中国が南京大虐殺をユネスコの記憶遺産に登録申請
[HRPニュースファイル1032]より
http://hrp-newsfile.jp/2014/1512/
文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩氏
◆中国が南京大虐殺をユネスコの記憶遺産に登録申請
中国が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の記憶遺産に南京大虐殺を登録申請するため
慰安婦に関する資料とあわせ、今年3月にユネスコに申請書類を提出しました。
新華社は、南京大虐殺記念館などが当時の日記や写真、映画フィルム、旧日本軍の戦争犯罪を
裁いた南京軍事法廷の記録文書など11組の資料を選んで申請し、ユネスコが7月に
申請内容を公表すると報じています。(産経6/12)
ユネスコの記憶遺産は、申請から決定までに通常約1年半かかり、文部科学省によると、
登録申請の締め切りは西暦の各偶数年の3月末までで、中国が今年3月末までに申請していたと
すれば、申請が認められるかどうかは来年の夏頃に決まる可能性が高いとのことです。
申請後はユネスコによる事務的な審査を経て、奇数年の5~8月に開かれる
「ユネスコ記憶遺産国際諮問委員会」の審査を経て、最終的にユネスコ事務局長が可否を決定する。
(産経6/11)
中国外務省の華報道官はユネスコへの申請の目的について、
「歴史を心に刻み、非人道的かつ人権を侵害する犯罪行為が、繰り返されることを防ぐためだ」と
強調しています。(産経6/10)
◆日本を責める資格もない中国の蛮行
中国は、これまでも日本軍が南京市民30万人を虐殺したと主張してきました。しかし天安門事件で
ハンストを行い平和裏に民主化要求してきた学生や市民に発砲し戦車で蹂躙した
中国に日本を非難する資格はありません。
中国共産党が天安門事件の死者数は数千とも万を超えるとも言われていますが、天安門事件
そのものがなかったとし、自国軍が殺害した数字も満足に数えられない国が、
なぜ70年前の日本軍による30万人虐殺を数えられるのでしょうか?
またチベット、南モンゴル、ウイグルを侵略、大量粛清し、ウイグルの独立を求めた抵抗をテロ呼ばわり
するような国の蛮行こそ、ユネスコの記憶遺産に登録申請されるべきです。
「非人道的かつ人権を侵害する犯罪行為が、繰り返されることを防ぐ」との中国外務省の
華報道官の発言を、そっくりお返ししたいところです。
ちなみに、「ユネスコへの記憶遺産登録申請」は、政府に加え、地方自治体や民間団体、
個人でも可能だそうです。(産経6/11)
◆南京大虐殺は本当にあったのか?
では、南京大虐殺は本当にあったのか?
適切な言葉を使うとすれば、「南京戦はありました。戦争ですからそれによって死者もでました。
しかし日本軍が南京市民を30万人も大虐殺した事件はありませんでした」ということになるでしょう。
当時、日本が南京を攻めた当初は銃撃戦があったのですが、その後、国民党軍は逃げ惑い、兵士の
一部は市民のなかに隠れて「安全区」に逃げ込んだり、市民に化けて日本兵を襲う者もおりました。
兵士が市民に化けて戦うことは国際法で禁じられています。兵士はヘルメットを被っているため、
額が日に焼けていません。日本軍は市民から兵士を見分けて、時には戦わざるを終えませんでした。
こうしたことが市民を虐殺したことと誤解されているのです。
◆人間離れした日本兵
中国の言い分が真実だとすれば、以下のようになります。
(1)当時南京市民は20万人、日本軍は30万人殺した。つまり「人口以上の市民を殺す能力」を
日本軍は持っていた。ユネスコではなく、中国の推薦で「世界珍記録」として登録されるべきである。
(2)当時、南京戦を戦った日本兵は5万人。30万人の市民を大虐殺したとすれば、わずか
数週間の間に1人で6万人を殺したことになる。しかギネスブックにも記録されない。
(3)米軍が広島に落とした原爆の死者は10万人。日本軍は30万人を殺戮する原爆3個分に
匹敵する秘密兵器を持っていたのか。そんな秘密兵器を持っていたら、そもそも日本は負けるわけがない。
(4)日本軍は戦うだけでなく30万の遺体を一夜の間に片付けることができる能力を持っていた。
もしかしたら宇宙人に遺体の回収を頼んだ・・・
(5)日本軍が30万人を虐殺したとすれば南京市内には誰もいないはずであるが、城内の
「安全区」には20万人の市民であふれていた。中国人は殺されても生き返るのだろうか?
以上、虐殺数は大きな論点ですが、常識的に考えても30万人の虐殺はあり得ないことです。
中国がどんな資料をユネスコに持ち込んだのか、7月に公表されるとのことですが、中国は
世界を巻き込んで日本包囲網を形成しようとしています。しかし中国の嘘は、必ずばれる時がきます!
次回は、世界でベストセラーになり日本の南京大虐殺「ザ・レイプ・オブ・南京」(アイリス・チャン著)等を
取り上げながら別の視点で「南京大虐殺問題」を論じてみましょう。
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外祖父は、妻が早く死去したということだったが、それが逃げた理由ではないだろう。私はある日、やつと外祖父から真相を聞き出した。
彼は四川省の貧農の出身で、小さい頃から武術で鍛えていた。1928年に四川で国民党に捕らえられて兵士にさせられ、1937年の南京大虐殺前夜に少尉にさせられて、
日本軍の猛烈な攻撃を、首都を守れ・国父を守れというスローガンで防衛するよう命じられた。しかし日本軍の進政を食い止めることなど出来ないので、南京城から撤退した。
部隊は列車を何両か手配して、軍用の荷物と食料を積み込んだ。その時に周囲から、一般の民衆が老人や子供の手を引きながら列車に乗り込んできた。
大勢が列車の屋根にも乗っていた。日本軍は、すぐ近くまで迫っている。このままでは、国民党の兵士たちは逃げることが出来ない。
誰かが、日本軍が来たぞと叫び、国民党指揮官は列車に乗り込んだ民衆に列車から降りろと怒鳴った。
誰も従わないので、指揮官は民衆を銃殺しろと命令を出した。兵士たちは民衆を銃殺することなど出来ないので、互いに顔を見合わせていた。
指揮官は兵士たちに、もうすぐ日本軍が来るのだから、民衆は日本軍に銃殺されたことにしたら良いのだと言って、一斉射撃を命じた。
あたりは血の海となり、兵士の足首まで血が溜まったと言う。ここで約1千人の南京市民は、国民党の兵士たちから銃弾を浴びて死んで行った。
国民党の部隊が必死で逃げた後には死体の山が血の海の中に残され、それは日本軍の残虐行為として転嫁された。
外祖父は、こんな部隊に残りたくないので、撤退途中に九江で夜陰に紛れて脱走し、長江を渡り武漢で列車を乗り換え、南の小さな山村に逃げ込んだ。
外祖父の記憶では、他の部隊も同様のことをしてきたという。全ての国民党による民衆大虐殺は、日本軍の残虐行為として転嫁されたのである。
外祖父は貧農の出身だが、国民党が貧乏人を虫けらのように扱うことに抵抗があつたという。
外祖父は、国民党の軍隊に残っていれば、出世したかもしれない。また抗日戦争で戦死していれば、抗日戦闘英雄烈士との美名で呼ばれたかもしれない。しかし、逃亡する道を選んだ。
日本は正式に答弁して、ユネスコへの経済援助を断ればいい。
銃殺したというのが、真実ですね。
それを、日本軍がやったということにしたというのが、
真相。
よく、書いてくださいました。感謝です。
それにしても、国民党軍も共産党軍もほんとに、
とんでもない連中ですね。
そんな軍から逃げて外祖父さまも、正解でした。
そんな軍から逃亡しても、なんら恥じることはないと
おもいます。
外省人として揶揄されるだけの理由はしっかりとあったわけです。
仮に国民党が大陸で政権をとっていたとしても、共産党と似たような結果になったのかもしれません。
倫理観をどのように取り戻すのか、というところが今後のポイントになるのでしょう。
が、正しい文章です。
すみません、細かくて^^;