天武13年の遷都計画
2011 12/07
加藤文康氏、公式ホームページ転載
2011年12月6日(火)
今日の産経新聞の片隅ですが、「決断の日本史」シリーズに
興味深い情報がありました。
今から1300年前の天武13年(684年)、なんと信濃
(今の長野県)に遷都する計画があったというのです。
信濃は、当時の飛鳥浄御原宮(歴史で覚えましたよね、
今の奈良県明日香村です)からはあまりに遠く、新幹線も
ITもない当時では、まさに驚天動地の遷都計画であった
のは間違いありません。
天武帝にかくも無謀な遷都案を促したのは、まぎれも
なく当時の緊迫する国際情勢でした。
唐と新羅の連合軍に、朝鮮半島まで遠征した日本軍が
大敗を喫したのはその21年前、
そして、新羅による朝鮮半島統一による巨大国家の出現、、、
壬申の乱で骨肉の戦いを勝ち抜いた老帝を最後まで
悩ませたんのが、国防上の危機であったのは間違いありません。
それから数百年、我が国にとって二度目の本格的な
国防上の危機が訪れます。
それが、元寇です。
ユーラシア大陸を圧倒的な軍事力で一気に制圧した元は、
ジンギスカンの孫、皇帝フビライ汗の時代に、
本格的な日本制圧計画を立案し、なんと大軍を本当に海を
越えて遠征させてきます。
この空前の危機から日本を救ったのが、鎌倉幕府の統制下、
武士たちの奮闘であり、そして「神風」という神のご加護で
ありました。
そして、それから再び数百年、三度目の本格的な国防の
危機が幕末に出現します。
世界中を植民地としてへ併呑した西欧列強は、インドや
アフリカ、シナ同様、日本も隙あらばその支配下に治めよう
と虎視眈々と接近してきますが、その危機を救ったのが
維新の志士たちによる新たな国創りでありました。
さらに四度目の危機が、昭和期の前半に訪れます。
この危機は一言でいうならば、日米の覇権戦争でありましたが、
指導者が国の舵取りを誤った結果、悲惨な太平洋戦争となり、
あの敗戦となりました。
その後遺症は、今日に至るまで続いております。
そして来る2012年、日本は五度目の、本格的な国防上の
危機を迎えます。
秋に中国共産党総書記に就任予定の習近平氏は、大川隆法総裁
の霊査により、かのジンギスカンの魂の生まれ変わりであり、
その狙うところも大中華帝国による覇権体制の確立であること
が明らかにされています。
簡単にいうと、日本など、一気に実質的な植民地にしてしまう
腹積もりなのです。
こんな厳しい状況なのに、我が国では相も変わらず、防衛相の
問責決議をどうするかなど、呑気な議論が続いています。
こんな問題外の素人など、即刻、辞任は当然としても、
首相以下の与党幹部も、マスコミも、そして国民も、国防上の
危機感が乏し過ぎるのではないでしょうか
私たちに残された時間は、本当にもう少ないのですから、、。
http://katofumiyasu.blog45.fc2.com/blog-entry-433.html
(101) 684年2月28日 「信濃遷都」計画があったhttp://sankei.jp.msn.com/life/news/111206/art11120608200001-n1.htm
天武天皇の遷都計画を知った鬼が、一夜で山を築いて妨害した…という伝説が残るhttp://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/nagano/naganosi/kamo_kinasa/kamo_kinasa.html
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