理想国家日本の条件 自立国家日本 日本の誇りを取り戻そう! 桜 咲久也

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小沢一郎の発言について考察

2011年01月19日 00時21分11秒 | 一般愛国者、 ご紹介記事。

小沢一郎の発言について考察

                   https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/71/671a247d5acf6c5f848eafe67f638a78.jpg

KOKKAI PRESS宇田川的ニュースのC級解説さん抜粋http://udaxyz.cocolog-nifty.com/udaxyz/2011/01/post-9bda.html

産経新聞 2011.1.http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110116/stt11011618300006-n3.htm

 たぶん、想定問答があって、その内容をしっかりと考え抜いて
自分の言葉で語ったものであろう。小沢氏は自分の想定以外の
質問亜つっこんだ質問があれば答えに窮する。その場合の対応は
、黙り込むか逆に感情的になるか、いずれかである。会話には
人それぞれの癖があり、その癖が出ないと内心の本音は出て
こない。その「内心の本音」が出てくれば、そのときにこそ

「哲学的」「政治原理的「根本的」な質問を投げかければ、
それが乗ってくる

。しかし、テレビ番組などは時間にも制約
があり、特に民放では10分や15分でコマーシャルを入れなけ
ればならない。コマーシャルの間に、冷静になってしまうので、
なかなか本音の部分を出すことはできないのである。
 その意味で、この番組のインタビュアーは苦労したであろう。

もちろん、小沢一郎そのものや民主党という政党などその背後
を恐れた部分もあるのか、通り一遍の「総花的」質問でしか
ないような気がする。それでも、普段テレビマスコミ嫌いの
小沢一郎をテレビの前に引っ張り出して、ここまで語らせた
ことは評価に値するのではないか。
 
さて、最も注目は、「政治とカネ」の部分。しかし、マスコミ
は裁判所でも捜査機関でもない。そこで、国民(と想定している
人々)の興味があるであろうと推測する部分の話を聞くしかな
いのかもしれない。そこで、今回のような質問になたのであろう。
それに対して、小沢は「政治とカネが何を指しているのか分か
らない」としながら
「私のことで国会運営が障害をきたしたらそれは申し訳ない。

その時は国会冒頭にでも出席しますよ。」という。逆にこの発言
で菅執行部は、「なぜ国会に小沢を招致をしなければならない
のか。」また、「なぜ、自分の刑事事件(起訴されると言う事実)
と予算審議がリンクしているのか」と言うことを問いただす場面
になっている。その部分は、このインタビュアーも困っている
ようだ。ここでしっかりとした反論ができれば、上記に私が書
いた「本音」が見えてくるのであるが、ここまででは小沢の
想定内であろう。

 しかし、定内の回答には、さまざまなしかけや示唆が含まれ
ている。当然に考え込まれた内容であるのだから、そのような
ものを含ませてるに違いない。上記のように「菅・岡田」を
追い込んだと言うよりも、彼ら執行部がしっかりと物事を論
理的に説明できないと言う体質を伝えているのと同時に、
それができなければ国会招致に応じる必要はないという
ように伝えているのである。一言二言の中に、そのような
内容を含む含む発言をされて、菅執行部は逆に政治とカネ
のことが大きく取り上げられている。また、小沢へのヒール
的な印象操作の一端が菅執行部にあると言うことをしっかり
と含んでいるのが印象的である。

一方、政策に関して言えば、特に今までと変わっている
ところはない。ただ、大きくクローズアップされるのが、
マニフェストの部分である。マニフェストは小沢氏自身が
幹事長時代に作った内容である。その内容で、総選挙を戦い、
そして政権交代を足と下駄と言う自負がある。
また、

それは岡田克也氏がどの場面でかは忘れた(確か外務大臣の
ころであったと記憶している)が、「マニフェストは公約で
ある」という趣旨の発言をしている。その趣旨に従えば、
政権公約を守らず、当選してから「国民不在で」変更するのは
完全におかしいと言うことになる。約束した後で、急に条件を
変える。契約書を交わした跡で、正当な理由もなく契約内容を
変えてしまうと言うのは、まさに「法治国家」の人のすること
ではない。

個人的なことに旧に触れるが、私の周辺には小沢一郎
を完全に信用すると言う人も小沢一郎をまったく信用しない、
大嫌いと言う人も双方存在する。しかし、この中における
「民主党全員が変えちまうんだとなると国民に信を問うような
大きな問題だ、という意味じゃないか」という小沢一郎の発言は、
小沢をきらいな人も、小沢を好きな人とも、どちらもが
「評価する」発言、と言うよりも、どちらかと言えば、
「当然の話」として受け入れられていることには、なかなか
面白い部分がある。あるいみで、野党支持の皆さんと民主党の
非執行部支持の皆さんともに、マニフェストの変更と言うこ
とに関する考え方が同じであると言うことであろう。

この件に関する民意を民主党執行部がどのように取り入れるのか?
そのことをしっかりと見極めなければならない。

今回は、小沢一郎衆議院議員のテレビ出演での発言から、
その考えと言うか、その発言に対する考察をしたのであるが、
簡単に言えば、どうしてこれだけ考え方の違う人が同じ政党に
いるのか、まったくわからない。このような状況であるから、
「烏合の衆」「野合」と言われてしまう。また、最後のマニ
フェスト変更の部分でもわかるとおり、小沢一郎のほうが国民
が受け入れやすいことを行っている部分も少なくない。

 小沢氏は、ある意味で「正攻法」で「正論」を言っている。
もちろんその「正論」が「日本にとって正しいのか」と言う
ことは評価・検討が必要であるが、少なくとも、発言して
いる内容において「正論」を言っていることは間違いがない。
これに対して菅執行部はしっかりとそれを答えなければなら
ない。
その菅執行部の対応は、どうも「利己的」に過ぎ、建前と
本音が完全に分離しているように見える。結局、建前と本音
が分離している相手に対しては、正論で行くのがもっとも
効果的だ。そのことを小沢一郎は熟知しているのであろう。

菅執行部は、小沢の発言に対ししっかりと答えなければ、
そしてその答えが、恫喝でもごまかしでもなく、正論であるも
のでなければ、そして、特に政治とカネの部分に関しては小沢
とほかの民主党の議員を対等に、同じ条件で扱わなければ、
菅直人執行部への不信感は高まるのではないか。
 なお、支持率の低下、不信感の高まりは、そのことを
気に掛け、常に「民意」と「将来の日本」を考えている政治家
にとっては非常に効果的であるが、何も考えいないもしくは
利己的な政治家にとってはまったく効果がない。そのような人は
「政治家」でも「代議員」でもふさわしくないと思うが、いかがな

ものであろうか。

 


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