで追い詰められました。
けれど日本は、みるみるうちに復興しました。
気がつけば世界の経済大国です。

日本人が大東亜共栄圏にしてきたことが間違いではなかったことを、わたしたちの先輩たちは、世界中からありとあらゆる非難を浴びている中で、堂々と焼け野原と成った国土の復興というカタチで、それを見事に証明しています。

これに対し、戦後的価値観はいかがでしょう。
東日本大震災から、もう4年経ちます。
ぜんぜん復興が進まない。
何が正しいのか、どう生きなければならないのかという価値観そのものを見失い、ただ享楽的になっているだけでは、ものごとは解決はしないのです。

「もろともにあはれと思へ」だけでは、かわらないのです。
「花よりほかに知る人もなし」であったとしても、たったひとりでもしっかりとした姿勢を崩さず、立派な日本人になれるように努力をし続ける。

そこが大事なところだということを、行尊は教えてくださっているように思います。


 

自由の創設としての大東亜戦争  ねずさんの ひとりごと より

■ねずさんの日本の心で読み解く「百人一首」 絶賛発売中!

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2615.html



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (泣き虫ウンモ)
2015-04-23 21:08:17
HSで勉強しての気付きでしょうかね、神仏の手足として動けるようになれば、個人の苦しみは軽減されるか、理想はゼロかなぁ。

いつも思い出すのは、墨子さんの逸話かなぁ。
まぁ、救国の師なのに差別されるということかなぁ。

人間の評価を求めず、淡々と使命を遂行すれば、おのずと道は開かれるのかなぁと。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。