釈迦の本心一政治編ポイント、メモ。その1
2010.8.20
<御法話
今、目覚めたる者が少ないということは、あなたがたに
偉大なる仕事が与えられている、ということでもあるということ
なのです。あなたがたの前途に、やるべき仕事が山のようにある
ということなのです。
世の多くの人が、無明の中に生きているときに、彼らの考えとは
違うことを言い、生き方に警告を発し、間違いを正し、危険を指し
示すことこそ、目覚めたる者の役割である。
少数である者たちに待ち受けている天命が必ずある。
その正体こそ、真理を真理ならしめるための試練。
その試練を通り越さなければ、真理が真理として輝きを放っことはない。
あなたがたが進むべき道のなかに、数多くの、大岩や、木や、
さまざまな障害物が横たわっていて、それを取り除くことが
できなければ、人が通ることも、車が通ることもできない。
それらを取り除きながら進んでいくとき、一日一日はとても
もどかしく、前進できないことの悔しさに涙が流れることであろう。
されど、その仕事は、必ず、誰かが成し遂げねばならない。
もし・真理の修行者として心に期すものがあるのであるならば、
あなたがたの眼前に待ち受けているところの、苦難や困難に
怯んではなりません。
この世的な人々の評判や批判"常識"によって惑わされたり、
退転するようなことがあってはならない。
ときには少々の困難や逆境、あるいは、人々の批判に傷つき、疲れ、
退転していこうとしていく弱い心を持った人達や真理の友に対して、
厳しく激励し、再起を促し、共に前進すべく励ましの声をかけること
も、あなたがたの仕事である。
忍耐を通り越すことなくして、精進の道は開けることはないんです。
略>
心は、あくまでも宇宙の無限遠点に置き、遙かなる無限遠点から、
この地球を眺め、この地球のあるべき姿、現在ただ今の、十年後の、
二十年後の、百年後の、千年後の、二千年後の、あるべき姿を描き
続けなければならないと思うんです。
あなたがたは「信仰とは何か」「自助努力とは何か」「精進の意味とは
一体何であるか」が試されている。 あなたがたは、理解されないこと、
誤解されることを、恥としてはならない。
むしろそれこそが、あなたがたが、遙かなる彼方を目指していることの
証明である。まだまだ、我らが説く真理を、絶対の真理、
地球の指導的真理として受け入れる者の数は少なく、影響がないレベルで
とどまっている。唯物論教育という名の、誤った啓蒙思想を覆すことに
成功していない。
この世が便利になり、発展・繁栄することは、決して悪いことではない。
しかし、そうしたものにのめり込み、心の修行や魂の法則、本来の
実在界の存在を忘れた人々が数多くこの世に生み出されるなら、この世は
魂修行の場、教育の場として十分に機能していないと言わざるを得ない。
今、魂の教育の時代がやってきたと思います。魂の教育を成すためには、
「宗教が尊いものである」ということが、認められなければなりません。
そのためには・神仏の心を敬う気持ちが大切。
続きますhttp://blog.goo.ne.jp/sakurasakuya7/e/5dd93a55ff50f051c9c374228b8f0a51
(*´∇`*)
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>神仏や高級諸神霊の存在を無視し、人間だけが自我の塊の集団として、この世の全てを思うがままに動かせると思っているなら大間違いである。
この世でいかなる大政治家、大学者、大思想家、大科学者であろうとも、思想が神仏の心にかなわない、誤ったものであるならば、因果の理法から、カルマの刈り取りが行われることになる。来世で、その罪をあがなわなければならない。
今、私たちは、一人ひとりの心の原点に立ち返って、心から心へ、魂から魂へ、教えを届けなければならない。
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偶然、昨日の自分の心の疑問への答えになってるんで驚きました; ̄ロ ̄)
心がただの自我で拡張欲であってもいけません・・・愛と慈悲の人でなければ。
う~~ん。お天道様はお見通しですもんね。
大事なことは、組織の核になる中心人物の心が
どこに向いているか・・ですね。
耳障りがいい事を言っても、心を見抜かないと・・です。
答えが頂けて、
ハァ~~ッすごいと感動・・
菅無用・・・・
いや、感無量でした。(^▽^;)
昨日、自宅近くの精舎で予定されていた衛星中継に行けなかったので、翌日にさっそくその内容を知らせていただけてとってもありがたいです。